小説
机上へ向かい軍靴を鳴らせ(前)〈GV〉
・ヴェルムの追想



 ヴェルメイユ・ド・ニュイブランシュ=エタンセル、愛称をヴェルム。
 ――通称を鉄の愛国者。
 ニュイブランシュ=エタンセル家当主にして、ガルディアン公爵領を受け継ぐヴェルムには二人の弟がいる。いた。
 一人は己の右腕であるバントル伯ヴェールドメール。穏やかな気質の長弟は、何処までも厳しくときには冷酷にすら見えるヴェルムをよく補佐してくれる存在だ。鞭のヴェルム、飴のヴェールとはよく言われたものである。
 もう一人は三兄弟の中で唯一軍に身を置いた末弟、シラーヴ伯ヴィオレフォンセ。皇后の騎士にして、帝国が擁する生ける戦略兵器「魔法使い」の末弟には長弟のときにはなかった苦労をした。
 生まれながらに桁外れの魔力を有し、その魔力が欠片たりとも無駄にならない術式への理解を幼少期から見せた末弟は、正しく天才だったのだ。
 それは良い。誇らしいことだ。公爵家の誉でもあり、行くゆくは国の歯車として役に立つだろう。
 だが、末弟は己の才能に自覚がありすぎた。
 次から次へと得意分野、専門分野を別とする師を変えなければ追いつかないほどに知識を吸収し、行使する末弟にヴェルムは誰よりも早く危惧する。
 自分ならばできる。
 実際にできた。
 自分にできないことは、ない……?
 そんな風に末弟の意識が切り替わる直前、ヴェルムは末弟を殴り飛ばす。

「自信も品性も見合った分だけにしろ。なんだ、その品のない顔は。そのような体で公爵家の人間を名乗るつもりか、愚弟」

 魔術学院高等部で習う術式行使を成功し、得意気な顔をする末弟を殴り、蹴り飛ばし、頭を踏み躙った。
 あのとき、末弟はまだ齢一桁だったので手加減が大変だったのを覚えている。長弟が慌てて止めにこなければ内臓を潰していたかもしれない。
 もっとも、末弟の潤沢な魔力は内臓が潰れても即死を防ぐくらいはするだろうと計算していたけれど。
 卑屈な人間になられても困るので、とにかく見合った誇りと品性を持てと徹底して躾けた。
 両親には苦言を呈されたが、ここで手を抜いた場合における不利益を感情省いて説明、異論を求めれば溜息を吐かれて終わったので黙認も同然だ。それに長弟が末弟を庇い、慰めるなどしていたため、ヴェルムは手加減をする必要を見出さない。

「ヴェール兄上、ヴェルム兄上は私が嫌いなのですか」

 新たな師の唱える術式理論の綻びを論破し、泣いて飛び帰らせた末弟を躾けた後のこと、長弟の膝に縋る末弟が声を震わせているのを聞いた。

「そんなことはないよ。兄上はヴィオレが大好きだから、将来ヴィオレが困ることがないように今厳しくしているんだ。ただ、厳しくしすぎていると私も思うよ……あのひとはどうしてこうも極端なんだろうね」

 さらさらと末弟の髪を梳きながら長弟が困った顔をする。

「ヴェルム兄上は私が術式の才などないほうがよかったのでしょうか」
「それはない。兄上はお前にとても目を掛けている。将来、お前はこの国の役に立つと期待しているよ。兄上にとっては煌星のような存在だ。
 ねえ、ヴィオレ。先日、陛下の側室がお産みになった皇女殿下が掴まってなら歩けるようになったのを知っているかい? いま、カスタニエの貴族で歳が近いものはお前以外にいないから、これから顔を合わせる機会も増えるだろう。兄上はそのことも考えられているんだよ……分かるかな」

 まるで揺り籠のように末弟を抱き上げてあやす長弟は、慈愛しか存在していない目を穏やかに弓なりにして末弟に囁く。

「だから、ヴィオレ。お前はお前の才能を伸ばしなさい」

 ――我らが帝国のために。
 声に出さぬ長弟が視線だけをヴェルムに寄越し、小さく頷いた。
 末弟の才能は国のためになる。
 皇家の血を引くものならば、その一滴足りとも余さず国へ捧げるべきだ。
 国へ、民へ、国から、民から、与えられた全て利子をつけて返そう。
 愛する子らへ託す未来がより良いものであるように。

「皇女殿下の御友人に関して奥は随分とお悩みになっているようですね。母君の身分は決して低くない。釣り合う家で相応の女児は――」
「ヴィオレフォンセを推しておけ」
「……ヴィオレは母上に似ていますが、男子ですよ? 頼れる従兄弟ならばともかく『友人』には不適当かと思われますが」
「あれは政治よりも軍事向きだ」
「騎士……の可能性をお考えですか。母上の血に感謝ですね。父上だけでは流石に我が家へ繋がりが集中し過ぎると反感を買っているでしょう。
 分かりました、挨拶には私が連れていきます」

 長弟とともに後宮に住まう側室のもとへ挨拶を述べに向かった末弟は、初めてまともに対面した物心もつかぬ皇女になにやら興奮した様子であった。
 自分が手を引く存在なのだ、とそれとなく言われ続けていたのだから、既に特別な存在となっていてもおかしくはない。
 ただ、予想外であったのは、成長するにつれてその特別という感情に鮮やかな色が乗ったこと。
 ヴェルムの躾の甲斐があって弁える末弟は一言足りとも口に出さないが、誰よりも末弟を注視していたヴェルムにはその変化がよく分かった。
 社交界へ出る際、その声の性質で悩む己に少女人形を下賜してくださったと苦笑のなかに愛おしさを滲ませる顔も、不穏の影に通例よりも早い入営を決められ同時に皇太子と皇女の婚約が決定したときの微かな痛みと安堵に似た喜びも、死地へ向かう背中に一切の恐れなき誇らしさも、全部見ていた。
 ヴェルムはその感情を咎めない。
 末弟はただただ願っていたから。
 ヴェルムが国の安寧と繁栄を願うように、ひたすらに皇女の、皇后の幸いと平穏を切望していたから。

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あきゅろす。
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