藤(ティバヤナ)
春のこの時期になると、温暖なフェニキスの森にはたくさんの花々が咲き乱れる。
木々は固い芽を弾けさせて葉が顔を覗かせる。
とりどりの花に彩られて、豊かになる森の一画。
陽のよく当たるそこに、緑と紫の織り成す場所を見つけた。
興味を引かれてちょっと出てくるとティバーンに断りを入れると、ちょうど時間の空いたらしい王は、散歩なら付き合おうと言う。
別に断る理由もない。
春の眠りを誘う温かな陽気の中、他愛ないことを話しながら東に向かう。
昼過ぎの太陽は、優しく地上に光を降ろして、微笑んでいるかのようだ。
このまま、森の具合のいいところを見つけて昼寝ってのもありかな、と内心で考える。
ティバーンも付き合うだろうか。
陽だまりの中、二人で並んで寝こける様は、あまりひとに見せられるものでもなさそうだ。
おかしくなって、しかし笑いは口元だけに抑えておいたのにティバーンが怪訝な顔をした。
目的地にたどり着いて翼を畳んで降り立つと、まず気付いたのはあたりに漂うほのかな甘い香。
強烈に個性を存在を主張するのとは違う、周りの空気に溶け込むように織り交ぜられた繊細な香だ。それから、誘うように垂れ下がる紫の花の房が、幾筋も幾筋も。
小さな花を集めてできた控えめな柔らかい紫は、触れるとわずかに湿っていて柔らかい。
しっとりとした指触りが、馴染むようで心地よい。
横向きに伸びる枝から下がる房の様子が、まるで猫の手招きのようだと考えていたら、後ろから思考に被さる声。
そっと触れる指先に、自分のそれより大きなものが重なった。
「まるで、手招きされているようだな」
「どこに」
同じ事を考えたのだとは言わずにそう問うと、何の照らいもなく、そうだな、と返る声。
「甘い世界へ、か?」
基本的に根っからの鷹の民であるティバーンは武骨で直截的で、甘ったるい修辞とは縁遠い性格である。
しかし、時折、今のような歯の浮く台詞を、さらりと言ってのけることがある。
「……バカじゃねえの」
伊達に長い付き合いではない。
すっかり免疫のある自分だが、それでも、そんなティバーンだからこそ様になっていると改めて感じてしまう悔しさというか面映ゆさというか、を隠して呆れ笑いだけを顔に乗せた。
つれないな、と、ティバーンが肩を竦めた気配がした。
「この花は長生きなんだそうだ」
「へえ」
「樹齢1000年を越すものもある、」
「鷹の民より長生きなのか?」
「らしい」
「聞いた話かよ」
呆れた顔をすると、はは、とティバーンは笑ってかわす。
「花が示す言葉もあるそうだぞ」
「花言葉ってやつ?」
なんだよ、これの花言葉、と顔を上げると、短く答えが返ってきた。
「歓迎、」
ああ、手招きのようだと感じたのは、あながち間違いではなかったのか。
訪れる人々を、それから寒さを打ち消して訪れる春そのものを歓迎しているようにも見えるから。
そして、広く横に張った枝から下がる花房が、天から春に向けての歓迎、祝福にも見える。
翼をもつものにとって、天高くはいつでも憧れの場所。
天からの歓迎、とは、随分心地のよい響きだ。
「陶酔」
続けられるティバーンの言葉に、辺りを見つめ直す。
噎せ返るようなものではない、ほのかな、それでいて飽きない香りは、確かに人を陶酔させるのかもしれない。
じわりと肌から染み込むような甘さで。
「それから、」
もったいつけて言葉を切ったティバーンが、面白がるように笑った。
背後に寄り添うようにぴたりと立たれているものだから、横から振り返ろうとしてもかなわない。
上にぐいと顎を向けて見上げると、微かに微笑んだ口元が、ゆっくりと降りてきた。
頬に手が添えられる。
すいと滑った指先が顎を掬った。
「恋に、酔う」
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