小説
五話
潔志が「斬る」ことを目的とした外出に源太が付いて行くことを、清子は非常に渋い顔をした。
実の兄に対するよりも真摯に誠意を以って心からの言葉を尽くしながら説得をしたものの、源太は「ししょーについてくの」と言って聞かない。
しまいには潔志が瞳孔かっ開いた清子に襟首を締め上げられ「『間違い』を起こさないでちょうだい」と固く言われる始末。
この状態の清子は言葉では言い表せないほど恐ろしく、また潔志にとっては既視感覚えさせる。
「わ、わかったー」と若干上ずった声で了解するも信用していないことがありありと分かる目で睨まれ、かと思えば源太を涙目で抱き締めるのだから差別極まりない。日頃の行いによる差を見せつけている。
清子さえ乗り越えれば他に止めるものもなく、潔志はざわりざわりと血潮巡るのに合わせて沸き立つ斬撃欲に興奮しながら予定を組む。
潔志とて分別はあるのだ。源太のことがあったばかりでひとを相手に斬りにいくのがよろしくないことくらい分かっている。
ひとの入らない山にでも行けばなにかしらあるだろうと考え、緩みっぱなしの口を必死に押さえた。
源太は遠足間近のこども同然ではしゃいでいるが、そんな源太に絡まれようが纏わりつかれようがまったく気にならないほど潔志はご機嫌だ。
やはり、斬ることは我慢するべきではない。
斬るのだ。
斬ることは当たり前なのだ。
斬って、斬って、斬って、斬った先の果てさえ斬って。
素晴らしき斬撃が世界に満ちる瞬間を潔志は夢想する。
そして、気づけば朝だった。
夢想はほんとうに夢となり、潔志は夢のなかで斬ったような気がするなにかの感触を思い出す。
とても、楽しかったはずだが、すぐに思い出せなくなってしまった。
斬るのだと思えばもとよりそれしかない潔志は源太というこどもを連れていることに気遣いもなく山を歩く。
神剣携え、何処に何が在るかも分からぬ山を歩いているのに、潔志は何処に向かえば斬れるのかが分かっていた。
故に足取りに迷いはなく、立ち止まることもないままに進み続ける。
そんな潔志の後ろ、意外にも源太は平然とした様子でついてきていた。
きょろきょろと周囲を見渡しながらも潔志から逸れる様子はなく、疲れた様子さえもなく、足取りは軽々としたものだ。
源太の片手には肥後守がある。
斬りに向かうという潔志に源太は自身も「斬ることに使うもの」をこれでもかと欲しがった。
木刀の類は振り回せば危ないし、第一斬るものではない。如何にこどもの好奇心を一時的に満たすためとはいえ、斬撃狂いなりの拘りが本来斬ることに使えないものを渡すことを良しとできなかった潔志は御幣などを作る際に用いる刃物を思い浮かべたが、それはやはりこどもに持たせるには危ないかもしれない。選ばれたのが刃物の形状をしていて切れ味に制限のある肥後守だった。
潔志から渡された源太は大層喜び、クーゲルシュライバーと名前をつけていた。設定は斬鉄剣でも斬れないこんにゃくさえ斬ることのできる最強の刀らしい。潔志は「そうなの」と特になにも思わず相槌を打った。
楽しそうに手を振りながら歩く源太がついてきているのも意識の外へ向かい始めた頃、潔志の口端からだらりと涎が溢れる。
近かった。
もうすぐ、もう少しすれば、そこに鋒が届く。
樹と樹と樹と樹の間、風が通り抜けて運ばれる青い匂い、清しさのなかに交じるほんの僅かな違和感。
「ふ、ひっ」
興奮に喘いだ潔志が神剣を緩く握り、一歩踏み出す。
瞬間、その足元を疾駆する小さな影。
目を見張った潔志の眼前、潔志の手がほんの僅か届かない、間に合わない目の前で、なにかが斬られる。
さくり、とそれは拙い音をたてて。
未熟な斬撃はしかし、結果だけを言えば斬ってしまった。
潔志の丸い目が零れ落ちてしまうのではないかというほど見開かれる向こう、小さな影は鼬のようなすばしっこさで振り返り、見慣れてしまった笑顔を潔志に見せる。
「へへー! ししょー、斬れた!!」
クーゲルシュライバーと名付けた肥後守を持った片手を突き上げ、源太が得意気に笑う。
ゆるり、と丸い目で源太の周囲を窺った潔志は「なにもない」ことを確認するしかできず、再び源太へ視線を戻した。
肥後守を持つ手とは反対の手で鼻の下を擦りながら潔志のもとへ戻ってきた源太の駆け足は、やはりひょいひょいと素早い。
ひとの入らぬ山のなかであることを忘れた動きはまるで天狗のようだ。
「どう? どう? クーゲルシュライバー最強でしょー? へへー!」
ちょろちょろと栗鼠のように潔志を軸に周囲を駆けまわる源太。
なにを斬ったのか、なにが斬れたのか、なにも理解していないがただ斬れたことだけは分かっている。
それは、間違いではない。
斬りたいから斬って斬れたのであれば、それだけだ。斬撃とはそれで完結できる。世界とはそれだけで完結される。
そう、常の潔志であれば片付く全て。
だが――
「へへへ、斬っちゃったもんねー。ししょーより早く斬っちゃったもんねー! へへー、斬れたー!」
キレた。
相葉潔志は根本的には怒りを知らない。
燃えるような、燃えた瞬間に凍るような、感情全て吹き飛ばすような怒り、私憤というものを、潔志は今まで知らなかった。
なにを言うより早く、なにをしていると自らが理解するより早く、感情が理性押しのけ肉体を動かす。
「みぎゃッッ!!」
轟と音を立てて源太の脳天へ落とされた拳は、源太が着衣を拒んだときの比ではない。
神剣握ったままの拳を源太へ落とした潔志は俯き、その影になった表情はどこまでも真顔であった。
潔志は認識する。
――森山源太、こいつは自分の天敵だ、と。
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