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短文
非道なる・共鳴
どうしよう。

江戸時代に来てから今まで、散々この言葉で哲学を繰り返してきたが、今度ばかりは答えに辿り着けないのではないか。

少なくとも普通に生活していればなかなか遭遇しない。

この目の前に落ちている本には。

「‥‥‥どうしよう」

大してこの状況が打開されるわけでもないのに、口を突くのは毎度お馴染みの疑問符。

どうするべきか。

いっそ知らないふりが出来たらいいのに。

しかし部屋の真ん中にどうどうと開かれて置かれているそれを無視するなんて無理がある。

その置かれた本には、男女が交わる様が描かれていた。

金の屏風を背景に床に横たわる二人は、ただ眠っているのではないのが一目瞭然で。

薬売りの持ち物であるのは確かなのだが、まさかこんな風に忘れていくなんて思いもしなくて。

怪しい薬を売っているのも知っている。

こういう本を売っているのも知っている。

でも薬売りは今まで一度だってそれらに私を関わらせようとはしなかった。

私も関わりたいとは思わなかった。

しかし関わらざるを得ない状況に追い込まれてしまった以上、対処する以外に道はない。

「ええと、とりあえず閉じよう、うん」

自分に言い聞かせるように大きく独り言を言って、本に手を伸ばす。

そしてページに手をかけた時。

ガラッ

滑らかでない音を立てて、襖が溝を滑る。

全てが、見事に、停止した。

廊下に佇む浅葱色。

その青い視線はまず私を見て、次に私の手を見て、さらにその手に捕らえられた本を、見た。

「‥‥‥ほぉ」

薄紫に彩られた唇が小さく声を上げる。

突然、この光景を理解する。

私がエロ本のページを興味津々に開いているように見える、この光景を。

「いや、違っ、これはね?!」

本から手を離して、反射的に否定を述べる。

こんなの、薬売りにとっては真だろうが偽だろうが良いからかいの材料でしかない。

「貴方が忘れていったから‥‥‥!」

ああ、やっぱり無視しておけば良かった。

何も知らないふりをして、薬売りが回収してくれるのを待てば良かった。

薬売りは何も言わず、私の隣に腰を下ろす。

私は薬売りが悪いという姿勢は崩さず、懸命に睨み続けた。

薬売りは下方に目を向ける。

「こういうものに、興味がお有りで?」

紫色の爪が紙を凹ませる。

描かれた女の顔が歪んだ。

「だから‥‥‥っ」

私が再び否定しようとすると、薬売りは目を細めて私を射抜いた。

ぐ、とそれ以上言葉を紡げなくなる。

「貴女の、本能に、問うている」

本の中を差していた指は離れ、代わりに私の後頭部に触れた。

押さえるでもなく、緩めるでもなく。

程よい距離の中で、絡み合った二つの吐息。

「興味が、有るのか、無いのか」

興味が全くないといえば、絶対に嘘になる。

けれど見たいか、と問われればそうではなくて。

「‥‥‥薬売りさんは、あるんですか?」

薬売りは予想していたように口元を緩めた。

「有りませんね」

間髪入れず返ってきた答えに、私は驚いた。

「な、んで‥‥‥?」

こんな言い方では、まるで興味を持っていて欲しかったようだ。

男の人は皆興味を持っていると思っていたのに違ったから、ある意味で裏切られたと思ったのかもしれない。

「俺は貴女にしか、興味は、有りません」

後頭部を押さえる手に力が込もる。

距離はじれったい動きで縮められ、これ以上埋められないところに辿り着いた。

触れた熱に身体が震える。

すぐに薬売りは離れて、私の目を覗き込む。

「‥‥‥だから、そんな泣きそうな顔を、しなさんな」

泣きそうな顔?

そう言われて意識すれば、眉間には力が入っているし、唇も真一文字に引き締められて、目頭も熱い。

薬売りには今にも泣きそうな顔に見えているだろう。

私は顔を隠すために薬売りの胸に額を押し付けた。

緩やかな鼓動が伝わってくる。

「‥‥‥薬売りさん」

「はい」

「私にしか興味ないなら、私にだけはドキドキしてください」

「‥‥‥はい、はい」


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あきゅろす。
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