小説
七話



 馬車というものは話に聞いていた通り、存外腰や尻に響くものだなあ、と潔志は他人事同然に思った。
 ナルスラーの待つ王都までを馬車で向かい、王都へ着けば今度は輿で城に向かう。
 既に「神子様降臨」の報せは各国に知れ渡っているそうだが、当の「神子様」になんの心構えもない状況で情報をばら撒いて魔族とやらが攻め込んできた際に大丈夫なのかと潔志は首を傾げた。やはり、その態度は他人事にしか見えない。
 馬車のなかでは潔志が「大丈夫だから落ち着いて」と苦笑するまであれこれ世話を焼こうとしていたフェートだが、輿には潔志一人が乗ることになり、彼は並ぶように歩いていた。
 幕が下ろされているために外の様子は見えないが、人びとの熱狂した気配は嫌というほど伝わってくる。
 時折聞こえる歌のようなものは祈りだろうか。これだけは聞こえ難い以前にまったく言語として聞き取ることができなかった。もしかすると、朝拝のときのフェートも同じだったのかもしれない。
 考えているうちに僅かな揺れが収まり、外から「失礼致します」という声の後幕が上げられた。
 フェートが恭しく差し出してくる手は彼のために取るべきなのだろうと判断し、それでも苦笑は隠せないまま潔志は輿を降りる。
 物語に出てくるような兵士が両脇にずらりと並んだ通路の向こう、たっぷりとした綺羅びやかな布を重ねた衣装を纏う壮年の男が立っているのが見えた。
 潔志がさっと視線を巡らせる限り、潔志を見る誰もが皆きらきらと期待と敬慕に輝いた目をしている。

「御手を引かせていただいてもよろしいでしょうか」
「ああ、うん。お願い」

 フェートに頷き、潔志は静々とした足取りで男に向かって歩き出す。
 全身に絡みつく視線は煩わしく、しっかりと神剣を抱く片腕がひく、ひく、と時折動くのを抑えきれない。
 男の二メートルほど手前でフェートは立ち止まり、潔志からそっと手を離して男へ立礼を向ける。

「バリオル筆頭覡フェート、経咲比古神より遣わされし神子潔志様をお連れ致しました」
「大義です」

 抑揚の低い声に、しかし底知れぬ感情の昂ぶりを潜ませて男はフェートへ立礼を返す。
 そうして、潔志に向かい、彼は跪礼する。

「西国メイランが王、ナルスラーと申します。神子様御降臨に感謝の言葉もありません」

 王自ら表まで出迎えにやってきて、衆目の前で地に膝を突けるほどに神子の存在は重いらしい。
 ナルスラーは湿った吐息をひとつ、潔志には聞き取れぬ祈りの言葉一節唱えた。周囲もナルスラーに続く。
 見知らぬ国の見知らぬ人びとが歌う、知らない言葉。
 此処は、ほんとうに自身の知らない世界なのだ、と潔志は青い空を仰いだ。そこにある色と、眩しさだけは、記憶にあるものと変わらない。

「……話……色々な話があるんですよね。早く、それを聞かせてください」

 ナルスラーを見下ろし、潔志は莞爾として微笑む。
 不惑の歳を迎えて尚変わらない無邪気な笑みはしかし、どうしてかナルスラーの背筋を僅かに粟立たせた。



 魔族とは神を信仰せず、妖術操る邪悪な存在である。
 魔族は自身の欲に忠実で、欲を満たすために他者を傷つけることになんら躊躇がない。
 敬虔なるバリオルを甘言で惑わすこともあり、存在そのものが神への冒涜である。
 現在の魔族率いるのは暗惡帝。
 その果てしない欲望は理性なき赤子、その強大なる妖術は正に怪しの存在。
 ひと度暗惡帝の食指が動けば、壊滅させられた街が幾つもあった。
 その街にある珍しい果物が欲しかった。
 その街にある希少な本が欲しかった。
 その街にいる剣士が欲しかった。
 暗惡帝の目を、耳を楽しませようと、魔族が無秩序に暴れ狂うこととて何度も。
 つまらない、くだらない。そう言い切ってしまえるような理由でたくさんのバリオルが死に、バリオルの暮らす地は荒廃したのだ。

 暗惡帝を討伐し、魔族覆滅を!

 堪えても堪え切れない魔族への憎悪と、暗惡帝への恐怖を滲ませてナルスラーは語る。集められた重鎮たちも同じことを考えていることがその表情と眼差しで伝わった。
 話がひと区切りついたと見て、潔志は口を開く。

「バリオルたちで魔族に向かったりはしないんですか?」
「もちろん、最初から神に縋るような厚かましい真似は致しません。軍を纏めて暗惡帝へ向かったこともございます。しかし、魔族の異能は程度によっては一人の魔族を倒すのに三十人のバリオルでも足りないのです……策もなく悪戯にバリオルを死なせるわけには参りません……」
「異能っていうのは、具体的にどういうものなんでしょうか?」

 潔志はただの人間である。
 物語で見るような魔法など存在しない世界に生きてきた人間なのだ。

「ある魔族は炎を操り、ある魔族は膂力を上げ、ある魔族は相手の心を読むなど、魔族によって異能は様々で、その精度も同じです」
「空からいきなり街ひとつ破壊するような異能なんていうのは?」
「歴史にも確認したことはございません。そんなものがあれば……バリオルは今頃魔族によって滅ぼされているでしょう」
「そうですか。じゃあ――」

 うんうん頷きながら、潔志はもっとも訪ねたかったことをナルスラーに訊ねる。
 射抜くよりも斬り裂くような円い目は、一切の嘘偽りを許さず、はぐらかしも曖昧な返答も認めない。

「暗惡帝とやらを斬れば、俺は元の世界へ帰ることができるのかな?」

 ナルスラーは、重鎮は喉を上下させ、緊張に喘ぐような呼吸をする。
 まるで、眼前に鋒突きつけられているかのような心地で、しかし潔志がゆっくり首を傾げれば返事をするより他になく、ナルスラーは丹田に力を込めて口を開いた。

「かつて、経咲比古神が魔族の王を斬り祓ったとき、凄まじい力の奔流が起きました。神子様をお帰しする際はその力を以って為します故、どうか帰還の儀を執り行う者として暗惡帝討伐の道には覡フェート殿をお連れください」

 言い切り、呼吸を改めることもできないままじっと潔志を見つめるナルスラーに一切色を変えない笑顔のまま、潔志は一つ頷く。

「そうですか、分かりました」

 つまり、斬れば良いのだろう。

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