目(ヤナフ+ティバーン)
何を見ているんだ?
丘の上、風に晒されて立つヤナフは、僅かに顎を上げて、どこか遠くを見ているようだった。
特に、偵察だとかの任は命じていない。
しかしあれは、彼特有の「目」で見ている時の集中の仕方だ。
ならば一体何を見ているのかと注視する。
行軍途中の僅かな休息時間、何故か姿の見えない部下を探してきちんと休めと言うつもりだった。
体も「目」も休めるべき時間に、いったい命じられてもいないのに何を、見て、と考えて、瞬間目に入ったものに、眉を寄せる。
ぎり、と、音でもしそうなくらいに、口の端を噛み締めるのが見えたのだ。
幼いころから無茶苦茶で、辺り構わず睨みつけるような奴だったから、厳しい目つきというのはよく知っている。
けれど、違う。
何かに耐えるように、けれど逸らさない。
苦しくて、けれどそれを堪えるような。
何を見ている、そんな目で、
堪らず翼を開いて、正面に降り立った。
「ヤナフ」
「………ティ、」
意識をそれほどに集中していたのか、突然現れたティバーンに対して表情を取り繕うのが遅れたのだろう。
驚きと焦りとをくしゃりと表情を歪めて綯い交ぜにして、視線が僅かに下がった。
「なんだよ、驚くだろいきなり」
そして顔を上げた時にはもう、いつもの顔だ。
馬鹿正直で単純明快な精神構造をしているくせに、年を負うごとにこういうことだけは上手くなる。
王の側近が表情も取り繕えないようでは困るから、彼なりの努力の結果なのかもしれないが。
「何を見ていたんだ」
「………何って。この先の行軍路を確認してただけだ」
ちょっと道が荒れるみたいだからベオクの奴らには気を付けるように言っとかないとな、ガリアの奴らには大したことないだろうけど。
西の雲行きは多少怪しいけどまあ、荒れた天候になるわけじゃないみたいだ。
けど、まあ、あんまりのんびりしてるのも得策じゃねえかもな。
ちょっと、クリミアの女王さんにそう伝えてくるわ。
ぺらぺらと捲し立てるように話すヤナフは、周囲の誰が見てもいつも通り。
お前それではまるで「王の目」と言うより「王の口」だろうと呆れられる程度には陽気で、明るい表情だ。
けれど、
「ヤナフ」
遮るように名を呼ぶと、
「何だよ」
首を傾げる様子もまったく普段通り。
けれど、そんなものに誤魔化されるものか。
「何を、見ていた」
正面からとらえる茶の瞳は、それでも揺らがなかったけれど。
ヤナフ、と名を呼んで両肩を掴むと、困ったように眉根が寄った。
今、ティバーンが背中を向けている方角、ヤナフが先程痛いまでに視線を向けていたのは南西の方角。
大陸を越えて遥か向こうには、故国フェニキスがある。
焼かれ、蹂躙された大地と森と、何もかもが壊された、愛すべき故国が。
もう充分にこの目に刻みつけたその光景は、忘れようと思っても忘れられるものではない。
激しい怒りと後悔とが襲ったあの瞬間を、忘れられるわけがない。
「ヤナフ」
「………何、怒ってんだよ」
それは自分に付き従ったヤナフとて同じはずだ。
いったいどれだけの衝撃を受けて、けれどそのまま呆けていたところで事態はよくなるはずもない。
生き延びた民を救うために策を打ち、ガリアとの交渉を終え、戦う新たな決意を胸に刻んだ。
あれ以来、フェニキスの地には戻っていない。
だからと言って怒りも故国への思いも薄れるわけはないが、記憶の中のフェニキスを取り戻すために前向きな方向に思考が向いているのは確かだ。
しかし、ヤナフは今のフェニキスを見ている。
おそらく何度も、繰り返し。
焼かれ、蹂躙されて、今はもう生きる者のない生の断たれた世界の、あの森を。
更新されることのない景色は、決して希望を与えはしないだろう。
何度覗き見ても変わることのない、絶望の刻まれた愛すべき祖国の風景が、希望につながるはずがないのだ。
「見なくていい、お前は」
国は、必ず再生させる。
この戦いを終えて、鷹の民が平穏に暮らせる場所を、必ず、この手で。
だから、最後の戦いに向けては今は、休めなければならない。
体も、心もだ。
「もう見なくていい。だから、休め」
その両目を覆おうとした右の手の平を、ぱしりと捕まれた。
「違うだろ」
真剣な声。
けれど、それに滲みでるのは鋭さではなく、強い強い決意の色だった。
「違う、だろ」
「何が違う」
「俺は目を逸らさない。見える俺が見届けて、ちゃんと記憶しておくんだ。それがどんな姿だったとしても」
「ヤナフ、」
「それが、"見える"俺の、役目だろ?」
だから、と、真直ぐに顔を上げるヤナフは、とても強い目をしていて、
「ちゃんと、見る」
逸らされない目のなんと痛々しく、そして、美しいことか。
この右腕に「美しい」などという形容を使ったことはない。
見目だけで言えば、優雅さや優美さとはかけ離れたところにいる人物だ、ヤナフは。
けれどこの決意には、そんな表現がふさわしいのかもしれない。
両頬を包んで上向かせると、幼いころから見続けてきた瞳が変わらない強さで見つめてくる。
決意に応えるだけの強さで、ティバーンも見返した。
「ティバーン…?」
動かないティバーンを見つめる瞳に、自分もまた決意を新たにする。
必ずこの戦いを勝ち抜いて生き抜いて、世界の安寧を取り戻し、そして、フェニキスを元のように、豊かな国にする。
その先に、この目は変わらずあるのだろう。
これまで、何度も自分を助け支えてきたのと変わらず、傍に。
「……わかった。だが、それでも今だけは、休め」
これから向かう戦いは、生易しいものではない。
フェニキスの未来を作るために、必要不可欠な力を失うわけにはいかないのだ。
こつ、と額をヤナフのそれにぶつけると、ヤナフの右手が、そろりと上がった。
ティバーンの左頬に触れる。
「……こんなかっこじゃ、どの道お前の顔しか見えねえよ」
くしゃりと笑った顔は、どこか痛みを感じさせるものではあったが、隠されないそれに、かえってティバーンは安堵する。
そうだ、ならば、今だけはこの瞳が自分だけを映せばいい。
言葉にはせずそう願って、ティバーンは真直ぐな瞳に向かって唇を落とした。
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