小説
舌で美味しい目で美味しい〈祭〉



 強かに飲んだ日、隼が白の部屋へ泊まるのは珍しくない。
 悲しいというべきか、仕方ないというべきか、白自身も慣れてしまい、むしろ考えると切なくなるので諦めとともに思考を遠くの山へとぶん投げたのは随分前のこと。
 その日もよく飲んだほうなのだけれど、なんとなく気分の問題で切り上げるのは早かった。

「なのにお前さんは俺のところに来るんだね。お家にお帰りよ。使われない布団が泣くよ。おふとぅーん、おふとぅーんって泣いてるよ」
「すみません、そんなふうに泣く布団の待つ家には絶対帰りたくありません」
「鬼の子か」

 白は無表情で隼を批難する。隼にとっては心外以外のなにものでもない。この野郎、と殴りかからなかったのは頓に白との実力差を把握している以前に、白のこのくそったれな性格を理解しているからである。
 つまらぬ会話をする間にも白の住まうマンションへと到着し、隼は慣れた様子で上がり込みながらも「お邪魔します」との一言を忘れない。

「あーあ、中途半端に食べたからなあ……なにあったっけ」
「店は閉まってますからね」
「コンビニでは材料を買う気になれない不思議」

 バナナまでなら許す、という白のなかでの線引は当然隼にとって不可解である。もっとも、白自身てきとう極まりない決定なのだろうけれど。
 まあいいや、とこれまたてきとう極まりない言葉で締めて、白は「てきとうにお茶でもしておいで」と隼に向かって手を振る。てきとう尽くしだ。
 慣れた人間の「てきとうな料理」というものは、慣れていない人間にはいま一歩ついていくことができない。なんといってもルール無用の無差別料理だからだ。材料があって味付けがどうにかなればそれでいい。
 冷蔵庫にある残り物で二、三品作れたらとりあえず一人前。ちらりと白が言っていたような気がする、と思い出しながら、隼はポットを開けてお湯が熱いことを確認すると白が戻るまでの時間を考えつつ茶櫃から湯のみを出して用意を始める。
 知り合いが一人もいない土地で一人暮らしをすることになったのに、しっかり茶櫃を備えている白が隼には不思議だ。来客用の湯のみなどという気の利いたものはなかったのに、どういう基準なのだろうか。聞いたところで返るのは「気分」の一言だろう。
 急須と湯のみを温めていると、台所のほうから香ばしい匂いとともに白の歌う声が聞こえてきた。
 ――どんなにちいさいことりでも。

「……似合わねえ」

 歌詞もそうだが、賛美歌そのものがまったく似合わない。
 よいこになれないわたしも愛してくださるとはどんな表情で歌っているのか。確認するまでもなく安定の無表情だろう。
 白は平素、抑揚をまったくつけずに話したり、地獄の底から響くような低い声を出したりすることも多いが、まったくなんの色もつけない素の声音は然程低くなく、また重くもない。
 普段のくそふざけたとしか言いようのない情緒豊かな鼻歌から察せられる通り、歌声の幅が広いのだとなんとなく気づいたとき、隼は少しうれしかった。
 湯のみを温め、程よい温度になった湯を隼は急須へと戻す。先に温めて湯のみへ湯を移した急須には既に茶葉を入れており、蓋をして少しだけ蒸していた。
 急須のなかでじわじわと開いていく煎茶の茶葉を想像しているところへ、白の「隼ちゃん、ご飯できたよー」と呼ばう声がする。

「はい、今行きます」

 皿運びやら箸を出したりやら、細かくもやることはあるのだ。
 ちっとも大儀そうな様子なく台所へ向かいつつ、隼は「今日はなんですか?」と楽しみに弾んだ声を出す。

「椎茸と鶏肉」

 立ち止まる。
 蟀谷へ指先をあてて呼吸を一回。

「すみません、総長。材料で言われるとすごく反応し難いのですが」

 椎茸と鶏肉でなにを作ったのかを知りたいのだ。
 訴えながら顔を覗かせた隼に、白は真っ直ぐと指を皿に向かって伸ばす。

「……椎茸と鶏肉ですね」
「だろ?」

 紛れもなく椎茸と鶏肉があった。
 焼いただけの椎茸と、これまた焼いて塩を振った鶏肉、手羽元である。
 白はなにも間違っていなかった。
 これは、椎茸と鶏肉。

「ご飯は焼きおにぎりにしたよ」

 別の皿で良い匂いをさせるのは、白胡麻と鰹節、醤油を混ぜた焼きおにぎりに、青じその醤油漬けを貼り付けたもの。香ばしい匂いに紫蘇の香りが堪らない。
 間違いなくあるものだけでぱぱっと作ったのだろうが、隼は中途半端に満たされていた腹が急激に空いてくるのを感じる。それだけ、美味しそうで、事実、美味しいこと間違いなしなのだ。
 いそいそと皿を運び、急須から茶を注いで白が腰を落ち着かせるのを待っていた隼はそわそわとしてしまう。

「待てとか言いたくなるけど、ご飯が冷めるのはよくないからね。食べよっか」
「はい!」

 いただきます、と声を揃え、隼はまず焼きおにぎりに被りついた。
 ぷつ、と葉に食い破られた青じその風味が香ばしいご飯と絡み合い、鼻から抜けていく青い香りと舌に絡む醤油の味わいが最高だ。一口食べたら余計に腹が減る。
 焼きおにぎりを一つ、ぺろりと平らげて、隼は焼いた椎茸に箸を伸ばす。
 肉厚の椎茸には余計な手など加えられていない。白は「物足りなかったら醤油使いなさいな」といったけれど、隼はまずそのまま齧りつく。
 じゅわ、と椎茸の旨味が口に広がる。
 きゅ、きゅ、という歯ごたえも楽しく、時折感じる仄かな香ばしさが後を引いた。

「ああ、美味しいですね」
「そいつはどうも」

 ここで隼は茶を飲んで、それから手羽元へととりかかる。
 ぱりっと表面焼けた皮の部分を思い切って齧り剥がし、鶏肉独特の甘い味わいを楽しみながら、皮よりもさっぱりとした身の部分も骨から剥ぐように食べる。
 鶏肉の旨味を含んだ油と、ぱらぱらと振りかけられた塩が指をべとつかせ、行儀が悪いのを承知で隼は舐ってからティッシュで拭う。
 油でぬるつく唇もぺろりと舐めれば、腹がきゅう、と満足の声を上げた。

「おにぎりまだあるよ」
「いただきます!」
「……普段なに食ってんだか」

 呆れを含んだ苦笑の気配に、隼は満面の笑みを返す。
 白について回るようになってから、隼の食生活は格段に数段に跳ね上がっている。
 それでも毎回、白が呆れるくらい熱心に食べて感動してしまうのは、それだけ白の作るものが美味しいからだ。
 それだけ白の作るものを逃したくないからだ。
 それだけ――美味しい、と頬張ったときの白の目が、優しいからだ。
 その日も隼は白の家に泊まり、翌朝一緒に作る朝食を楽しみにしながら床へついた。

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あきゅろす。
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