◆Req
若葉芽吹く、いつかの春(カイン+アベル)
「お久しぶりです」
ひざまづいて頭を垂れた青年は、顔を上げてよと告げたマルスの声を聞いて、ゆっくりと前を向いた。
「アベル、久しぶりだね」
「はい、マルスさま」
柔らかい笑みは相変わらずで、カインとは違う安心感を与えてくれる、かつての自分の騎士の息災の様子にマルスは微笑んだ。
「元気そうでよかった」
「マルスさまも、お変わりなく」
「うん」
交わす会話も変わらず穏やかなもの。懐かしい日々が脳裏に甦り、自然と自分の表情が柔らかくなるのがわかる。
騎士の身分を辞して、市井に身を置くようになって久しいアベルは、今日は久々に王城に顔を見せたことになる。
苦難の日々の一番始まりから傍にいた彼だから、マルスはアベルの顔を見られたことが純粋に嬉しかった。
それは傍に控えたカインも同じようで、限りなく上機嫌の空気が伝わってくるのが微笑ましい。
始めはマルスとアベル、二人の会話だったのが(どうやらカインは言葉を差し挟むのを遠慮していたらしい)、マルスが会話を振ってカインが参加し、やがて旧友二人の会話に移っていった。
立場が変わろうが普段は傍にいなかろうが、昔と変わらず笑い合う二人はお互いを本当に信頼しているのがわかる。
にこにことそれを見ていたマルスだったが、
「…なんですか?」
嬉しい思いで眺めていた対象から不思議そうに尋ねられて、両手に乗せていた顎を上げた。
「ん。いや、ね」
「はい」
耳を打つ懐かしい声音。
どんなときにも落ち着きを失わないのが、アベルのよいところだとふと思う。答える声音に安心感を得られるのだ。
「二人が仲いいのも変わらないなと思って」
そうだ、昔から二人は特別に仲が良い。
もともとカインは誰にでも実直に接するし、アベルは器用で誰とでもそつなく付き合える。というのは元二人の上司であるジェイガンの分析だが。
タイプは違うように見えて、息が最も合っているのはこの二人だと、騎士団の訓練を眺めに来た幼いマルスにジェイガンが告げたのはもう随分前のこと。
父王が健在だったあの頃、いつかマルスに仕えるようになるだろう騎士たちについて、よくジェイガンは話して聞かせてくれた。将来を見据えた彼の配慮だったのだろうと今ならわかる。
懐かしい思いで目を細めれば、アベルは小さく肩を竦めた。
「古い付き合いですからね」
そうだねと頷いて、ふと思う。
「いつから?」
「何がですか」
「カインとの付き合いって。僕がカインを知ったときにはもう二人は親友だったよね」
何かを思い出したようにカインと顔を見合わせ、アベルが笑った。
「そうですね」
「アベル」
そう呼ぶ声が、当たり前のように隣にあるようになったのはいつからだったろう。
「仲が良いな、お前たちは本当に」
年上の騎士たちから幾度となく言われた。お互いを高め合うからそういう存在はとても大切なんだとも言われて、カイン共々誇らしくなって顔を見合わせた。
始まりは、まだまだ幼い頃だった。
お互いに騎士の家系に生まれた。
アベルは、どこの家に同じ年頃の子息があるかということにはそれとなく敏感だった。いつか同僚として、競い合うライバルとして、肩を並べるかもしれない相手だからだ。
落ち着きすぎていて、多少子どもらしくない子どもだったかもしれない。しかし、そういうアベルを父親は誉めたし、器用に生きるためには必要だとも思っていた。
だから、カインのことはなんとなく知っていた。
父親は騎士同士。伝え聞く話からひととなりを想像していたこともある。アベルとは随分性格が違うようだから、まさか近い存在になるとは思っていなかった。
実際に顔を合わせたのは、騎士団に入る少し前のこと、春の初めの頃だった。
見知った顔は少しでも多い方がよいだろうという父同士の計らいで引き合わされた少年は、芽吹き始めた木の下で、とても真直ぐな目でアベルを見た。
遠慮や躊躇いなく、同じように騎士になる仲間だと疑わない目で、真直ぐに。
「アベルだ。よろしくな」
右手を差し出すと、顔つきが和らいだのは、彼なりに緊張していたからだろうか。
「よろしく」
握った手はお互いに小さくて、だからお互いにしっくり馴染んだように感じたのだ。
「陛下のための、騎士になるんだ」
頬を紅潮させてそう力強く語るのは、幼い故の純粋さか。
どこか遠い、けれど彼にとっては実現されると信じている近さにあるそこに、到達できると信じて疑わない、そんな純粋さでカインは言葉を続ける。
「それで、アリティアがいい国になればいいと思う」
「……いい国って、どんな国だ?」
聞けばカインは躊躇いもせずに答えた。
「平和で、みんなが笑っている国」
あまりにも率直すぎる答えに目を瞬いた。
今まで同じ言葉で問えば、大人は笑うか小難しい言葉を並べ立てるかで、同年代の子どもに問えば口籠もるような相手ばかりだった。
曖昧で何一つ具体性のないカインのそれは、しかし誰にとってもひとつの真実だ。
彼は彼なりの揺るぎない思いをもっている。幼くとも。
「いい、国だな、確かにそれは」
だから、普段はあまり子どもらしくないと言われるアベルもカインにつられて理想を語ってしまった。
アベルの並べる言葉は子どもには多少難しい言葉のはずだったが、いちいち頷くカインは、真剣そのもので、
「すごいな、アベルは」
アベルが今までに触れてきた誰かのようにそれくらい自分にもわかると虚勢をはるでも対抗するでもなく、素直に、本当に素直に感心する素振りでそう言った。
それから数ヶ月の後、騎士団入団に際して大勢の少年が城の広間に集められたとき、少し前方、斜め前に並ぶ赤い髪を見つけた。
騎士団長の講話が丁度始まるところで、彼に声をかけるだけの時間は無かった。
鮮やかな赤い髪はアリティアにあって特別珍しいものではなかったのだが、不思議と目を引いて視界の隅から離れない。
ぴくりとも揺らがない頭は、いかに彼が真剣に真直ぐに前を見据えているかを物語っている。
"平和で、誰もが笑う国"
まだ、騎士ですらない。
駆け出しの駆け出し、見習い騎士としてやっと一歩を踏み出すだけの自分たち。
それでも、理想のそれを作るために、きっとカインは真直ぐに進むのだろう。
自分も。
自分の理想を叶えるために。
きっとその隣には、ずっとカインがいるような気がする。
ほんの数回、短い時間を過ごしただけの相手に対して、これは独り善がりな予感だろうか?
きっと違う。
そんな確信が勝手に心にわいて、アベルは自分でも少しおかしくなった。
騎士団長の講話が終わり、前だけを向いていた赤い頭がふと振り返る。
ぱちりと合った視線、途端にカインは顔を綻ばせて、
「アベル!」
「失礼します」
数回ノックされた後に、部屋の外から声がかかる。アベルも顔を見知った侍従が王の許可の後に扉を開けて、一礼した。
「何か?」
マルスの代わりにカインが答えると、侍従はカインに向き直る。
「ジェイガン様が騎士隊長をお呼びです」
「わかった、すぐに行くとお伝えしてくれ」
答えて、主を窺うように振り返る。
「うん。いいよ。用事が済んだらまた戻って」
「はい」
そしてアベルには目線で笑って、部屋を後にした。
昔から姿勢よく胸を張って歩いていたように思うが、侍従から用件の細かい内容を聞きながら歩く様子には、更に威厳だとか貫禄のようなものが付加されたように感じられる。
立ち振る舞いのひとつひとつが、"変化した"というよりは、"彼らしさを増した"というか。
扉の向こうに消えた背中をなんとなくそのまま眺めやり、
「カインはよくやっているでしょう」
疑問ではなく確認の口調で主に問えば、
「うん、」
おそらくアベルの言いたいことを掴んでいるだろうマルスは、にこりと微笑んだ。
「相変わらず、ね」
変わらない主にアベルも微笑んで、流れる穏やかな空気に安堵する。
「もう少し、聞きたいな、昔の二人のこと」
カインはあんまり昔のこと話しくれないんだとぼやく主に、アベルは笑って答える。
「わかりました、とっておきの秘話も御披露しますよ」
「うん、楽しみだな」
昔のまま、無邪気さを失わない瞳が嬉しいと思う。
変わらない大切なものたちに感謝すらしたい気持ちになって、アベルは主を満足させるべくさて何から話したものかと頭を巡らせた。
『若葉芽吹く、いつかの春』
2009.3.30
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