竜光ヶ淵
6
雪がすっかり解けて、田植えの時期が近くなっていた。村中忙しそうにしているが、りんは一人寺の住職から字を習っていた。
冬の間からずっとだ。といっても字を覚えるのはほどほどで、もっぱら手習いの時間だった。
「もうそろそろ文を書いてもいいだろう」と住職が言うので、その日りんは紙と硯の前に畏まっていた。朝からずっと畏まっている。文は書きあがらない。書きあがらないままその日は帰った。
日が変わっても文は進まなかった。しまいに嫌気が差してきて、りんは畳の上にくたばった。それを、上から住職がひょいとのぞいた。
「まだできないか」
ぎょっとして飛び起きる。その拍子に文机を蹴った。やっと三行ばかり書いた紙に炭が跳ねて黒くなった。それを面白そうに見やって、住職は袖の下から何かを出した。
「お前の母親からあずかった」と手渡した。それは冬に貰った文だった。「手本だと思ってもう一辺読むといい」
りんは言われたとおりもう一度文を読んだ。元気でいますか。あれそれを送ります。またぜひそちらに行きたい。両親によろしく。そんなところだった。参考にならない。
それでもその日が暮れるまでに何とか書きあがった。元気でいます。あれそれをありがとうございます。ぜひいらしてください。天気がいいのでうれしいです。そんなところだった。
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