小説
RaD
・マスコットと傭兵が出会った話



 俺がこうして生きているのは、なによりもちっぽけに扱われてきた相棒のおかげだった。



 降り注ぐ雨を避けながら、Dは息を潜めた。
 染み付いた血の臭いは、この雨が消してくれるだろう。運が良ければ、自分を血眼になって探していた奴らも捜索を諦めるかもしれない。いや、確実に中止するだろう。豪雨のなか、山に入るなんて正気じゃない。
 正気ではないけれど、死ぬ気で死なないために山へと潜伏するDは、口の端を皮肉に歪めた。
 掠った銃弾が肉を抉ってくれた腕は、苛立ちすら湧く痛みを絶えず与えてくる。
 勝率なんて言葉はもうない。生存率ばかりが頭を巡る。

「ああ、傭兵なんてろくな商売じゃねえよなあ」

 今回の仕事では、命を幾らで売り払ったのだったか。
 雨が止んだら本隊へ戻らなければ。それまで、自分は生きているだろうか。この山のなかで朽ちる可能性は低くないのだ。
 頭のなかを巡る家族の面影すら、とうの昔に掠れて消えた自分には、誰にも知られずこんな風に野垂れ死にするのが大層似合いだ。
 ネガティブな思考と痛む腕への苛立ちに、Dは派手な舌打ちをするが、それすら雨に奪われた。

「くそがっ」
「なんだ、お前。なに怒ってんだ」

 ひとの気配もしないのに、突然声をかけられた。
 Dはすぐさまナイフを構えて周囲を見渡すが、声が聞こえるような距離にひとはいない。こんな雨のなか、明瞭に声を届けるなんて余程近くにいなければ不可能なはずなのに。

「いきなり刃物振り回すなよ、こえーな」
「誰だ。何処にいる」
「ああ? 此処にいるだろうが」
「っ何処だ!」
「此処だって――お前の肩だよ」

 Dは幽霊の類は信じていない。そんなものの存在を認めていたら、Dはとっくに憑り殺されているだろう。
 しかし、幻聴だと言い聞かせたら、今度は自分の正気を疑わなければならない。こんな状況で自分が正気でなくなっているなんて、想像でもぞっとしない。
 恐る恐る手を肩口に這わせる。最初は左。なにもいない。次に右へと伸ばす。

「うわっ」

 突然、Dの手になにかが触れる。
 小さななにかだ。それこそ手のひらに乗りそうなほど小さいなにかがDの手にくっついた。

「おいおい、手を振り回すなよ。落ちたらどうすんだ。まあ、俺を振り落としたかったら、戦闘機の一つも持ってきて欲しいもんだが」

 ぶんぶん振り回すDの手には未だに小さな感触が張り付いて、暢気なことを言う。
 自分の手にわけの分からないものが張り付いて、それが喋っているという現実に、Dはいよいよ自分が本当に正気ではないのではないかと思い始める。

「ってかよ、お前怪我人だろうが。暴れんなよ。とりあえずは仲良く挨拶でもしよーぜ」

 ぺちぺちと小さな小さな感触がDの手を叩く。

「ほら、落ち着け。な?」

 どうどう、と暴れ馬を静止するような声をかけられて、Dはようやく手を振り回すのをやめた。
 目を瞑って三秒。呼吸を整えたDは自分の手に乗る謎の物体を目視する。

「よう。俺はクリストフ・ラット。見ての通り、しがない鼠だ」

 小さな小さな片手を上げたそれは、本人が自称するように紛うことなき鼠であった。


「俺は人間にあれこれ弄繰り回された産物でね。こんな風に喋ることもできりゃあ、思考力だってばっちりだ。下手な大卒よりも頭良いんじゃねえか? んで、自我が確立したら、とてもじゃないが現状に堪えられなかった。分かるか? 手前が食ってるもんにわけわかんねーもんが仕込まれてるって分かるのに、食わなきゃなんねーっつーのが。生活の一々をチェック、記録されて、クソまでご丁寧に検査対象だ。もちろん、あちこちに薬ぶち込まれもしたよ。
 笑えるだろ? 鼠に自我なんて高等なもんが備わった挙句、発狂しかかったんだぜ。ま、俺が手に入れちまったのはおつむだけじゃなかったんで、楽々と脱走したがね」

 小粋な仕草で肩を竦めてみせた鼠、クリス(本鼠にそう呼べといわれた)は、唖然とするDに向かって笑顔らしきものを向けた。

「んで? あんたは?」
「……俺は、Dだ」

 精巧且つ、オーバーテクノロジーでも発揮されて造られた通信機械でないかという疑いを持ったDだったが、それだったら喋る鼠などといういかにも怪しいものにはしないだろう。そう判断して、Dは引き結んでいた口を開いた。

「Dね。じゃあ、よろしくだ。D」
「……よろしく、クリス」
「おいおい、しょぼくれた顔すんなよ。お前は幸運だぜ、D? 負傷して土砂降りの山の中、乱立した死亡フラグを俺が叩き折ってやるよ」

 鼠に感じた頼もしさが錯覚でないことを、クリスはすぐに証明してくれた。
 すでに見つけていたらしい雨風凌げそうな倒れた巨木が折り重なる下にDを案内すると「ちょっと待ってろ」と一言置いて出て行き、数十分後、ビニールに包まれた毛布やら食料やらがひとりでに動いてると思ったら、クリスがえっちらおっちらと運んでいた。

「……よく持てたな」
「あん? 俺は力持ちだぜ」
「誰かに見つからなかったのか?」
「んなもん、サーチ&デストロイに決まってんだろ」

 鼠の物騒さにDは顔を引き攣らせた。いったいなにをどうやったのか、思わず視線が立派な前歯に向かうのは仕方ないはずだ。

「んなに見るな。照れるだろ」

 にやり、と笑い(なぜか表情が分かる)クリスは自分の体の半分以上もあるライターを器用に使い、美味そうに葉巻を吹かした。

「てめえは傷に触るから駄目だぞ」
「欲しいなんていってねえだろ……」
「目が物欲しそうだった。雨止んだら案内してやるから、それまで休んどけよ」
「……ありがとよ」

 大人しく毛布に包まったDの頭を、クリスはちっさい片手でぽんぽん撫でた。ごく軽い衝撃のそれが、なんとも心地よく、Dの意識はすぐに飲み込まれていった。



 負傷して、大雨の山のなか。傍には得体の知れない鼠。そんな状況でも、Dは不思議と安眠できた。当時は自分自身が理解できなかったが、数年経ったいまなら分かる。

「クリス、仕事だぜ」
「おいおい、働き過ぎじゃねえのかD?」
「それは政府に行ってくれ」
「それもそうか。さて、俺らの仕事は?」

 くあ、と欠伸をしたクリスはDの胸ポケットに収まり、ふちに手をついてDを見上げる。
 どこか愉快そうな顔のクリスに、Dもにやり、と笑ってみせた。

「サーチ&デストロイだ」

 RaDの通り名で呼ばれ、敵対した組織に恐れられる「ラット」連れの傭兵は、今日も頼もしい相棒と共に戦場を駆けていく。


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