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樅(ヤナフ+アイライ)





青い髪の後ろ姿は、この戦いでも先の戦いでも、幾度となく目にしてきた。
総大将の地位にあるベオクの若者は、強い意志を秘めた瞳を常に前に向けて、進むべき道に迷わない。
一軍を率いるのに相応しい度量を経験によって手に入れた彼は、今やまさに大将たる器だ。
しかし、今はその背中が、大きな樅の木の下で冬の風に吹かれている。
どことなく、力強さが欠けて見えるそれに、ヤナフは気紛れに声をかけた。

「なんだベオクの大将、浮かない顔して珍しい」

毅然とした顔つきで前を向いていることの多いベオクの総大将は、今はどこか物思いに憂うような表情を湛えている。
声をかけてその表情を目の当たりにして驚いた。
そして、なんとなく視線の先を辿れば、

「……喧嘩でも、したか?」

ヤナフは声をひそめた。
そこには、前の戦争から親しい間柄になっていたというガリアの青年の姿があった。
まとわりついてくる部下たちをちょうどあしらっている最中らしく、ぎゃんぎゃんと争い喚くキサとリィレを苦笑いで宥めたり透かしたり、最後には溜め息をひとつ。
あそこの若大将はまだまだ経験不足故の一途さで、自分を過信して突っ走りがちだ。
ライが補佐役として、頭を抱えながら奔走する姿はこの戦争中にも何度も見ている。
生来面倒見がいいのだろうが、気苦労の絶えないことだ、とも思う。
比べて些か自由度が高く奔放ではあるが、危なっかしさとは無縁の我が主を思えば、ライには同情すら覚える。
スクリミルの成長に、これからもおそらく根気よく付き合うのだろうから、ライは。
と、まあ、ヤナフの感想は別にいい。
それよりも、アイクだ。

「喧嘩をしたわけじゃない」

ひどくきっぱりした物言いだったから、それは本当にそうなのだろう。
アイクに気付いたらしいライがひょいとこちらを向いて、それからひらりと手を振って寄越した。
屈託のない顔は、確かに仲違いをしているものとは思えない。
頷きひとつでそれに応えて、アイクは続けた。

「ただ、」

「ただ?」

「違いを感じる」

「どんな」

「時間の流れの、大きな」

言ってまた、ライを見つめる横顔が、何か遠いものを見るような目をしていた。

獣牙の民は、人の5、6倍生きるという。
鳥翼に比べれば短く、竜族であれば千年単位で生きるラグズの中では短命な方だと言っていい。
しかし、それはあくまでラグズの中での比較だ。
人であるアイクに比べれば、遥かに長命で、

「………そうだな」

それは大きな違いだろう。
ヤナフにとっては、ベオクの短命さが信じられない。
たった数十年しか生きられないなんて、何も為さないままに終わるのではないだろうかと思える。
ベオクと親しく交わるようになって、そんな考えも随分変わったのだが。

「三年ぶりに会って、あいつは俺を見て変わったと言った」

それはそうだろう。
少年期を抜けて逞しさを増したアイクに会って、驚いたのはライだけではない。
他にはあまり外見に変化のないベオクも多いから、この時期特有の急な変化、更に言うならアイクは別格だろうが。
おそらく自分を高めるために、ありとあらゆる努力を怠らなかったのだ。
一層の強さ、外見的だけでない強さを手に入れたベオクの青年の覇気は、我らが王にも通じるところがある。
たった三年、短い期間のうちに。
それに比べて、

「……あいつは変わらない」

たった三年。
ラグズが外見的に大きな変化をみるにはとても乏しい時間。
生涯の時間の長さを考えればそれは仕方のないことだが。

「違う生き物だから、なぁ」

「俺がこの先年をとってもあいつは変わらない。どうしたって俺が先に、」

死ぬ、のだ。
時の流れには、逆らえない。

意外だった。
アイクという人物にそういう感慨があることが。
もちろん、命を懸けた生業をしているからには生死についての観念は強くもっているだろうが、若さと勇猛さに満ちた今の時期に老いた先まで考えているとは。
感傷的、とでもいうのか。

「……大将、らしくないな?」

自嘲気味にアイクが笑う。
その顔に、滲み出るものはおそらく、

「……淋しい、のか、あんた」

もしかして、と尋ねると、

「そう、かもな。どうしたって俺が先に死ぬ、あいつを残して」

死に際を気に掛けるほどに思い合っているのだとしたら、この二人の間にあるのは本当に深い絆なのだろう。
そして、自分が先に死ぬこと自体よりも、ライを残して、置いていくことの方が、アイクにとっては重要なのだ。
昔馴染みの我が主の、死ぬまでそばにあり、共に生きることを信じて疑わない自分は、そんな感慨をもったこともない。
ウルキだって同じだ。
二人そろって王のそばに隣に居続ける。
それは決まり切ったことで、疑いようのない事実で、必ず来る未来だ。
それが、自分が選んだ道。

けれどもしも、自分が置いていかれる立場だったとしたら。
戦いでも事故でもなく、天寿を全うする身近な大切な誰かを、見送るのだとしたら。
そんなことを、考えもしたくはないけれど。

「……置いていかれる、とは思わねえんじゃねえ、かな」

ヤナフには、ライの思いなど、知る由もない。
誰かを失えば悲しいだろうけれど。
奪われるのではない命を見送って、悲しくはあるだろうけれど。
それまで共に生きた時間を思うだろう。
歩んだ道を、思い返すだろう。
たくさんの出来事を、笑いあって過ごした日々を。

大切に抱えて生きていくのではないだろうか。
喪失を嘆いて、もしかしたら泣いて、それでも大切なものを抱えて、前を向いて生きるのではないだろうか。

「そういう奴、なんじゃねえか?」

ヤナフはライではない。
本当はどう考えるかなどわからない。
しかし、僅かながらも近くで見てきた彼からは、悲嘆にくれるよりも微笑んで見送る姿が思い浮かぶ。

「…………」

ライを見つめる目が、切なくて、優しい。

「最後まで、精一杯生き抜いたらいいんじゃないのか」

全力で生きた命なら、きっと笑って見送ることができる。

「だから、生きろよ。最後まで」

それがきっと、違う時間の流れを生きるライの願いだ。

「……あぁ」

樅の木が、風に揺れた。
その下で、アイクの目に力が戻る。
誰かのため、というのは、とても大きな力になるのだ。
自身のためよりも数倍、比べものにならないほど。

「俺は生きる」

力強い言葉は、間違いなく実行される。
この戦いを生き抜き、決してアイクは死なない。

「それでいい、きっと」

やっと部下二人から解放されて、ライがこちらに向かって歩いてくるのが見える。
迎えるアイクの顔は決意に満ちている。

ヤナフはそっとその場を離れた。
自分もなんだか顔が見たくなってしまったのだ、これから先の未来も共に生きる、大切な仲間の。







『 樅 』
『 樅 』



2011.12.22


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