小説
三話



 源太は見た目に相応しい腕白小僧であった。
 へへー、と愛嬌のある顔で笑う姿は憎めないが、鼻の下をカピっとさせて元気に走り回る姿を見るとなんだか生温い気分になってしまう。潔志には蜻蛉に糸を括って飛ばす遊びのなにが楽しいのかさっぱり分からなかった。
 それでも元気ならばなによりだと潔志は笑って済ませていたのだが、潔志の童顔から笑顔が消え去ったのは源太が相葉家へやってきてから数日ほどした頃のこと。
 夫婦と親子の縁が希薄になったとはいえ、年齢から考えて「親」そのものへは恋しさがあるだろうと源太は潔志の両親の部屋にて寝起きを共にしていた。
 季節は夏、温暖化の影響と年齢を考えて潔志の両親は寝る際にタイマーを設定したエアコンをかけたままにしている。
 だが、潔志は違う。
 天気予報などで「これは危ない」と思えばエアコンを点けることともあるが、日中以外は概ね扇風機で済ませるのが例年の潔志である。
 つまり、潔志の部屋は暑い。
 そんな潔志の部屋で源太が寝たいと言い出したとき、潔志は特に深い考えもなく了承してしまった。
 なにせ、自分の不手際による被害者である。ささやかな願いの一つも無下にすればとんだ外道だ。潔志はこれでも老若男女に評判の良い神職だった。妹と剣士からの評判は地の底を穿っているが。
 ししょーと仰ぐ潔志と一緒に眠れるということで、源太はとても楽しそうだった。あまりに楽しそうな様子に「だったらついでにお風呂も一緒に入ったら」と母に勧められ、源太の年頃ならまだ余裕であるとやはり潔志は深く考えずに「どうする?」と源太へ訊ねる。

「入る!」
「うん、じゃあ入ろうか」

 着替えを用意して握り込めてしまう源太の手を繋いで風呂場へ向かえば、源太はよく分からない鼻歌を唄いながら戦隊もののパンツをすぽーんと脱いで行く。
 潔志は下から脱いでいくのかあ、と思いながら「風邪ひくから先に中入りな」と源太を促した。
 元気の良い返事に相応しい足取りで浴室へ向かった源太。直後に派手な物音。潔志が覗えば尻を押さえて足をばたつかせる源太がいる。

「……なにやってるの」
「ししょー、転んだ! 俺の尻割れてないっ?」
「いや、お尻は割れてるものだから安心しなよ」
「そっか! へへー、ならいいや」

 いいんだ……と微妙な顔をする潔志に気づかず、源太は尻をぱしんぱしん叩いてかけ湯に向かうので、潔志も気にするのはそこまでにして浴室へと入った。
 源太ともどもかけ湯を終えて体を洗っていれば背中の流しっこなどもあり、潔志の童顔と相俟って傍目には仲の良い兄弟のような光景が繰り広げられる。
 浴槽へ入るときは向かい合ったが、源太は途端に目を輝かせた。

「すげー!」
「え、なにが」
「ししょーの腹筋六個!」
「ちょ、波立てないでっ」

 触って確かめたいのだろうが、浴槽に使っていれば当然腹は湯の中。叩くような源太の手に合わせて潔志の顎へ湯がかかる。

「へへー」
「……もう」

 苦笑する潔志の腿に乗るようにして、源太は背中を潔志の胸へぺたんと預けた。

「ねー、ししょー」
「んー?」
「ししょーはいつ斬るのー?」
「あー……」

 潔志は源太の毬栗頭に顎を乗せて唸る。振動が響いたのが面白いのか、源太はけらけら笑った。なんでも楽しめて良い性分だ。
 いつ斬るの、とはこどもが持ちかけるには随分物騒な問いであるが、いつ斬ろうねえ、と呟いてしまうほどに斬撃狂いはその辺りを気にした様子はない。
 源太の出来事があったために潔志はほいほい斬りに出かけられないのだ。
 如何に超常的な事件起こしたとはいえ、常識的に考えれば二度と斬撃がどうのとは言えないようにされてもおかしくはなく、勘当とて考えられるだろうに潔志には微塵もその気配がない。
 相葉家の人間は、鎮劔神社に深く携わる人間は知っているのだ。
 潔志から斬撃を、神剣を取り上げればどうなるか、鎮劔神社から追い出すような真似をすればどうなるか。
 それくらいならば斬撃狂いを一人、世へ解き放ったほうが何倍もいい。少なくとも、死人を出すことはないのだ。
 だから――

「そうだねえ、そろそろ斬りたいなあ」

 く、と持ち上がった潔志の口角。
 神剣携えた潔志が「斬ってくる」の言葉とともに玄関へ立ったとき、引き止められるつもりで止めるひとはいないだろう。

「ししょー、俺も! 俺も連れてって!」
「ええー……」

 やはり本気なのかと潔志は渋い顔をする。
 だが、こどもとは得てして言い出したことにはやってみないことには納得しないものだ。

「……清子がいいって言ったらね」

 だめな大人と謗らば謗れ。潔志は妹に斬撃道中へ源太が同行する許可を出すか否かを投げた。
 兄の被害者である源太に清子は殊の外胸を痛めており、そんな清子を源太はやさしーねーちゃんと見做しているのでこれはもう許可が下りたも同然とばかりに喜ぶ。
 そうこうしている間に体が温まり、ふたりは風呂から出たのだが、事件は潔志の部屋で起きた。
 繰り返すが潔志の部屋は暑い。
 そして、風呂によって体はほっこほこ。
 源太は、着衣を――拒否した。

「暑いときとかずっとすっぽんぽんだったぜー」

 源太が前開きパジャマの釦を留めないことをやっぱり深く考えずに流した潔志だったが、自身の部屋へつくなりキャストオフされれば流した思考がぴたりと止まる。
 長い間を空けて差し出したなにをやっているのかという問いに対し、返ってきたのは朗らかな全裸宣言。

「地元狭いし、知ってるひとしかいないからさー、川とか庭先とかで皆結構すっぽんぽんだったけど、こっちだとエアコンあったかんねー。でも、ししょーの部屋あちいし、やっぱすっぽんぽんが一番だよな!!」

 へへー、と笑いながら源太は鼻の下を擦った。
 潔志の顔から表情がごっそりと消える。
 齢一桁の神隠しを経験してから芽生えたのは斬撃への渇望だけではなく、潔志にはどうしても許容できないものがあった。
 呼吸を一回、潔志は拳を握る。

「――服をっ着ろッッ!!!」

 家中に響く声で怒鳴り、潔志は源太の毬栗頭へ拳骨を落とす。
 剣を握るものの硬い拳は重く、源太は弾みで鼻水をぷん、と飛ばしながらしゃがみ込んで、そのままごろんごろんとのたうち回る。
 その向かいで潔志は荒い呼吸を繰り返しながら肩を上下させ、両目見開いた顔を隠すように片手で押さえている。
 相葉潔志、アラサー斬撃狂い。
 彼は裸族に並々ならぬ拒否感を抱いていた。

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あきゅろす。
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