的(ヤナフ+ティバーン)
セリノスの虐殺への報復措置として、フェニキスがベオクの船を襲うのが慣習化してきた頃になると、ベオクの側でも鳥翼に対する備えを万全にし始めた。
それまでは警戒の比較的薄かった、空からの攻撃への迎撃ができる装備を強化したのだ。
鳥翼の弱点は、弓。
鋭く空を切る矢には、毒さえ塗られていることもあって、命中を免れてたとしても、掠り傷が命にかかわる事態も起こるようになった。
ベオクとは、弱々しいくせにずる賢い種族だ。
何の罪もない、平穏を愛するセリノスの民にあらぬ嫌疑をかけて虐殺し、美しい森を奪い国を滅ぼした。
その上毒を用いるなど、戦いの哲学もない。
それもまた、フェニキスの怒りを買った。
毒によってじわりじわりと害なわれていく仲間の命を見ていれば、ベオクというのはどうしようもないほどに卑怯な戦い方をする生き物なのだとしか思えない。
だから、フェニキスはベオクの船に海賊行為を続ける。
ベグニオンの愚行の代償を、思い知らせてやらねばならない。
それは王自らの決定でもあり、フェニキスの民の総意でもある。
だが、
「お前、あんな前に出たら狙い撃ちされるだろうが!」
鷹王の私室、ごく僅かな者にしか出入りを許されない部屋の中で、思い切り叩いた机がバシンと景気のいい音を立てた。
「壊れるぞ」
面白そうにそれを見るだけのティバーンは、いったい部屋で何をしていたのですかとか叱られるだろうな、ウルキに、などと続けている。
ついこの間もかっとなりやすいヤナフがちょっとしたことで暴れて、それはヤナフの私室ではあったのだけれど、家具と椅子をひとつ駄目にした。
その件で、ウルキの眉間に濃い皺が寄ったばかりだ。
実は、王よりも、普段感情を波立たせない相棒の怒りを買うことの方が、ヤナフには余程重大事項である。
それを熟知している顔のしれっとした物言いに、ぴきりと額に筋が浮いた。
「聞け!」
「あまり大声を出すと外に聞こえる」
指を立てて扉の向こうを指した辺りには、恐らく衛兵の一人が配置されている。
王にも私的な会話をすることくらいは許されているから、普通に話しているだけなら声が漏れることもないはずだ。
しかし、興奮した時のヤナフの声というのはよく通る。
ヤナフとて、普段は、くだけたながらも主に対する一応の礼節は保つ体裁を整えている。
側近とはいえ、臣下が何よりも尊い王にこんな口のきき方をしているとなれば、それは問題だろうから。
勢い込んで乗り込んできたために、人払いを忘れていた失態に舌を打ち、それから声を落として続けた。
「だから、お前あまり前に出るなよ」
「何故だ」
「こないだ、毒矢でやられた奴がいただろうが! 命は助かったけどな、毒が抜けるまでに一週間もかかった!」
ベオクの用いた毒は鳥翼の間では知られていない種類のものだった。
対処法がわからないまま、それでもできうる限りの処置をして、あとは本人の気力と体力に任せるしかない、そんな状態にじりじりとしながら一週間耐えた。
毒矢を浴びたのは、ヤナフの隊の部下だったのだ。
幸い、鷹の民らしく強い精神力をもって、その部下は回復に向かった。
けれどしばらく自由の効かない体で、心配をかけましたと謝られて、もしもこの矢が、と考えた。
もしも、万が一、
矢を受けたのがティバーンだったら。
鷹王がいくら勇に名を轟かせていようと戦いに長けていようと、この世に絶対はないのだ。
今でこそ、まるで負けることなど夢にも思えないほどに頑健さを誇っていようとも、ヤナフはティバーンの昔を知っている。
彼が戦いの中、手酷い傷を負ったことがあることも。
ヤナフに比べれば、さすがに死にかけた回数は少ないだろうが、どんな者にも絶対はなく、過信がいかに愚かかということを思い知るには十分だった。
「俺が出たほうが士気は上がるだろう?」
そんなことは分かっている。
すぐ傍にある勇ましい王の姿に、誰よりも鼓舞されるのは自分自身なのだから。
しかし、手強い相手ならともかく、こんな小さな小競り合いで鷹の大将がわざわざお出ましになることもないはずだ。
まして、戦いの場に赴けば自ら先頭きって敵に挑みかかるのがこの男の特性。
恵まれた体躯は、敵からすればそれだけ目を引きやすい。
さらに、全身から滲み出る風格に、この男が隊の要であることなどおのずと知れる。
つまりは、恰好の的。
「そんな分かり切ったことはいいんだよ! そうじゃなくてだ! お前はもうちょっと王としての自覚をもってだな、」
後ろにどかっと控えてるのも王の勤めだろう、続けようとした声は、しかし、笑いを含んだ声に遮られる。
「お前に自覚云々言われる日が来るとは、な」
完全に、ヤナフの意見を聞く気はないらしい。
くく、と笑って楽しそうに口元を歪めている。
こちらは側近として、それから昔馴染みの友人として、こんなに心配をしているというのに、この男は……!
「だから! 茶化さないで」
聞け、と、再び外に漏れるほどに声を荒げたヤナフに、ずいと金の瞳が迫ってきた。
乗り出した顔が、机越しに立つ自分を下から覗き込んでくる。
「俺に何事もないために、お前たちがいるんだろう?」
きらりと光る瞳に見つめられて、言葉に詰まる。
それはつまり、何かあったら守り切れなかったヤナフたちの責任だという脅しではないか。
確かに、それが自分たち側近の役目だ。
王の傍にあって王の意志を伝え、意図を汲み、その身を守る。
勤めを果たせと言われれば、盾にだろうと捨て石にだろうとなってやる。
庇って毒矢を受けることとて厭わない。
それで、この男が救えるのなら。
「そりゃあな、いざとなったら俺がお前の盾でも何でもなってやる。毒矢を射ち込まれたって構わない。だけどな、俺が言ってるのはそういうことじゃ、な、」
一息に言い募る口を、突如、大きな掌に塞がれた。
いきなりティバーンの長い指に覆われて、出かかった言葉が息とともに喉の奥に引っ込んでしまった。
そして、視線がティバーンの不機嫌な顔に行き当たる。
「お前に死ねなどとは言っていない」
「………あ?」
掌が離れて、
「お前は、毒矢など受けるな」
左頬に触れる。
頬に一筋走る傷跡をなぞる指に、一瞬昔を思い出した。
自分の命をまったく顧みるということをしなかった昔、その戒めとして残した傷跡は、触れるたび、己が身を顧みることの大切さを思い知らせる。
「俺は死なん。お前も生きて、俺を守れ」
打って変わって真剣な瞳が、曲げない強い光を放っている。
別に、ティバーンを庇って死ぬつもりなどない。
そんなつもりなど、毛頭なかったのだが。
「俺には、お前が必要だ」
ああ、と思う。
昔から、いったい何回この言葉にほだされてきただろうか。
「………ったく、」
ガリガリと頭を掻いて、ひとつ、息を吐く。
「………わかったよ」
ティバーンの手に自分のそれを重ねて、温かい指を引き剥がす。
それを支えに、今度はヤナフがティバーンの顔をぐいと覗き込んだ。
戦場で最前に出るのをやめないという意志はわかった。
決して倒れないという決意も。
こうと決めたら、何が起ころうとも決して折れないところは、この幼馴染みはヤナフと同じだ。
「もういい、お前の好きにすれば。でもな、」
だが、それならば、
「次からは傍、離れねえからな」
すぐ傍で、守り切るだけだ。
ティバーンは口元を緩めて笑った。
「ああ。……その方が士気が上がる」
「?」
意味をとらえ損ねて疑問符を顔に浮かべる。
ティバーンは破顔した。
「俺の、な」
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