小説
一話
年齢を重ね、いつの間にか三十路も超えた潔志だが、その童顔には未だ無邪気な面影が消えない。
時折やってくる自称弟子を前にすればまた話は変わるが、相葉潔志という人間は年月によって変化らしい変化を持っていなかった。
鋭さを増す斬撃と、重さを増す斬気と、粘度を増す鬼気のおぞましさが潔志の歩んだ年月を実感させる。
それをもっとも感じているのはこれ以上なく純粋に、剥き出しのまま斬りつけられる源柳斎だ。彼もまた年月とともに冴え渡る斬撃誇り、潔志を狂喜させ、喜悦させ、斬撃欲を迸らせている。月柳流一同不愉快極まりないことだろう。
されど、潔志にとっては斬りたいと思ったときが斬り時であるので、源柳斎にどれほど嫌われようと、源太にどれほどうざ絡みされようと、彼は神剣携え一閃を放つのだ。歳相応の落ち着きなど知ったことではない。
斬る斬る斬る斬る、斬ることは当然だ。生きているならば斬るのだ。生きているなら斬るだろう。斬っているなら生きている。斬られたなら? 潔志にはどうでもいい。斬れさえすれば、斬った結末なんて潔志には興味の対象外だ。
それこそ、死体が転がるようなことになったとしても。
森山一家のときに慌てたのは、斬りたくて斬ったわけではないからだ。
斬りたくて斬ってのことであれば、潔志は汗の一つもかくことなかっただろう。
外れた道の真ん中を歩いている。
歪んだ道を真っ直ぐに歩いている。
ねじれ狂ったなかにあるものは何処までも硬く伸びた芯だ。
故に、潔志は狂ってなどいないのである。
そも、狂気の証明をするには、狂気を唱えるものの正気を証明してもらう必要があるのだ。狂気との比較なしに正気を語れるものがどれほどいるだろう。語れる時点で、少なからず狂気への理解があるというのに。
潔志は自身へ向けられる嫌悪も不理解も共感も同情も斬って捨て、振り返らない。
斬りたいものだけを求めて、その鋒は前を向いている。
そうして、不惑の歳までやってきた――
重たげな神楽衣装に携えるは神剣、産志穂之剣。
今日は年に一度行われる鎮劔神社の大祭がある日で、潔志は神事の一つである神剣を用いた神楽を奉納したところであった。
現在の舞手は潔志と一応は父がいるけれど、年齢を考えれば衣装と産志穂之剣を携え舞うことに体が耐え切れないだろうから実質潔志一人だ。清子の産んだ息子が早く育ってくれるのを願う。
神前では優美に舞った潔志であるが、禰宜としてやることはまだまだ多く、水鳥よろしく下がるや否や産志穂之剣を安置するべく参拝者から見えない廊下を渡ろうと急ぎ足で歩き始める。
笑みを表現する能面の円い目の穴で得られる視界は三十センチもあるかないかという狭さ。故に、幼い頃から舞台に立たされその空間を徹底的に把握させられる能楽師は、たとえ盲目になろうとも舞台の上で演じることができるという。煩わしいそれを外そうとしたとき、潔志の指先に静電気に似たなにかが走った。
瞬間、産志穂之剣が熱を発する。
「え?」
木々が揺れる気配も、枝のしなる音もなく、凄まじい風が吹いた。
轟と音を立てた風に産志穂之剣から放たれる熱が混じり、潔志は熱風に包まれる。
反射的に顔を庇うも熱い神剣からはどうしても手を離そうと思わず、潔志は硬く目を瞑って風をやり過ごそうとした。
足元近くで乾いた音がするのは、面が転がった音なのか。確認することもできないほどに、風は勢いを増していく。
熱風が旋毛となって潔志を中心に一回転したとき、潔志はなにか、まるで大きななにかがくるりと裏返ったような錯覚を覚えた。
けれど、その錯覚は風が止んだことに気づけば手放せるほどの些細な疑問で、潔志は短い呼吸をひとつ吐くなりそろりと瞼を開ける。
直後、円い目は見開かれた。
神社特有の水と緑の匂いがない。
踏みしめていた板張りの床は石畳に変わり、足元にあるはずの面すらどこにも見当たらなかった。
なにが起きたのか。
呆然としながら顔を上げた潔志は驚愕する。
一変した風景は教会に似た建物の中のようで、見慣れた風景など欠片もない。
遠目に見える大きな窓の向こうには見知らぬ異国としか言いようのない風景が広がり、潔志の周囲には見知らぬ国の見知らぬ民が見知らぬ祈りのような姿勢をとって潔志を驚愕の表情で見つめている。
「……は?」
理解を超える出来事に間の抜けた音を漏らす潔志に我へ返ったか、異国の人びとは驚愕を歓喜の表情へと変えた。
「おお、神子様だ! 我らの祈りが神へと聞き届けられたのだ!」
「……はい?」
「その神々しい御姿、何処の国にも存在せぬ衣装は神の国のものでありましょう!」
「いや、あの……」
「なんと! 神子様は剣をお持ちでいらっしゃる! やはり我らの願いを聞き届けられた神が魔族共を討伐せんと遣わせてくださったのだ!」
言語が聞き取れるのに意味がさっぱり通じない。
潔志は困惑しながら視線を揺らし、興奮に上げた声で壁さえもびりびりと揺らしそうな人びとを見つめた。
「――静まれ」
幼い声が上がる。
齢は十を超えているだろう。
星色の髪に光の加減で僅かに色を変えるヘイゼルの目をした物語に出てくる王子様のような少年が、静まり返る人びとを代表するよう潔志の前へと進み出る。
「御前お騒がせして申し訳ございません、神子様。我らバリオルの民の声に応えてくださり、ありがとうございます。私はフェート、今この瞬間より神子様の従僕として運命を共に致します」
すらすらと立て板に水が如く、フェートは述べていく。それは決して暗記した内容を繰り返す棒読みではなく、フェートが心から訴える感情であることが上ずる抑揚や紅潮した頬から覗えた。
フェートのそんな姿に続こうとか、先程まであれほど興奮していた人びとも今では静かに潔志へと平服し、潔志からの応えを待っている。
(神子様かー……懐かしいなー……)
潔志は思わず彼方へ視線を飛ばした。
ひとはそれを現実逃避という。
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