頬(ティバヤナ)(続・蛇)
結局、珍しく大きな声を出したウルキに驚いているうちに城まで運ばれてしまい、着くなり手当てを始めた相棒の手際の良さに見とれている内に処置は終わり、
「しばらくは、安静にしていろ」
たった一言のきっぱりとしたそれが妙な迫力を帯びていて、自ら役を買って出たティバーンに付き添われながら、というか見張られながら渋々、ヤナフは部屋に戻ることになった。
「……ウルキ、怒ってた、か?」
「怒るというより、呆れていたと思うが」
そんなのはいつものことだろう、とティバーンが言う。
それは確かにそうかと思いかけてから、
「おい、」
それではいつもいつもヤナフが呆れさせる行動ばかり取っているようではないか。
じとりと睨むとティバーンが肩を竦めた。
その顔に、だって事実だろうと書いてある。
「それより、手は大丈夫なのか?」
さらりと話題を変えてきたのには気付いたが、まあ、食い下がるような話題でもない。
「ちょっと腫れてるけど、効き手じゃねえし」
平気なところをアピールしようとひらひらと左手を振ると、結んであった包帯の端がはらりと落ちた。
あ、と、声を出すと、ティバーンがそれを見て、呆れを含んだ笑いを漏らす。
「それこそウルキを怒らせるぞ」
もういいから安静にしてろと小突かれて、寝台の端に座らされて、解けた包帯をティバーンが手に取った。
その拍子に、ティバーンの眉根が、ぐ、と寄った。
「………熱いな、結構熱もってるじゃねえか」
お前、本当は結構体しんどいんじゃねえのか?
屈み込んだ姿勢のティバーンに見上げられて、視線の鋭さにうっと詰まる。
正直言えば、少々だるい。
はじめは傷の周辺だけだった腫れぼったさが、どうも先程から全身に広がってきたようにも思う。
しかしそれを言えば、それみたことか暴れるなという忠告を聞かないからだろうと、ウルキに視線で口ほどに物を言われるのは目に見えている。
「お前な、」
ティバーンが呆れ半分怒り半分の顔で見上げてくるが、ウルキが命に関わるような毒ではないと言ったのだから、ないのだろう。
ウルキの知識の正確さには全幅の信頼を寄せている。
ヤナフも、ティバーンも。
だから、たいしたことはない。
過去、何度でも死にかけたことのあるヤナフには、命に別状はないということこそが重大で、死なないのなら、たいした問題ではないのだ。
「………それでも、ちゃんと休め」
大きく溜め息を吐いて、まったくお前は変わらんな、とティバーンが眉間に皺を寄せた。
「今更、だろ」
昔、お前は自分を大事にしなさすぎると叱られたことがある。
生きてきた中で最もやんちゃをしていた時期で、今自分で思い返しても確かに、まあ、無茶ばかりしていた。
死んだら死んだで、自分はそれだけの器だったのだとも思っていた。
どこまでやれるか、自分自身を試していたのかもしれない。
自分のしてきたことだからひとかけらも後悔などしていないが、あの頃からまったく変わっていないと思われるのは心外だ。
これでも、仕える相手ができてからは、自重もするようになったのだ。
お前が必要だ、なんて口説かれて、もううかうか死んだりできない体になってしまったのだから。
「自重はしてるだろ」
「どこがだ」
それなのに、完全に疑いしかない目が見下ろして、寝台に押し込まれた。
毛布を頭を覆うまでに引き上げられる。
ばたばたと暴れて顔を出し、文句を言ってやろうと口を開けかけたところに、今度は大きな手で肩をつかまれた。
「だから。安静にしてろと言っているだろう」
ぬっと間近に迫った顔に、息を飲む。
これは本気で怒る一歩手前の顔だ。
普段はわりと細かいことを気にせず大らかなティバーンだが、一度怒りのスイッチが入ると、手に負えなくなる。
そして、
「そんなに暴れたいなら、」
「………、?」
「思う存分暴れさせてやろうか?」
に、と満面の笑み。
「俺の上で、一晩中」
満面の、しかし目だけは決して笑わない顔があまりにも間近すぎる。
「ね、寝る! 今すぐ寝る!」
「本当に?」
「本当に!」
「そうか、それは残念だ」
と言う顔も、どこか本気で残念がっているように見える。
確かに命に別状はないと宣言されているのであれば、一晩そうしたところで死にはしないのだ。
ウルキの知識には全幅の信頼を寄せている、ヤナフもティバーンも。
つまり、抵抗したら、本当にティバーンの上で暴れさせられることになっていたかもしれない、わけで。
ぞっと肝が冷えた。
ティバーンは、すべてにおいて高い能力をもっていて、実行力も図抜けて高い。
やると言ったら本当に行動に移すのだ。
肩をつかんでいた手が離れて、頭の横、枕の上に移動した。
ぐ、とティバーンの巨躯の重みがかかり、ぎし、と寝台が悲鳴を上げた。
ひっと息を飲んで、思わず目を閉じてしまう。
鼻先が触れるかという位置で止まったらしい顔から、静かな息遣い。
伸ばしっぱなしの黒髪が垂れて頬にかかり、くすぐったい。
が、ぴくりとも動けない。
「本当に、安静にしているな?」
「す、する!」
だから頼むからどいてくれと内心で懇願する。
しかし、ティバーンが離れていく気配は一向にない。
どうしろというのだ、いったい。
半分以上、泣きたい気持ちになって身を固くしていると、やがて、ふ、と息がかかった。
空気が弛む気配。
「じゃあ、しばらくはおとなしくしてろ。お前の分の仕事は別のやつに割り振っておく」
「…………ああ、」
目を開けると、大らかないつものティバーンの顔が目に入り、内心でほっと胸を撫で下ろした。
距離は、近いままだが。
つい、と大きな手が頬に触れる。
「顔も熱いな。まるで熱でも出した子どもだ」
「………うるせーよ」
素直に寝ると約束したからか、ティバーンの機嫌はどうやら元に戻ったようだ。
これ以上刺激しない方がいいと、さすがのヤナフでもわかる。
大嫌いな子ども扱いをされても文句は一言に留めておいた。
打って変わって楽しそうに笑うティバーンの手は冷たくて、熱っぽい体にひやりと心地よい。
繰り返し指先で撫でられていると、やがて緩やかな眠気が襲ってきた。
再び目を閉じる。
「ヤナフ?」
返事をしようと思うのだけれど、眠りの淵にひっかかった意識がもう、思うように戻ってこない。
「…………、」
ティバーン、と名前を呼んだつもりだったけれど、果たして声になっていたのかどうか。
撫でる指が、ついと止まった。
大きな手に、耳ごと頭を包まれる感覚。
ことりと意識を手放す瞬間、温かいものが啄むように頬に触れて、それがとても優しい感触がしたのだけは、覚えていた。
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