雨のにおい(ティバヤナ)
雨の匂いがする。
気付いたそれを嗅ぐようにすんすんと鼻を鳴らすと、どうやら匂いの元である主が振り返った。
「獣牙族の真似か?」
からかうような口調だ。
外から戻ったばかりのティバーンは、うっすらと衣服に湿り気を宿している。
どうやら途中で雨に降られたらしい。
半ば乾いているようだから、大した量でもなかったようだが。
「俺は狼じゃねぇ」
ただ、いつもと違うにおいがした気がして、確認してみただけだ。
嗅覚の特に鋭いのは狼の民だったかと当たりをつけてそう言ったのだが、ティバーンはなにやらにやりと笑った。
「お前だと、狼というよりは、」
近づいてくる。
眼前まで来て、足を止めた。
体格の特別大きい一族の出身の男は、小柄な部類に入るヤナフと向かい合って立つと、見上げるばかりの差がある。
昔はその体格差が堪え難かったのだが、長年の積み重ねというのは恐ろしいもので、今はあまり気にならない。
気持ちがいいものではないが。
そういうヤナフの内情を知ってか知らずか、長身が腰を曲げて、ヤナフの顔を覗き込んできた。
にやり、と音がした気がした。
「子猫ってところか?」
かちん、と来させることを前提に言っているのだとはわかっているが、やはり、来るものは来る。
「だれが "子"猫だ!」
おそらくティバーンの思惑通りに、どちらかというと狼族のつもりで噛み付こうとしたのだが、さすがは幼馴染み、慣れたものだった。
ひょいと避けられ、横合いから腹の辺りにすいと腕を差し込まれ、
「う、わっ……!?」
ぐるりと視界が反転。
一瞬閉じた目を開ければ、ティバーンの広い背中の下に、床が見える。
ひょいと抱え上げられて、いとも簡単に肩に担がれてしまったのだ。
「こんな子猫なら "可愛がって"やらんこともないがな」
からかいと本気が半々に入り交じった声音だった。
ティバーンの向かう足の方向がわからなくても、可愛がって、の意味がわからないほど子どもでもない。
「馬鹿!は、離せって、おい!」
何考えてやがる昼間っからこのすっとこどっこい、と喚きたてて逃れようとするが、しかし、翼まで抱え込まれていては、ばたばたと足掻けるのは文字通り足だけだ。
本気で暴れれば逃れられないこともないだろうが、うっかり膝でも顔面に入ろうものならいろいろと後が面倒だ。
いやしかし、このままでは、と考えて、ふと気付く。
事の発端であるにおい。
暴れるたびに鼻先を掠める髪、わずかに湿り気の残るそこから、また、
(……雨の、におい)
いつもなら外見も内面も共に快晴を思わせる男が、水のにおいを濃くさせているのが、ほんの少し面白かった。
「………なんだ、大人しくなったな?」
それはつまり同意したってことか、よしじゃあさっそく寝室にと、勝手に納得しきりの声が聞こえて、一瞬止まった足が、再び軽やかに動きだす。
違ぇよ馬鹿ヤロウ、と、再びヤナフは盛大に暴れだしたのだった。
……ティバーンの足は、結局目的の場所に辿り着くまで止まることはなかったのだが。
2012.7.26
今日の書き出し/締めの一文 【 雨の匂いがする 】 http://shindanmaker.com/231854 より
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