小説
十話



 月柳流道場に連れて行ってから、源太は潔志が源柳斎を訪おうとする度に引っ付いてくるようになった。
 リードを咥えて玄関で待つ犬などという可愛いものではない。
 いつの間にか鞄に入り込んでいた猫なんていう憎めないものではない。

「ししょーししょー、司馬さんとこ行くなら俺も連れてって! やだやだやだやだ置いてっちゃやーだー!」
「くっ、離してよ!」

 潔志から色よい返事を貰うまで離す気のない源太は潔志の片足に全身で抱きついている。下手に足を振り回せば蹴り飛ばしかねず、潔志はなんとか源太の頭を引き剥がそうと毬栗頭へ手をかけるも、その手は源太の頭がじょりじょりと擦り付けられるだけで終わった。手のひらがこそばゆい。
 源太はすっかり源柳斎と蝶丸に懐いてしまい、ふたりのようにいつも出迎えてくれるわけではないものの、八雲にも可愛がられたことで彼にも即行で懐いた。
 潔志にはまったく理解し難いことに、源太は何処へ行ってもかわいがられるのだ。
 客観的に見て、少々くそがき成分を含んではいるものの、源太は憎めない性格をしており、その言動や表情には愛嬌がある。
 それだけでも大分お得だというのに、潔志を知るものたちは潔志と源太のやりとりを見てからはまるで正月に会った孫に対する祖父母のように源太を扱い出す。
 源柳斎は源太が持参したドリルを見て勉強を教えてやっているし、蝶丸は源太のためにおやつを用意している。八雲はぽち袋に小遣い入れて「相葉さんに預けておくからお手伝いしたらご褒美に貰いなさい」と積極的に源太を潔志へ絡ませに行く機会を作ってくる。
 実家は実家で源太は不肖の息子による被害者だ。潔志がもっとも恐れる清子は一も二もなく源太贔屓であるし、両親も「これを切っ掛けに多少は……」と思っているのが丸分かりだった。
 親しい……と言えば何人かが遺憾の意を示すだろうが、潔志をよく知るものはこぞって源太に味方している。
 こんなことならば源太を連れて源柳斎を訪ねるのではなかったと歯噛みしてももう遅い。源太は絶賛潔志に巻きつき中である。

「ねーねーねーねー! ししょーってばー!!」
「お前、いい加減にしないと熱中症になるよっ? 外が何度だと思ってるの」
「司馬さんちなら涼しいじゃん」
「山の中だからね。お前は文明の恩恵に預かってればいいよ」

 まるで司馬家が文明に置き去りにされているかのような物言いである。司馬家にはネット回線も引かれているというのに。

「暑いのなんてへーきですー、斬ればいいんですー」

 語尾に小さい母音がついていそうなイラッとする間延びした声で、源太は斬撃に狂った発言をする。だが、受け手は潔志、同じく、否……さらに上をいく斬撃狂いである。潔志は源太の言葉に「確かに」と納得しかけた。
 それを好機と見たか、源太は潔志の足をよじ登って腰に抱きつくと、腹に回した両手足をがっちりと組んだ。

「ししょー、お願いお願いいっしょーのお願い!」
「お前、この前もお風呂あがりのアイスもう一本欲しいって言って一生のお願い使ったじゃん……」

 典型的な一生のお願い乱発をする源太に潔志は深くため息を吐き、自室の時計をちらりと見やる。
 源柳斎はど田舎に住んでいるため、時間をきっちりと見図らないと電車で苦労するのだ。
 そこでふと、潔志はこれだけ落ち着きのない源太が長時間の電車移動にはまったく文句を言ったことがないのを思い出す。
「まだつかないの?」も「もう疲れた」とも源太は言ったことがないし、退屈のあまり不機嫌になることもない。
 電車好きのこどもは多いが、電車にそこまではしゃいでいる様子があるわけでもない。

「……源太、お前電車にいつまでも乗ってるの嫌じゃないの?」

 少しでも嫌なら無理しなくていいんだよ? と期待を込めた潔志の問いは、きょとんとした無垢な目で見つめ返され、続く言葉によって叩き落とされる。

「電車って乗ったらいっつもあれくらいだし」
「……お前どんなとこに住んでたの」
「司馬さんとこにちょっと似てる。へへー、おっきな山があってねー、その麓の村だよー」

 お祭りの時期は外からもお客さんが来るのだと源太は得意気に鼻をふんすふんす鳴らす。地元愛があって結構である。恋しいならいつでも帰って良いよ、と潔志は思うが、源太が帰れない事情を作ったのは潔志である。過去に戻れるなら潔志は自分を斬る……のはまずいので、森山一家が山菜採りにやってくる前に熊出没注意の看板を立てかけておくことにする。

「だったらさー、懐かしい気分だけでも味わえる源柳斎のとこの子になっちゃいなよ」
「お? お、お、お? ししょーってば焼き餅? へへー、ししょーの弟子はししょーに一生ついていくもんねー!」
「やめろ」
「今日ちゃんと司馬さんとこまで連れてってくれたら考えてあげてもいーんだけどなー? へへー」

 背中から聞こえる声音に源太のしたり顔を想像し、潔志は拳を握りしめる。
 斬りたいと思った回数は生まれてからもう数限りない。
 だが、これほどまでに誰かをぶん殴りたいと思ったのは、斬撃に狂った生を受けてから初めてのことだった。
 潔志は一秒でも早く源太を親元へ帰せるときを待ち続ける。

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