支部 
【YOI】ヴィクトルの父親という人


──ヴィクトルの父親という人──





現役続行することを決意した勝生勇利はコーチであるヴィクトル・ニキフォロフとの二年目のシーズンを迎えていた。
更にヴィクトルが選手復帰したため、ヤコフコーチのいるロシアへと勇利は拠点を移している。
必然的に住まいもロシアに移し、現在は落ち着いているものの、ロシアに来るまでが大変だったと勇利は小さくため息を吐いた。

ロシアに移住する際、勇利はアパートを借りようとしていた。
土地勘のないロシアという場所でどれがいいだろうかと模索している最中、ふとヴィクトルに地域的に問題がないかなどを問うたところ、言い争いのケンカにまで発展した。

何故なら、ヴィクトルは勇利が自分の家に住むと思っており、勇利がアパートを借りるなどとは露ほども思っていなかったためだ。
勇利の言い分としては、そこまで迷惑をかけれないというものだったが、ヴィクトルは勇利の家ではあるが今現在も一緒に住んでいるのだから、気にすることは無いと言い張っては出口のない押し問答を繰り返していた。
勇利の母から『一緒の方が楽しかよ』と和やかに仲裁されたことにより、勇利が折れ、ヴィクトルの家に住むことが決定したのだった。


そして今日は、ロシアに拠点を移してからの久々の休日である。

とはいえ、勇利は朝のロードワークをこなしたため、休日と言っていいのかは不明だが。

シャワーを浴びて髪の毛を乾かすと、勇利はこの後どうしようかとソファーに座って思案する。
ヴィクトルは荷解きしていなかった荷物があると奥に篭っており、まだまだ出てくる気配はない。
それの手伝いでもしようかとおもむろに立ち上がったがところで、玄関のチャイムが鳴り、勇利は慣れた手つきで玄関を開けた。

「どちら様…って、ヴィクトル…?…あれ?なんでスーツなの?」
玄関の先には家の中にいると思っていた銀髪の美丈夫、ヴィクトル・ニキフォロフが佇んでおり、勇利は首を傾げた。

「あ、勇利!会いたかったよー」
「えぇ?!さっきまで一緒にいたのに…どうしたの?」
ぎゅうと抱きしめられた勇利は、いつものハグかと思いつつも奇妙な違和感に戸惑いを覚えた。

「……あれ?
 (匂いがいつもと違う…?)」

違和感の正体を見つけた様な気がして、咄嗟に体を離すと目の前の人物をまじまじと見上げる。
いつもの笑顔を向けられたが、よくよく見れば、ヴィクトルよりもしわが多いように見える。
髪の毛も少し後退…いや、ここは触れなくて良いかと勇利は頭皮から視線をずらす。

「勇利ー?誰だった?って…は?何してるの?!」

部屋の中から響いた叫び声に勇利は後ろを振り返った。

「…あれ?ヴィクトルがもう一人?」
そう、背後にもヴィクトルがおり、口を開けて驚愕の表情を浮かべている。
ヴィクトルでもあんな顔するだ。と妙な感動に浸っていると、玄関に立っているヴィクトルが軽く笑った。

『ヴィーチャ!久しぶりだね〜』

『…何、しれっと来てるわけ?あと、勇利のこと返して』

スーツ姿のヴィクトルに似た人から勇利を剥ぎ取り、自分の腕の中に収めると、ヴィクトルはいつもと違う険しい表情で相手を睨みつけた。
JJへの塩対応や引退するしないでケンカした時よりも、嫌悪感を示していることを感じ取り、勇利は思わず口を噤む。
二人がロシア語で話し始めてしまったのもあり、勇利は勉強中のロシア語の聞き取りに集中した。

『相変わらず連れないな。“父親”が来たっていうのに』

やれやれ、といった風に肩を竦めた玄関に立つ人物に勇利は目を見開く。

「(今、父親って言った?父親が来たのに、って言ったよね?)」

自分を挟んだまま高速で交わされる会話に着いていけていないものの、二人のヴィクトル…いや、ヴィクトルとその父親?を交互に見比べる。
確かに二人はそっくりであり、親子と言われても遜色はない。
若干、父親が若すぎる気もするが、ヴィクトルの父親ならなんとなく納得が出来る。

勇利を抱きしめていたヴィクトルの腕の力がぐっと強くなり、勇利は驚いてヴィクトルを見上げれば、彼の眉間に深々とシワが寄っているのが見えた。
頭の中で危険信号が鳴っているのを感じ取り、勇利は慌てて二人の間に割って入った。

「ちょ、ちょっと待って!この人、ヴィクトルのお父さん?!」

玄関先に立つ人を指さして勇利が声を上げれば、彼はヴィクトルに似た笑顔で手を振った。
「そうだよー!勇利、初めまして!ヴィーチャのパーパです!」
今度は勇利が分かるように英語で言葉を発して手を広げたヴィクトルの父に反し、ヴィクトルは庇うように再度勇利を抱きしめた。

「やめて。勇利に近づかないで」
「ヴィーチャのいけず…」
ヴィクトルは低い声で言い放ち、泣きそうになっている父親を無視してそっぽを向いた。

結局、玄関先で騒いでいるわけにもいかず、勇利は渋るヴィクトルを宥めて父親を家に入れた。
人生の半分以上ヴィクトルを追いかけてきた勇利だったが、考えてみればヴィクトルの両親について書かれた記事は無かったように思う。
神様の様な存在だったからあまり気にしてこなかったが、ヴィクトルとて人間なわけで、両親がいるのは当たり前だった。

ソファーの上で早くもくつろぎ始めた父親と、明らかに不機嫌なヴィクトルの間には何やら大きな溝があるようで、勇利は眉尻を落とした。
とはいえ、今まで見たことも無い様なヴィクトルの苛立ちが少し珍しく、勇利はお茶を用意しながら二人を観察し始める。

『ヴィーチャ、現役復帰したんだってね』
『…まぁね』
『ヤコフとは上手くやっているの?』
『…ヤコフに聞けば?』
『勇利、良い子だね』
『勇利に何かしたら燃やすから』

不穏な空気を諸共せず、殺気立っているヴィクトルに話しかけている父親に、勇利は感嘆とも同情ともとれる感情を抱いた。
ロシア語で会話しているため内容はとんと分からないが、雰囲気で何を話しているのか程度には分かる。

ヴィクトルは両親の話をしない。
以前、美奈子先生が両親のことを聞いた時、ヴィクトルは「父親はヤコフかな」と笑っていた。
その笑顔が少し寂しそうに見えたのは、多分、本当の父親の存在が引っ掛かっていたからだろう。

「お茶入れたので、良ければどうぞ。お口に合えばいいんですけど」
そう言って勇利がお茶を差し出せば、ヴィクトルの父親は軽やかな笑顔を浮かべて勇利にお礼を言った。

「あ、そうだ。勇利ってヴィーチャのファンなんでしょ?
 ヴィーチャの子供の頃のアルバムを持ってきたんだ。見るかい?」

「え?!見たいです!!」

唐突に振られた話題に、勇利は目をきらりと輝かせた。
ヴィクトルの子供の頃の写真なんて、ヴィクトルオタクの勇利からすれば最上級のお宝で、それを見せてもらえるなんて喜びしかない。
勇利は父親の横に座って広げられたアルバムを眺め始めた。

産まれたばかりの赤ん坊の写真から始まり、スケートを始めたばかりの幼少期、果てはノービスやジュニア大会の物まで、写真は多岐に渡っていた。
その多くに登場する綺麗な女性とヴィクトルにそっくりの男性、その間で嬉しそうに笑っている幼いヴィクトルの姿。
勇利はこの二人がヴィクトルの両親なのだとすぐに分かった。
また、ヤコフコーチもいろんな写真に映っていた。
聞いてみると、どうやらヴィクトルの父親である彼とヤコフコーチは元リンクメイトだったらしい。
歳は離れているが仲が良く、ヴィクトルが誕生した時に立ち合わせた程だという。

その写真を一つ一つ丁寧に眺めながら懐しそうに目を細めて、ヴィクトルのことを話す父親の姿に、勇利は熱心に話を聞いていた。
正反対に、ヴィクトルは面白くなさそうに眉を潜めていたが、勇利が嬉しそうに微笑んでいるのを見やり、小さく息を吐くと立ち上がった。

「勇利。俺は荷解きしてるから、何かあったら呼んで」
「あ、うん」
勇利が頷いたのを確認し、ヴィクトルは父親に視線を移して目を細めた。
『勇利が楽しそうにしてるから今は許すけど、用事が済んだならさっさと帰れ。
 あと、勇利に何かしたら許さないから』

ロシア語で言いたいことだけ言うと、ヴィクトルは部屋の奥へと入っていった。

扉が閉まると、ヴィクトルの父親は耐えきれないと言わんばかりに笑い始めた。

「あはは!…ふふ、あー、ヴィーチャが幸せそうで安心したよ。
 久々にロシアに戻ってきて正解だった」
未だに笑い続けている父親に勇利は首を傾げた。
「あれ?いつもはロシアにいないんですか?」
「私は貿易商をしていてね、ずっと世界を飛び回っているから。
 ヴィーチャのことは世界のどこにいても情報は入ってくるし、私もなるべく見ているつもりだが…。
 ほとんど家には帰ってなくてね。
 ご覧の通り、ヴィーチャには嫌われてしまった。
 まぁ、嫌われるきっかけを作ったのは私だから、因果応報というやつだよ」
「嫌われるきっかけ…?」
勇利の問いに一拍置き、彼は寂しげな微笑みを浮かべた。
「…聞いてくれるかい?」
ゆっくりと頷いた勇利にありがとうと告げ、深呼吸すると、ぽつりぽつりと話し出した。

「あれはまだヴィーチャがノービスだった頃の話だ。
 …妻が…ヴィーチャの母親が亡くなった時にね、私は家に戻ることが出来なかったんだ。
 …その時、私は海外にいて、妻が死んだことさえ知らなかった。
 久しぶりにロシアに戻った時に、亡くなったことを初めて聞かされて、頭が真っ白になったよ。
 …私がロシアに帰国したのは、彼女が死んでから半年も経った後だった」

「…」

「けれど、それは帰れなかった理由にはならない。
 半年以上も家を開けていれば、家族に事故が起きてもおかしくないのに、それを忘れてしまっていた」
「…あなたのせいでは無いです」
知らなかったのならば、帰ることすら出来ないのは当然だ。そう思って口にした勇利の言葉に彼ははっきりと首を横に振った。

「いいや。私が悪いんだよ。
 私はその後もヴィーチャをヤコフに預けて世界中を飛び回っていた」

「え?どうして…?」

「…彼女を失ったことが耐えきれなくて、前以上に仕事にのめり込んだんだ。
 ヴィーチャのことを想うなら、あの子の傍にいてやるべきだったのに、私はそれを放棄した。父親失格だろう?
 だから、あの子に嫌われるのも無理はない。
 今更関係を解消しようなんて虫が良すぎるのも分かっている。
 けれど、ヴィーチャが勇利と一緒に住んでいると聞いて、どうしてもお祝いをしたくて…。
 あの子が誰かを愛することが出来るようになったのは、きっと君のおかげだから」
意味が分からずに首を傾げたままの勇利に彼は続ける。

「勇利に会うまで、あの子は人を愛することを知らなかった。
 私があの子に愛を与えられなかったから、愛することへの基盤が出来なかったんだ。
 人が人を愛するためには、愛を知っている必要がある。
 …20年も前に私が投げ出したことを君はヴィーチャに与えてくれた。
 改めてお礼を言うよ。

 勇利、ありがとう。

 それから、ヴィーチャのことを、これからもよろしくね」

そう微笑んだヴィクトルの父親に、勇利は力強く“はい”と頷いた後、くすくすと笑い出した。

「ん?何で笑っているんだい?」
「いえ、だって…お父さん、本当にヴィクトルのこと大好きなんだなって」
どんなに嫌悪されてもヴィクトルの幸せを考えられるのは、本当にヴィクトルのことを愛しているからだろうと勇利は思う。
それが親の愛だと言うならそれまでだが、そうでない人達が世の中には沢山いることを、世界を見てきた勇利は知っている。


だからこそ、心底安堵した。


お父さんが、ヴィクトルを愛している人だったこと。



「…まぁ、ヴィーチャは望まないだろうけどね」
「そんなことないですよ。本当に嫌なら家に入れないでさっさと追い出してます」
「そうかな…。そうだと嬉しいな…」

勇利はヴィクトルとの生活の中で様々なことを知ることが出来たからこそ、確信を持ってそう言える。

「ヴィクトルはお父さんのこと、嫌いなわけじゃないですよ。
 忘れてないのが、良い証拠です」

ヴィクトルは興味の無いことに対してはとことん忘れっぽいのだ。
勇利自身も他人に興味などほとんど持ち合わせていないが、ヴィクトルとて負けず劣らずだ。
リンクメイトをどれくらい覚えているかと問われたら、両手で事足りるだろう。

「…それは、私との記憶が“嫌なこと”だったから、じゃないのかな…」
複雑そうに笑う彼に、勇利は首を横に振った。

「いいえ。ヴィクトルはどうでもいい人のことは、ケンカしたとしても忘れちゃうんです。
 次会った時には“誰だっけ?”って、本当にすぐに忘れちゃって…」

勇利は一度だけヴィクトルが人とケンカしたところを見たことがある。
何かヴィクトルの癇に障ることを言って怒らせたらしく、ヴィクトルが零度の睨みで相手に言い返していた。
数日後に、意を決して何があったのかを聞けば「ケンカなんてしたっけ?」と首を傾げられ、ケンカした人物が誰なのかを伝えれば「あんな人いたっけ?」と心底不思議そうにしていた。
リンクメイトになったユリオにそのことを話せば、「いつものことじゃん。ヴィクトルが興味の無くなった奴のことを忘れるなんて」と当たり前のように返された。

「ヴィクトルが覚えているっていうのは、それだけで特別なんです。
 だから、ヴィクトルはお父さんのことを特別に想っているんですよ」

そう言って、勇利は微笑んだ。
それにつられる様に、彼も嬉しそうに目を細めた。

「…勇利は本当に良い子だね。…ありがとう…」



それから少しして、ヴィクトルの父親が“帰る”と言い出した頃には、ヴィクトルも荷解きを終えてリビングに戻って来ていた。
勇利が玄関先までヴィクトルと共に見送りに行くと、父親は二人の姿を見て、改めて微笑んだ。

『ヴィーチャ、勇利のことを大切にしてね』
『言われなくても手放すつもりなんて無いよ』

ロシア語で交わされた言葉に勇利は理解出来ず首を傾げたが、二人が通訳することは無く、玄関の扉は開けられた。
途端に冷たい風が室内に入って来たが、父親はふと二人へと振り返った。

「勇利、もしヴィーチャとケンカしたら、うちの家においで。
 あ、そうだ、鍵も渡しておこう!」
そう言ってカバンの中を探し始めた父親に反し、ヴィクトルは眉を潜めた。
「俺の勇利に、そんなもの渡さないでよ!」
そんなヴィクトルとは正反対に目をきらりとさせたのは勇利だった。
「…お父さんの家って…ヴィクトルが育った家?!見たい…!!」
「え、ちょっと、勇利?!」
今すぐにでも行きたいと言い出しそうな勇利の表情に、ヴィクトルはぎょっとして勇利の顔を覗き込む。
勇利のきらきらした瞳はヴィクトルではなく、その先にいる父親に向けられており、ヴィクトルの背に嫌な汗が伝う。

不安そうにしているヴィクトルの顔を見て、父親も何かに気づいたらしく、勇利へと鍵を渡そうとしていた手を止めた。

「あぁそっか、家を管理してくれてる人にも顔合わせをしておかないといけないね。
 なら、今から行こうか!」
「行きます!」
「勇利ィィ!!!」

即答した勇利に、絶叫したヴィクトルの願いは届くことなく、結局三人で父親宅を訪れることとなった。

勇利のヴィクトルオタクと親バカの気質が噛み合い、完全に意気投合した二人の横でヴィクトルは深いため息を吐いたのだった。














ーあとがきー
ヴィクトルの父親が夢の中に出てきて、妄想が膨らみに膨らんだので、文書化しました。

尚、人に興味が無いと忘れてしまうというのは、私の実体験に基づいて書いてます。
一緒に仕事していた人や上司になった人、友達、恋人だった人、関係は様々ですが、興味が無くなった人からどんどん忘れてしまうんですよ…。
友達から“あの人と仲良かったじゃん?!忘れたの?”と聞かれたことは一度や二度ではありません…。
名前を忘れて顔を忘れて、自分と関わったことすら忘れます。

最近は人に興味を持つように心がけているので忘れてないと思いたいですが、忘れているのかしら…。


ヴィクトルの忘れやすい性格は他人に興味が無いからだと思っています。
また、勇利もユリオや南君のことを忘れていたことから、彼も興味の無い人のことは忘れる人だな、と。










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