◆NoveL
手当て(マルス+カイン)
ドルーア軍との予期せぬ遭遇から、急遽戦闘態勢に突入したアリティア軍は、辛うじて勝利は収めたもののやはり無傷とはいかず、それなりの数の負傷者を出すこととなった。
近くの砦に入ったものの、シスターの治療だけでは手が回らず、軽傷者の処置は手の空いたものが手伝うことになり、そしてカインたちアリティア騎士はと言えば、応急処置ができるだけの道具を持って忙しく手伝い回ることになった。
怪我人の数も落ち着いてやっと一息つけるかというときだった。
みなが手当てを終えて人の姿も疎らなった広間を見渡すと、がらんとはしたものの、雑然とものが散乱しているのが目に入る。
シスターはまだ重傷者の処置にあたっているようだから、こちらには来られないだろう。
なにより、杖の使いすぎできっと疲れ切っているであろうシスターに片付けをさせるのも忍びない。
アベルはそのシスターを先程手伝いに行ったし、ゴードンたちは物資の確認に行ったばかり。数名残っている軽傷の怪我人がここを出てしまえば、あとはカインひとり。
ひとつ、溜息を吐いて、カインは散らかった包帯やら何やらを片付けることにした。
「お疲れさま」
一通り片付け終えたところで、背中にそう声をかけられて振り向いた。
近づいてきたのはマルス王子、彼は彼で戦闘の事後処理に追われていたはずだ。
姿を見せたということは、そちらも片付いたということか。
「マルスさまも」
お疲れさまでしたと返せば、うんと頷く顔は確かに疲れてはいるが疲労困憊というわけでもないようで、普段どおりの様子で辺りを見回している。
一軍を率いる指揮官として、少しでも軍内の様子を把握しておこうとするのが伝わってくる。
「こちらは一段落つきました」
報告がてらそう言ったのだが、マルスの視線はふとカインを見て、そのまま固定された。
「カイン、怪我してる」
小さく指差した先で確かに自分は腕に傷を負っていて、これは先の戦闘で受けたものだ。
人の世話ばかりして自分の処置を後回しにするなんてと、マルスの眉間に少し皺が寄った。
しかし、そもそも最前線で戦うことの多いカインは普段から生傷は絶えないし、耐性もある。
「いえ、大したことは」
ありませんから、と答えれば、カインの腕に顔を寄せたマルスは、眉間の皺を和らげた。
「シスターにみてもらう……程じゃないかな、確かに」
あんまりレナをこき使うとジュリアンも怒るしね、と笑ったのにつられてカインも表情を和らげた。
「ちょうど片付いたところなので。これから処置します」
だから大丈夫ですと言いたかったのだが、何故かマルスはそれを聞いて黙り込んだ。
「…………」
そしてしばしの沈思のあと、にこりと何か楽しいことを思いついた顔で笑った。
「手当て」
「はい」
「僕がしてあげる」
大丈夫ですからと辞退しても、いいから、主に押し切られてしまえばカインに断れるはずもない。
「腕、出して」
こうと決めたらてこでも動かない頑固さをこんなときに全開に発揮した顔に、カインが逆らえるわけもなく、大人しく袖を捲って腕を差し出すと、やる気に満ちた表情で自分も腕を捲るから、いったいどんな大事かと通行人でもいたら勘違いされそうだ。
白い綿に消毒液を浸し、傷口にあてる。特有のすっとした匂いが辺りに漂った。
傷はぴり、と痛んだがそれも慣れたもの。
「ねえ、」
「はい」
「痛くない?」
「はい」
清潔な白い布が薬を塗りこんだ傷口にあてがわれ、くるりとそれを包帯で包み込む。
戦いの日々に身を置くものとして、王子といえどこんな手当ては手慣れたもので、ものの数分で処置を終えた。
礼を言おうと身を引き掛けたカインだったが、マルスがカインの腕をとったまま動かないのに首を傾げた。
「傷、」
「は…?」
「いっぱいだ」
青い視線はカインの腕に固定されたまま。そこには大小様々の傷跡が残されている。
腕だけではなく、全身に残る傷跡は、グラの遠征に始まり、この戦いで負ったものも多い。
「僕を、………」
黙り込んだ王子を見ると、目を伏せて何事か口中で呟いた。
真新しい包帯に触れる指は労るように動き、
「守ってきた腕だ」
指の腹でそっと撫でる感触に、手の温度だけではない温かみを感じて、カインは微笑んだ。
「……勲章だ、などとは言えませんが、」
マルスが顔を上げた。
青い瞳が真直ぐにカインを見ている。
傷は、ひとつひとつが自分の未熟さの証。己の力不足が招いたものだ。それでも、
「それでも、アリティアと、王子、貴方を守れるのならば、傷を負うことを恐れはしません」
「……頼もしいな」
マルスが微笑んで、それから少し寂しげな顔をした。
「マルスさま…?」
「……何でも、ないよ」
ふいと見つめていた視線を外し、マルスが窓を見やる。
「もう遅いね。戦いの後だから。早く体を休めた方がいい」
「はい。手当て、ありがとうございました」
「うん」
「マルスさまも、今日は早くお休みください」
お疲れでしょうからと言えば、マルスはいつも通りに柔らかく微笑んで、うんと頷いた。
先程の表情は気のせいだったかと少し安堵して、頭を下げた。
「では、」
「うん」
見上げると空は晴れて、星がちらちらと輝いている。昼間の戦闘など感じさせないほどに涼やかなそれに、僅かだが心を洗われたような気分になる。
そして、マルス自らの手当てを受けた腕は薬の効果だけではなくどこか温かく、体の疲れも相まってよく眠れそうだとカインはひとつ息を吐いた。
吸い込まれそうに美しい夜空に、微笑みかける。
何ものも、恐れはしない。
全ては祖国と、マルス王子のため。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
カインと別れて自分に割り当てられた部屋まで戻る途中、マルスは星空のよく見える回廊で立ち止まった。
小さく溜息をひとつ。
見上げると綺麗な銀の粒が無数に瞬いている。
眺めていると、何一つ疑わない目が思い出された。
"恐れはしません"
それは騎士としてアリティアに仕える家臣として、とても正しく立派な志なのだろうと思う。
カインはいつだって真直ぐすぎるほどに真直ぐだから。己の全てを賭しても、使命を全うしようとする、そういう人間だから。
でも、
アリティアの騎士たちが、
カインが傷を負うのは、マルスが弱いからだ。
まだ、未熟だからだ。
言わせたくない。
カインの決意を否定するわけではない。
彼の自分に対する真摯な忠誠は何にも代えがたい、得難いものだ。
でも、そうではない。
そうではなく、
騎士たちが命を賭すなどということなく、犠牲になどなることなく、ただ、共に歩んでいきたい。
待ってて。
もう少しだけ、待ってて。
君が傷なんて負わなくてもいいくらい、僕が強くなってみんなを守から。
戦いでだけじゃなくて、もっともっと全部、守るから。
星空にそっと立てた誓い。
マルスの胸の中だけでひっそりと、しかし深く根付いたそれは、星々のように小さく輝きを放つ。
朝になっても消えることのない輝きを胸に、マルスは顔を上げた。
2009.6.13
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