小説
四話



 不思議な現象により、問うた神の名がどんな字で綴られるのか潔志は理解してしまう。
 だからこそ、愕然とするほどの驚きに潔志は呼吸を忘れた。
 音にして「たちさくひこ」と云う神は、潔志が、鎮劔神社が本来であれば主祭神として祀るべき女神、経咲比売神と同じ字を持っている。違いは男女の差のみだ。

(え、え、え? さっきから覡とか色々あったけど、これは平行世界云々とか? それで経咲比古っていうのはまさかうちの神様と同一うんちゃらとか? それとも姉弟妹? ご夫婦? あ、姉弟妹でご夫婦かなっ? いや……ないわ)

 ひとしきり混乱した潔志であったが、すぐに冷静さを取り戻す。
 だが、神剣を持つ手からは力が抜けていた。
 この神の名前を斬ることは、現段階では潔志にはできない。後々気が変わるかもしれないが、今はその気が失せた。
 自分たちに根差す大切なものが守られたとも知らぬ三人は潔志の様子を不思議そうに見遣ったが、もしや神の名に聞き覚えがあったのかとすぐに明るい顔を見せ始める。間違いではない。

「かつて、まだ世界が混沌であった古の時代、経咲比古様は世界を我が物とせんとする魔族をも涙させる武勇でもって世界の平定に尽力されました。その尊き時代は永く続くも、彼の暗惡帝が現れてより再び魔族どもは世界に爪牙を向け、敬虔なるバリオルがどれほど……!」

 ライゼンが歯噛みし、フィオラがすすり泣く。
 潔志は真顔になった。
 非常に、非常に聞き覚えのある、よく似た話を聞いたような気がするのだ。

「潔志さん、経咲比古様が遣わせてくださった神子様。どうかこの世界を、バリオルを救ってください。かつて経咲比古様が魔族を斬り祓ったように、再びこの世界に平和を」

 どうか、どうか、とフェートが祈りの仕草で懇願してくる。
 年端もいかないこどもの姿としてはきっと痛々しさすらある姿だけれど、続くフィオラもライゼンも必死な様子だったけれど、それら一切に動かされない潔志の心はたったひとつの言葉にざわりと波立った。

「斬り祓う」
「はい」
「斬る」
「はい」
「斬るのか」
「はい」
「斬るんだ」
「はい」
「そっか」

 潔志はうんうん、と頷ききらきらと目を輝かせる。

「それは、当然だね」

 フェートたちには神子として当然のこと、という意味で聞こえたことだろう。
 けれど、違うのだ。
 潔志は神子では、この世界で求められるような神子ではない。
 ただの、斬撃狂いだ。
 斬撃という欲に塗れた俗物だ。
 世界を救うためだなんて大義名分を用意されるまでもなく――

「うん、うん。当たり前だよ。斬るよ、斬らなくちゃ、斬るんだよ。斬ろう、斬る」

 斬るのだ。



 潔志は神楽衣装を脱いで、用意された服に着替えていた。
 惜しまれたけれど、いつまでもあの恰好をしているわけにはいかないし、万一損傷したときが恐ろしい。俗な話、決まった神事のときのみに用いる本衣装は非常に高額だ。
 どことなく和洋折衷の服を着た潔志は教会内部にある客間へと案内されたが、翌日には教会を出て別の場所へ移動することになるという。
 フェートたちが新興宗教の熱烈な信者であり、彼らの話が妄言であったなら別だが、真実世界の命運が左右されている状況であるなら各国の代表たちも「神子」という存在を無視することはできないだろう。

「一つの宗教が世界で統一されてるって……大勝利だなあ」
「なにか仰いましたか?」

 従僕なのだから、といつでも潔志の世話ができるよう部屋のなかに控えているフェートが潔志の呟きを訊き返す。
 潔志の勧めによりソファへ掛けているが、最初は壁に寄って直立不動でいようとしたのだから堪らない。
 こんなこどもが、と思って潔志の頭に浮かぶのは同じ歳の頃をしていた源太。
 源太にはフェートのような落ち着きも思慮も備わっていなかった。それは現在もそうだ。相変わらず意地汚く潔志が斬ろうとするものを横取りすることが多く、拳骨をくれてやる回数は少なくならない。
 思わずため息を吐いた潔志にフェートは慌て「ご無礼を致しました」と謝罪し始め、潔志こそ慌てて制止する。

「ごめん、違うんだよ! なんでもないから気にしないで」
「ですが……」
「本当になんでもないから」

 納得した様子ではないが、潔志に対して強く問うこともできないらしいフェートは頷き、そんなフェートに潔志は苦笑した。

「最初に言ったけどさ、俺は当然のことをするだけだから神子だとかそんなの気にしなくていいんだよ。従僕だなんて言わないで、のびのびしていなよ」
「この難事に対して……ああ……なんと尊い方なのでしょうか!」

 当然のことに対する認識の差異がとんでもない勘違いを引き起こしているが、当然のこと故に潔志は気付かないし、神と、その神が遣わしたと信じる神子へ強い信仰と敬意抱くフェートも気付かない。
 そんなささやかな部分から始まった勘違いによる好意は、フェートという人間に強すぎる影響を与え、その人生を大きく変化させることになる。
 一人の人間へ正道から外れた道を斬り拓くことになるとは知らず、潔志はただただ大仰なフェートに困った笑みをするばかりであった。

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あきゅろす。
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