麦(ヤナフ+ウルキ)
「今年も豊作だな」
揺れる麦穂の原を眼下に見下ろして、ヤナフが満足そうに呟いた。今年は天候が荒れることもなく、大きな嵐に見舞われることもなかった。
作物の出来は上々。
為政者というのは常に国の細部まで目を行き届かせなくてはならず、今はそのためにウルキとヤナフとで国中を視察に回っている。
部下に手分けしてもよいのだが、自分の感覚を重視する王は、下手をすると何かあれば自分自身で出向いてその目で確かめようとする。
放っておくと、気になることができるとどこへでもでかけてしまうので、かわりになるべく側近二人が出回るようにしている。
自分に近いウルキとヤナフの感覚ならば、疑うことなく信じられるのだというから。
今日は南方の農作地の収穫を調べに来た。
秋の柔らかな陽に照らされて、そよかな風に穂が揺れる一面の畑は、地元の民の話によるとここ数年で一番の実りのよさだという。
地元の民に話を聞くのも、大事な務めだ。
これはたいてい陽気に誰とでも話せるヤナフの分担である。
その間ウルキは辺りの様子を具に見回している。
雑なヤナフでは見落としがちな些細な気付きを見つけるのが、ウルキの分担である。
本来の能力的な得意分野からすれば逆だといえるこの役割分けが、ウルキには少しおもしろかったりする。
とにかくまあ、そうして得た情報、感じたすべて、見聞きしたすべてを王に伝える。
すると、二人いるとまったく効率がいいことこの上ないなと王は満足気だ。
改めて辺りを見回すと、一面に降る光が細い麦穂の先まで照らし、まるで黄金に輝いているかのように見える。
一面、黄金の原。
懐かしい記憶が頭を過った。
懐かしい懐かしい記憶。
忘れもしない、随分昔、
揺れる黄金の中、佇む少年の姿。
ほんの小さな雛の頃だ。
迷い込んだ原の中、飛ぶのに疲れて方角もわからずうろうろとしていたウルキの目に、飛び込んできた背中。
自分より幾分大きな背中に、少し年上くらいの少年だろうかと思った。
住みかに帰る方角を聞こうと思うのだが、幼い頃からすでに無口だったウルキはいったいなんと声をかければいいのか考えあぐねて、しばらく立ち尽くしていた。
やがて、気配に気付いたのか、少年が振り返る。
見たことのある顔だった。
あちこちで暴れ回っていると評判の、別の一族の少年だったのだ。手が付けられないから関わるな、とはウルキの周りの少年たちの評価だった。
きっと鋭い目が印象的で、いつも周りに対してこんな目をしているのだとしたら、確かに関わり合いになるのはやめておいた方がいいと思わせるのに十分だ。
大方の者は、そそくさと目を逸らすか、対抗心を燃やして睨み返すか、どちらかだろう。
内心怖いと思わないでもなかったのだが、しかし、感情を表に出すのが苦手なウルキだ。
逸らすでもなく対抗するわけでもない姿が、少年にはもしかしたらぼんやりと見えたのかもしれない。
「なんだよ、ちっこいの」
怪訝そうな顔は、決して優しいものではなかったが、噂に聞いていた程の凶暴性は感じられない。
「しゃべれねえのか?」
返事をし損ねて、黙り込んだウルキをさらに怪訝さを増した目が覗き込む。
「…………帰る方角が、わからなくて」
「なんだ、お前迷子か?」
「………………」
呆れたような声が、ひょいと翼を指し示した。
「飛べばいいだろ」
「もう、つかれて………」
空から見ればすぐだろうという少年に、飛び疲れてしまったのだと続けると、吹き出す音と、笑いを含んだ声。
「お前、ほんとに鷹の民か?」
なんだよ仕方ねえなあ、と、温かいと言えないこともない声音がした。
見上げると、くしゃりと笑う顔。
「仕方ねえな、ほら、」
差し出された手は小さかったけれど、重ねた自分の手よりは幾分大きくて、あちこち傷だらけではあったが柔らかくて、そして、温かった。
「お前、どこの出だ?」
街の名前を告げると、あああそこかと呟いて、引っ張りあげられる。
「こっちだ、行くぞ」
背中に抱え上げられて、慌てて肩にしがみつく。
ばさりと翼をひらめかせて飛び立った視界の下で、夕暮れに近づきつつある赤みを帯びた光が、黄金に温かみを加えて煌めいた。
周囲で評判の乱暴者は、笑うと目がなくなって、とても人懐こい顔になるのだと知った、秋の日。
「ウルキ?」
呼び掛けられて我に返る。
あの頃とは違う高さ、自分より幾分下から覗き込む視線が、怪訝そうに眉をひそめて、それから片手をひらひら振った。
「おーい?」
「…………何でもない」
「何ぼっとしてんだ? 何かあったか?」
「………少し、懐かしくて、な」
何が、と視線で尋ねられて、曖昧に笑って返す。
感傷的だ何だとからかわれるのは目に見えている。
が、
「ああ、」
ヤナフは眼前に広がる麦野原を眺めやり、目を細めた。
「そうだな」
懐かしい、と、ヤナフが同調したことに驚いたが、思わず見つめた横顔があの時と同じ、くしゃりと目を無くして笑う顔だったので、驚きを緩めて静かに視線を前に戻した。
出会いは光る麦の穂の中、温かい秋の日のこと。
今に繋がる大切な日々の、一番始まりの日。
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