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雪が降った。何年か振りの雪らしい。ぼくはただ、知らない
何年かの前、降った雪を


かじかむ指先をすっぽりと覆ったグレーとブルーのストライプ柄の手袋を擦り合わせて摩擦熱を期待した
期待した摩擦による熱は全く自身を暖めてはくれない
手袋を擦るのを止めて、手袋の上から息をはあ、とかけてやるが、逆に少し湿気って冷たくなった
外に出て数分。立ち尽くしているには辛い気温となった年始
着込んだ服は何枚に至ったかすら最早思い出せない程で
家の前に立ち、どんよりとした灰色の空を見上げた
分厚い雲のカーテンの向こう側はきっと暖かい気がした
理論的にはそんな筈は無くて、寧ろここより気温は低い筈なのだが
人は想像力といった能力が長けている。生きる全ての生き物の叡智だ
だから想像でそこは暖かい設定になった。その経緯は簡単で、ただ太陽に近いから
家の前で立ち尽くしている理由は簡単だった。ただ、人を待っている
理由は簡単だったが、現実問題その人はきっと来ない
約束をしたわけではなく、だからと確信が無いわけでもない
毎日この家の前を走っているその人に会いたかったから、寒くて痛い中、立ち尽くした
待ちぼうけというやつだ
約束はしていないから、自分が勝手に待ちぼうけ
会いたいといっても、数日前に冬休みに入った学校の部活で会っていた
しかし年末年始と部活すら休みになって、会えないという事に慌てた
毎日の様に部活で顔を合わせていたから
まさか合わせ無い日が続くなんて事考えてもみなかったのだ
年が明け、もう冬休みも残り僅かになろうとしている
慌てた時より驚いたのは昨日の夕方だ
従姉妹が雪が降ったと教えてくれたので、自室の窓からそれを眺めていれば、家の前を走って通過した相手を見かけた
目を疑ったが、見間違うわけがなく、脳に焼き付いたそれがぴたりと合致した
今日も走るんじゃないかと、ただほら、ただ、待ちぼうけしているだけだった
来なければ来なかったでいいと思っていたし、来たら来たで気づかれずに走り去ってしまうかもしれない
自分から声をかける事が果してできるかもわからなかった
だから突っ立ているだけ
体温がみるみる雪に熔けていく様で
昨日あんなに雪だと窓に寄った晴れやかな気持ちはもう無い
こんな寒い中、相手は走って来るのだろうか
何も着ていない顔の露出された皮膚が痛んだ
吐く息が濃い霧に成って視界を遮る
自分の吐いた息に視界を奪われるなんて初めてで滑稽に笑えた
まるで自分の様で。

恋した記憶はあっても、愛した記憶はない。

ただの、片想いだった


暗くなった空を見上げながら、痛くなった鼻を摩る。つん、と痛みが駆け抜けた時、足元に優しい温もりを感じて目線を下げた
飼い猫のカルピンが自分の足元に擦り寄っていたのだ
小さなふわふわの顔をズボンに擦り付けて ほぁら と鳴いた
寒くないのかと笑ってみれば、カルピンはまた鳴いて擦り付く
小さな優しい温もりに今まで張り詰めていた弦が緩んだ。高音を鳴らしていた心臓がメゾピアノの音色を奏でる
間違いなく、自分はカルピンを愛していた
愛した記憶はあるが、恋した記憶はない。
可笑しな話しだった。恋が愛に替われば、こんなに温かい気持ちになれるのだろうか?
それとも、相手を想うこの心が優しく温かくなる日はこないのかもしれない
どうか、教えて欲しい。
まだまだまだ、なにもかもがわからないでいる
それが不安感になっているのか
ただ、今は会いたかった。
鳴いた飼い猫が擦り付けていたズボンから顔を上げて、路地の先を見詰めた
小さな鼻をひくひくとさせて、長い髭が揺れる。それに釣られてそちらに目をやれば人影が揺れて現れた
彼だ。
上下に揺れながら住宅地の路地を颯爽と走って来た。一目見て、メゾピアノの音色がフォルティッシモに替わる

"あ、"

"ああ!"

世界が無音になるのはきっと自分だけで
周りの世界は音が溢れているだろう
こぼれおちた音符は間違いなく
彼への想い。

「ほぁら!」
「!」

飛び出して行ったカルピンが彼の走る足を止める
止まった彼が驚いてカルピンを見詰めてから、息を吐き出した

「よう」

笑いながらしゃがみ込み、カルピンの頭を撫でる
撫でながら自分の存在に気付いた彼がまた驚いた
こちらは瞬きをしてそれを迎える

「……越前?」
「……」
「ほぁあら」
「…!お前んちの猫か」
「っス」

項を撫でながら予想していなかった、彼から話し掛けてきたことに、感じたことのない高陽感に襲われる

ぶわり、

冷たかった足先や指先、顔がほかほかと温まり、外気には湯気が出ていそうで空気を掻き混ぜて誤魔化したくなる

「…名は」
「え?カルピンの?」
「カルピンか、変な名前つけられたもんだなお前」

薄く笑って、彼はカルピンの顎下を擽った
カルピンに慣れている処を見ると、初対面ではなさそうだ
一通り撫でたりして気が済んだのか、立ち上がりこちらを見る
その目がいつもの様に鋭くて、彼ならではになる

「おい」
「なんスか」
「何してる?」
「立ってます」
「そうじゃねぇ、こいつの散歩か?」
「……そうなんじゃない?」
「……猫にも散歩は必要なのか」
「……あ、いらないかも」
「どっちだテメェ」

見慣れた息をフシュッと吐き出して呆れ返っている
驚きついでに、更に困った事に、話す内容が思い浮かばなかった
普段から話すのは好きでも嫌いでもなく、誰かと話す時に話題とやらを考えて話した事がない
相変わらず、鋭い目付きで瞬きの数も少なく、彼はこちらを見ていた
流石にこんな真冬にタンクトップ1枚で走るわけがないので、羽織るパーカー姿が珍しい
それでも下はハーフパンツで寒そうを通り越して痛々しい

「…寒そう」
「あ?走ればんなもん関係ねぇ」
「元気っスね」
「テメェがだらしねぇんだよ」
「いや、海堂先輩が特異なだけっス」
「なんだと?」
「なんでも」

ふ、と笑えば歯を食いしばって怒る顔を見せる
そうゆう素直な表現が豊かだ
嬉しさも怒りも隠さない。わかりやすい性格をしている
何を言えば怒るのかは把握しているつもりでいる。何たって自分の吐く言葉の半分以上に彼は怒るのだから
それなのにこんな感情を持ち合わせたのは運が悪いのか、よくいう神様の悪戯とやらか
未だに彼を喜ばせる術は知らない

"どうして好きになったんだろう?"

強く吹いた風が痛くて身を屈めた

「さっっむ!」
「冷えるな」
「ほら、寒いんじゃないっスか」
「テメェは異常だ」
「どっちが」
「ああ?」
「…」

こんなに寒いというのに、彼はやっぱりどう考えても痛々しい
彼に持ち合わせる、当て嵌める語句として『努力』『精神』『痛い』の3つを持っていた
他にもあることはあるが大体がそんな感じで

前者2つは見習う可き事柄だったが後者1つはどうも持て余す事柄だった
自分を時々痛め付けているように見える
それはきっと彼からしたら全く別の何かなのだろうが、端から見るこちらからは痛そうにしか見えない
こんなに寒い寒波の日に、ハーフパンツとタンクトップに薄いパーカーを羽織っただけがいい例だ
見てるこちらが痛い、と

「…何してんだ、テメェ」
「……立って」
「こんな寒ぃ日になんで立ってやがる」
「…−−−あー、うん」
「わざわざ外に立って、そんな真っ青の顔しやがって、風邪ひくぞくそったれ」

ふん、と鼻を鳴らした相手の鼻息が、白くもわっと空気中に出された
言ってやったという顔をした彼は何故か得意げで、かわいいとさえ思ってしまう末期に窶れてしまいそうだ

「年賀状でも待ってんのか」
「違うっス」
「?なんか待ってんじゃねぇのか?」

大凡の予想が外れた彼は顰めっ面をして自分の顔を窺う様にして覗いてきたので素で驚いた

何故、気にするのか
何故、気になるのか

眸をまたたいて不思議そうな顔をすれば、顰めっ面が少しだけ紅くなる

「………」
「………」

そして音楽は止まった。

例年にない寒波だとニュースで放送していた
それを火燵に入り、首まで火燵布団に覆われて忌ま忌ましい気持ちで睨み見ていた
勿論、愛猫のカルピンも一緒に
寒くなるんだってと日本語で言えば、嫌だなあと猫語で返ってきて、2人で火燵に潜り込んだ
そんな新年を迎えていた

「ゆき」
「あ?」
「雪、降ったの見ました?」
「……ああ」
「そっかあ」
「久しぶりの雪だったからな」
「何年ぶりスか?」

んー?と眉を潜めて、見たことのない顔を見せてくれた
どうやら、この会話がお気に召した様子で、考えながら彼はどんよりと暗く分厚い雲を眺めた
唇を尖らせて、尖らせた唇を内側にしまい込みまた出して、それを数回やってから

「5、6年ぶりか?」
「なんスかそれ」
「うるせぇ、いつだったかはあんま覚えてねぇ。小せぇ時だ」
「オレ、初めて見た」
「初めて?雪をか?」
「ううん、この町で降る雪っス」

ああ、そうか。と彼は頷いて片手を分厚い灰色の空に向けた

雪は何度となく見ているし、雪だるまだって作った事もある。スノーボードもやった事がある
ただ、大事なのはこの町で見る今降った雪だった
昨日初めてこの町で雪が降るのを見た
彼は数年前、まだ自身が小さかった時にも寒い日があって、寒かったかなんて覚えていないが、雪が降ったのだけはちゃんと覚えている、と多弁に語った
弟も小さく、でも雪を見て喜んでいたのが輪郭を強調させ、脳裏に深く残ったらしかった

「積もったんスか?」
「北海道なんかとは雪の質がちげぇからな。きれいには積もらねぇよ。でも道路脇に少し積もったなそういや」
「雪だるま作った?」
「べちゃっとした雪だから無理だった」
「試しはしたんスね」
「……うるせぇ」

フシューとまた聞き慣れた息を吐き出した彼の顔に白く色づいた空気が流れて消える。体から出たそれが、この冷たい空気に熔けた
足元でカルピンが頻りに鳴いて抱いて欲しいと甘えてきたので、笑って掬い上げてやる。ぬくったい塊が柔らかくて顔の筋肉が綻んだ
そのまま相手の顔を見れば、面食らった顔をして唇を引き結んでいたので、驚く

「なんスか」
「いや」
「カルピン、抱く?」
「……いいのか」

答えを聞く前に、抱きたかったのだろう、彼の手が自分に向かって伸びてきたので含み笑いをしてやり過ごす
大分、猫が好きな様子だ
自分も猫が好きなだけに、小さな共通点に嬉しくなる。テニス以外に出来た初めての共通点だった

ほわほわの塊を抱きしめて、彼が柔らかく笑った様に見えた。
春が来る。

分厚い濃灰色の雲に覆われ、木枯らしが吹き付ける、寒々しい今日、雪の降った記憶はまだ新しい
昨日雪の中、一生懸命走っていたのを思い浮かべる。空になった両手を、後ろで組んでみてから唇を尖らせた
それに気付いた彼が怪訝な顔を見せたので、生意気に笑ってやれば、眉間に皺が寄る

「ねぇ、やっぱり寒くない?」
「やっぱりじゃねぇ、寒ぃ」
「やっぱり寒いんじゃん」
「走ってなけりゃ、誰だって寒い」

誰だって常に走ってるわけじゃないと言いかけて、言葉を飲み込む。飲み込んだ言葉の欠片だけが口から出て白く息づく

遠く近い記憶の中で、手で手繰り寄せた淡い記憶は、彼から幸せの香りがした
冷たい空気の、肌を刺す痛みを忘れて、カルピンを抱く相手を見詰める
昨日、この町に雪が降るのを初めて見た。この町で見る、初めての雪だった。従姉妹が久しぶりに見たわと微笑んだのを横目に、まだ寒くなる気温に少し嫌だなと思いながら、でも雪は好きだと、曇天から舞い散る綿雪を眺めた
家の前を走る彼に気付いたのも、1粒の雪を目で追い掛けて下を見たからだ
雪の舞い散る中、真剣に走る彼。走った道を指し示すかの様に、白い吐息が儚く消え入りながら道筋となって魅せてくれた

”ああ”

とく、とく、とく、

ピアノの弦が弾かれて震えて奏でる。

ありありと伝える熱が、春を呼んでいる。

迎えに来てくれよ。と



「昨日見たよ」
「俺も見たぜ」
「雪じゃなくて」
「ああ?」
「アンタを見た」
「…どこ…」
「この道」
「…、ああ、そういや」

走ったな。なんて右上を見ながらカルピンを撫でる。その手は優しくて、カルピンが空色のひとみをとじる

「いつもこの道なんスか?」
「いや、毎回じゃねぇ。気分だ」

ある日の話しをしよう。話しの内容は、とても簡単で
夜が明けて、朝がくるように
冬が去って、春がくる話し
雪が溶けて、花が咲く話し

ある日の、話しをしよう

何年か前に降った、ぼくの知らない雪の話し


ぼくは、知らない

あなたが知る、話し



「先輩」
「なんだ」
「打ってかない?」
「…今からか。…ストリートテニス場は」
「ああ、コートなら」

あるよ。と言えば嫌な顔を惜し気もなく見せ付けるので目をぱしぱしと瞬いた。そんな顔される様な事は言っていないはずで
テニスコートがあるから打ち合いをしようと誘っただけだ
テニス好きの彼ならきっとのってくると予感して
それはテニス好きな者として容易な予感だった
だから簡単に口にしたのに、今もなお、嫌な顔をしている

「なんスか」
「なにがだ」
「……変な顔」
「生れつきだ馬鹿野郎」
「違うくて」
「…ああ?」
「怒んないでよ」
「怒ってねぇよ、ただ」
「ん?」
「隣の寺、の」
「うちの寺」
「!……」

悔しいような、やっぱり嫌な顔をして、より深く眉間に皺を寄せる。彼のその顔に怪訝な思いを隠せなく、自分も眉間に皺を寄せた。カルピンが両耳をぴんと立てて、まるで聞き耳を立てているみたいに見えるので、彼が抱いたカルピンをそのまま持て余していた左手で撫ぜた

「テメェん家の、テニスコートかコラ」
「!あっ!狙ってたんスか!」
「ちっげぇ!!」


ああクソ!!!!

と、声を荒げた相手に驚いて、カルピンが自分の方に飛び掛かって逃げてきた

「テニス、好きっスね」
「…ち、ちっげぇって、ああ、クソ」
「うん、オレも好き」
「クソ…」

家の隣にある寺が、自分の父親が一応住職だと伝える。笑って仕舞えば怒って帰って終う気がして、そこは堪えた。しかし、素直に嬉しかった。テニスに間違いなく反応を見せる彼が
この道を走りながら、何度、何度、コートを見ては打ちたいと焦がれていただろうと思って、春の香りがした

まだ寒い日々が続く。まだ痛くて心細ささえ感じてしまう冬の日々が続く。灰色の分厚いカーテンで太陽を覆い隠し、昏々と雪を降らす冬
自分の記憶にない思い出を孕んで、深々と白い色を重く奏でる

雪の舞い散る音が、まるで足音の様に聞こえて、ただ目を綴じた


ぼくに、
あなたの冬の音楽を、聞かせてほしい。










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