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◆NoveL
森の雫の乾く頃(2)




「紹介する。こいつは俺の相棒のトルードだ」

横に立つ銀髪の男を、パーンはそう紹介した。
隙のない身のこなしから、熟練の剣士であるだろうということがわかる。
トルードと紹介された男は、にこりともしないで立っている。
陽気さを全身で表しているようなパーンとはかなり違ったタイプのようだ。

「あんたをここまで運んだのはこいつだよ。礼の一つも言ってやってくれ」

しかしセイラムが口を開く前に

「パーンに言われたからやったまでだ。礼を言われることじゃない」

愛想のかけらもないトルードだが、パーンは全く気にした様子はない。

「ま、そういうことだ。気にしなくていいぞ」

…多分、いつものことなのだろう。

そんな風にして始まったダキアでの生活は、随分落ち着かなかった。
陽のあたる場所での生活に、慣れていなかったこともある。
けれどなにより、この館に住む者の明るさが、セイラムを落着かなくさせた。
パーンのように陽気な人間ばかりではない。盗賊団だというだけあって、柄の悪い人間もいる。
いさかいも起こる。はっきりいってかなりの頻度だ。
しかし、そこに深刻な暗さは存在しない。
先程までいがみ合っていたものも、時間がたてば再び笑いあって酒を酌み交わす。
くるくるとめまぐるしく、よく動く人間たち。
体も、心も。
活気のある空気。
生きている。
彼らは「生きている」のだと、実感する。
見えない闇が空を覆い、全てを飲み込もうとかぶさってくる、そんな時代の中でも。




「最近雨ばっかだなぁ」

食堂の隅のテーブルに陣取り、強引に連れてきたセイラムの向かいに座って、パーンは頬杖を付いてぼやいた。
ここ数日間、天は本来の色を見せず、厚い灰色の雲に覆われたままだ。
森の見回りを行うパーンたちにとって、天候の不順はやはり厄介なものらしい。
昨日も、巡回から戻ってきたパーンはずぶぬれになっていた。
セイラムは、温かい茶を口に運びながら窓を見た。
パーンはぼやいているが、セイラムはこの空は嫌いではないと思う。自分には、青い空よりもこちらの方が似合っている。
ぼんやりとそんなことを考えていると、入り口に喧騒が近づいてきた。
どうやら今日の見回りの当番たちが帰ってきたようだ。
ずぶぬれの頭にタオルを引っ掛けて、数人がどやどやと入ってくる。

「お、パーン」

「よぉ、ごくろーさん。何か変わったことは?」

「特に異常なし」

「トルードは?」

「先に部屋に戻ったみたいだぜ」

「そうか」

必要なことを話し終わると、彼らは濡れた体もそのままにテーブルに陣取った。
村で買ってきたものだろうか、酒を片手に。そして賑やかな笑い声が湧き起こる。
セイラムはその喧騒からふいと目を逸らし、窓に視線を戻した。

暗い、空。
晴れることのない暗雲。

まるで今の世を象徴するかのような。
しとしとと降り続ける雨を、ガラス越しに眺めながら思う。

「なぜ、彼らはあんなにも笑うのだろう」

絶望と恐怖に彩られた世界。その中で。空の雨雲の暗さなどには打ち消されようもない、彼らの持つ確かな明るさ。
ぽつりと口にした独白をパーンは聞きつけたらしい。

「楽しいからだろ」

あっけなく返された言葉にたじろぐ。

「……そう、なのか」

「そりゃそうだろ」

よくわからなかった。
「楽しい」とは、どんな感情だろう。
言葉としては、分かる。しかし、実感としては理解できない。
そんなものは、今までの自分に必要なかったから。

「あんた、ここにいるの楽しくないか?」

「……わからない」

正直に答えた。他になんと言ってよいかわからない。

「ふーん」

パーンはそれきり黙ったままだ。
気分を害したのだろうか?気になってちらりと見ると、パーンは腕を組んで何事か考え込んでいる。

「…パーン?」

「…ん?なんだ?」

普段どおりの表情で顔を上げたパーンは、機嫌が悪いというわけでもなさそうだ。

「……いや、なんでもない」

「なんだ?変なヤツだな」

笑う顔が、いつにも増して眩しかった。




「トルード、入るぞ」

ノックもせず、返事も待たずにドアを開ける。

「パーン」

濡れた服を着替えていたトルードは、相も変わらずノックのひとつもしない相棒に溜め息を付く。
しかし、パーンはそんなトルードの様子にはまったく構わない。

「何か報告は?」

ベッドの上に悠々と腰掛けて、短く聞いてくる。
どうせいつものことだ。言っても仕方ないか。
諦めて質問に答えることにした。

「どうも、ロプトの奴等がここいらを嗅ぎ回ってるようだ。森の辺りでロプトマージを見かけたという村人がいた」

「……そうか」

「今のところ実害はないが、いつ村の人間に危害を加えないとは限らない。それに、村人にはあまり不安を与えたくない。早いとこ手を打った方がいいな。」

パーンは両手を組んでその上にあごを乗せ、考え込む様子を見せる。
トルードは窓辺に行き、カーテンを開けた。
外は未だ暗く、雨は静かに降り続けている。
不安の象徴のように濁った空は、今日情報を聞いた村人の顔色を思い出させた。人々の表情が、以前より暗くなったようにトルードは感じる。
伝え聞くロプトの脅威が、自分たちの身にも降りかかるかもしれないのだ。当然だろう。

「お前、どうするつもりなんだ?」

このままセイラムを置いておくなら、それなりの覚悟をしなくてはならない。
教団は、裏切り者を決して許さない。
いつかは、見つかる時が来る。その時に降りかかる火の粉は、生半可なものではないだろう。
それでも守るのだろうか。
何かを守ろうとするなら、それに見合った力と意思と、覚悟が必要だ。
パーンはどうなのか。
トルードはそれが知りたい。

「……あいつな、楽しいってのがどういうことかわからないんだってよ」

「?」

「人がどうして笑うのか、わからないんだ」

「……」

「違う世界の光景でも見るような目つきで、俺たちを見てる。ずっと」

「そうだな…」

いつも、眩しい物でも見るように、目を細めているセイラム。
トルードから見ても、彼は遠いところに自分を置いているように感じられる。

「俺は見せてやりたい。世の中、そんなに捨てたもんじゃないってこと。笑わせてやりたい。楽しいって感情を、教えてやりたい」

目を閉じて、祈るように続ける。

「ここがお前の世界だって、知らせてやりたい」

「…わかった」

パーンが、一度助けた人間を突き放すような真似はしないとはわかっていた。
この決意がわかれば十分だ。トルードはそれに付き合うだけ。
パーンが願うなら、その通りに。

「悪いな、トルード。付き合わせて」

「今更だな」

この男と組んだときから、とうに覚悟はできている。パーンが右の拳を握って、ひょいと突き出してきた。

「頼りにしてるぜ」

口の端を少しあげて笑い、拳を合わせて返す。

「当然だ」





2009.1.4 reup



あきゅろす。
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