◆NoveL O x b l o o d(+アイシャ) 抵抗しない相手を始末するというのは、なかなかに気の重い作業である。 見知った顔、見知った仲間。 逃れられないと知ってなお裏切りを選ぶのには、彼らなりの理由があるのだろう。 逃げる背中を追うのは、まだ気が楽だ。 こちらに手向かってくるのが、一番やっかいではない。 かくいう今回の標的は、最後のタイプの手合いだった。 粛清者が差し向けられたと見るや、途端に剣を手にラガルトに斬りかかってくる。 牙からは逃れられない。 それは自明ことだ。牙に属していたものにとってはなおさら。 …逃げない潔さは、諦めの裏返しなのかもしれない。 寸分違わず急所を捉えた短剣は、深く差し込まれて肉の感触を手に伝える。 くずおれる塊から勢いよく引き抜くと、血を吸うかのように赤に塗れた刃先から、ぽたりと滴が落ちた。 二手に分かれて追っていた相棒が合流して、お互いの首尾を確認しあう。 「……」 ふと、話していたアイシャが沈黙した。じっとラガルトの左腕あたりを凝視している。 「アイシャ?」 なんだよと首をかしげると、相棒は眉を寄せた。 「それ」 「ん?」 「どうしたんだ」 首を捻って自分の腕を見下ろせば、つられて動く長い髪。先端が不自然に指一本分の長さほど切り取られた一束が、左腕の横で揺れていた。 床に染み広がる赤を跨ぎ超え、しゃがみこんで標的が事切れたことを確認する。 「…っ、と」 その拍子に、ぱらりと髪先が零れて床を擦った。いつの間にか髪紐が切れて、結っていたはずの髪がほどけて背中に散っている。 煩わしげにかき上げると、指に小さく引っ掛かりを残してばさりと後ろへ流れた。 赤く汚れた髪先が揺れた拍子に目に付いた。 こびり付くように乾きかけた赤い染み。 今ついたものではない。剣を交える最中に返り血でもとんで汚れたのだろうか。 なんにしろ、付けたままにして気分のいいものではないことは確かだ。しかし悠長に髪など洗っている場合でも場所でもない。戻るまでこのままでもよいのだが。 …切っちまうか。 簡単に結論を出して、ひょいとその部分の髪束を左手でつまんでナイフを宛がう。 ざり、と糸の切れるような感触。 はらりと手を離れた銀糸が舞って、手中に残る赤く汚れた残骸を放り投げた。 汚れたから切っただけだと簡潔に説明すると、むぅと更に眉根を寄せて、ますますアイシャが凝視する。 顔を近づけてきたと思ったら。 ぐいと髪を掴んで引っ張られた。 「痛いっておい」 「……」 「…何怒ってるんだよ」 「……」 「…?」 無言の相棒に肩を竦めて、仕方がないのでされるままに大人しくすることにした。 大事そうに指先に絡める髪が、しかし長さが足りなくなったせいですぐに零れてしまう。 アイシャは大層不満そうである。 そういえばこの相棒は、何故かラガルトの髪が妙にお気に入りだったかもしれない。 「ラガルト」 「なんだよ」 「この馬鹿」 「……そんなに怒るところか?」 たかだか他人の髪一つ。 「怒るとこだよ」 もう一度馬鹿と繰り返されて、ラガルトは頭をかいた。 館に帰れば、通りすがりのウハイまでもが眉を顰める。 「不揃いだ」 「そりゃまぁ…」 ばっさりと、手近な短剣で切ったのだから。 だが髪の一つや二つ、多少長さがばらついていたところで大勢に影響は無いと思うのだが。 「…みっともない」 「……へいへい」 すみませんねと受け流そうとして、浮かび上がった思いつき。髪に触れてくる腕をひょいと掴む。 「あんたが揃えてくれるか?この際ばっさり」 覗き込んだ瞳は一度絡んで、しかしふいと逸らされた。 「…お前の相棒の怒りは買いたくないな」 ちらりと視線を横に向けると、同じく視線をこちらに向けたアイシャが確かに目に力を込めている。 目を前に戻すと、ウハイの口元が僅かに歪んだ。 「俺も、長い方がいい」 ぽんと肩を叩いて、小さく笑ったウハイはそのまま行ってしまった。背中を肩越しに振り返って見送り。 こりこり。 頬をかく。 「あー…」 じゃあまぁひとつ、と口の中で呟いて。 「お願いできますかね、相棒殿」 高いよとアイシャは腕を組んだ。 さすがにこの相棒はナイフを使わせたらお手の物である。 椅子に座るラガルトの後ろ髪を手際よく切り揃えて、これでよしと満足そうにしている。 人差し指一つ分短くなった髪は、それでもまだ長い方だと思うのだが。 「もう勝手に切るんじゃないよ」 釘を刺されて、椅子に背を預けたままやれやれと顔を上げる。 「お前、自分が伸ばせばいいんじゃないか?」 ラガルトを見下ろす形の相棒の髪に手を伸ばして触れると、短い髪はさらさらと手から零れ落ちる。 黒味を帯びた深い赤。 暗闇にひっそりと溶け込んで、それでも消えることのない存在感を主張する。 明るいところに出れば、かえって一層黒のつややかさを増すのかもしれない。長く伸ばした相棒の姿を想像して、自分の考えに悪くないねと呟く。 「うん、悪くない」 一人で頷いていると、しかし当の本人にあっけなく一蹴される。 「伸ばさないよ」 邪魔だし、と見下ろしてくるアイシャに小さく苦笑。 もう一度、手を伸ばす。 触れる、柔らかい赤。 「この色は、何て例えたらいいかな」 深い赤。 ボルドーよりは少し明るい。 煉瓦色より、彩度は低い。 山葡萄に近いか。 あれこれと思考をめぐらせるラガルトに、アイシャが一言。 「オックスブラッド」 「……雄牛の血?」 なんだそりゃ、と首をかしげる。 「魔除けの呪いに家畜の血を使ったって話さ。雄牛の血を門に塗ったんだとさ」 …それはまた生々しい話である。 「オックスブラッド。それと似たような色だって言われたことがあるね」 事もなげにいう相棒は、その生々しい色に例えられても一向に構う様子は無い。 もともとそんなことに頓着するような女ではないし、まぁラガルトに綺麗だと誉めてもらいたいなどということは絶対にないだろうから。 小さく笑って、また手を伸ばした。 「魔除け、か」 「御利益にあずかってるだろ?」 どうだと言わんばかりに、相棒は少し胸を反らした。 自分たちの稼業には、綺麗なだけの髪よりも余程ありがたみがあるか。 そうだなぁと頷いて、それから身を起こした。 椅子から背を離して立ち上がる。 「…じゃぁま、感謝の念でも表して」 前髪を一束とって、顔を寄せる。 手のひらに心地良く乗せられた髪に、口付けを落とした。 「これからもよろしく、相棒?」 馬鹿、とアイシャが声を上げて笑った。 2008.8.21 Reup |