◆NoveL
あくび(カイン+マルス)
ふあ、とマルスが口を開けた。
片手で口元を覆うが、それでも隠しきれないくらいには大きく開けていて、つまりあくびをしていて、まあ、王らしくないと言えばらしくない見栄えではある。
注進申し上げようかどうか、古参でない家臣なら迷うようなところだろう。
しかしそこはカインのこと、仕えた長さでは家臣中でももっとも長い部類に入る。
「マルスさま」
短く小さく名を呼べば、機嫌を損ねるでもなく、ああごめん、と若い主君は苦笑いをして姿勢を正した。
「すぐに次の謁見です」
耳元に寄せて、ちゃんとなさってください、と言外に告げる。
先ほどの貴族は出て行った後だが、今日は謁見の予定が詰まっていて、すぐに次の貴族が入ってくるだろう。
王国を建て直している最中の今、連日働き通しで主君に休む暇もないのはよく分かっている。
無理をしているだろうことも。
しかし、マルスはすぐに居住まいを正した。
凛とした視線が前を見据え、入ってくるものを出迎える。
それは紛れもなく王者の目、顔つき。
決して弱音を吐かずに前だけを向くマルスを支えたいと強く思う。
扉が侍従によって開けられ、案内されて入ってきた貴族は年のいった、若い国であるアリティアの中では比較的古い血筋の男だ。
新王国での地位だとか役職だとか、そういうものを固持することにかけては昔から有名だった、と聞いている。
今回の謁見で一体何を願い出るつもりか、よく見て知っておかねば、とカインもまた、居住まいを正した。
ふあ、とマルスが大きく欠伸をした。
謁見の間を出、本日の午前の執務は終えた。今は一度マルスの私室に戻るところである。
それを見つめて、カインは微笑む。
「お疲れ様でした、マルスさま」
うん、とマルスは答えて、それからちょっと首を竦めた。
半歩分前を行くマルスだから、わずかに振り返りながら。
「……今度は、怒らないんだ?」
何も自分は怒ったつもりなどなかったのだが、そもそも主君に対して「怒る」などという感覚が起きようはずもないのだが。
「今は、謁見の場ではありませんから」
「うん、そうか、そうだね」
いつでも堅苦しい儀礼を求めるわけではありませんと告げれば、縮めた首を伸ばして嬉しそうに微笑むマルスを見ていると、カインまで自然、微笑んでしまうから不思議だ。
このひとには周りを巻き込むような不思議な力と、魅力があって、だからいつも自分は傍に居続けたのだろうと思う。
さきの戦争の終結後、道をたがえた仲間も多い。
けれど自分はここから離れる気など微塵も起きなかった。
このひとから離れようとは、かけらも思わなかったのだ。
多分、これからも。
自分はずっとこのひとの傍にいるのだろう。
わずか半歩先の姿をじっと注視してしまっていたらしい。
視線に気づいたのかマルスが振り返った。
「何?やっぱり、みっともないって怒ってる…?」
「いえ、」
そういうときは昔と変わらず、幼さを醸し出す表情に、自分の顔も柔らかくなるのがわかる。
「本当に?」
「はい」
ならいいけど、と言いながらマルスが歩みを遅らせた。
そうすると、二人の位置が横並びになる。
そういえば二人並んで歩くというのはあまりない。
戦場ではカインは常に前、最前線に立っていたし、傍に控えるときは常に半歩後ろだ。
並ぶと、昔よりも随分とカインに追い付き始めた身長に目が行った。
年を追うごとに立派な青年へと成長を遂げているマルスの目線は、いつしかカインに届かんばかりになっている。
もう一度微笑んで、カインはマルスと並んで歩を進めた。
これからも、きっと自分はこのひとの成長を見続けるだろう。
許されるかぎり、かわらず、そばで。
やがてマルスの私室まで辿り着いた。
先に立って扉を開けながら尋ねる。
「お食事はこちらにお持ちしますか?」
王ともなれば、食事の時間すら貴族と会食だのなんだのと、自由が効かないものなのだが、今日は特に何の予定も入っていないはずだ。
たまにはわずかな時間くらい、ゆっくり、のんびりと過ごしてもらえればいいと思った。
「うん、今日はそうしてくれると」
嬉しいな、と言った後、マルスがふと考えるような仕種をした。
「カインは?」
青い瞳がわずかの期待を込めて向けられて、意味をとらえ損ねたカインは聞き返す。
「はい?」
「カインは、食事は?」
「これから、ですが」
「誰かと予定がある?」
頭の中で、今日の予定を思い浮かべて考える。
昼食は特に誰かと食べる約束はない。
騎士団のことは部下に任せてあるし、どこぞの貴族に会食を申し込まれたということもない。
午後には騎士団の訓練に出なければならないが、それにもまだ時間はある。
「いえ、特には」
言えば即座にマルスの瞳が輝いた。
「じゃあ、一緒に食べよう、久しぶりに!」
僕にゆっくりしてほしいと思うなら、そこまで付き合ってくれたら嬉しいんだけど、と覗き込まれて言われては、カインには断る術も、つもりもない。
「はい」
苦笑しながらの返事に、マルスは昔と変わらない笑みを一層強くした。
「相変わらず覚めた食事はおいしくないけど、カインと食べるとおいしく感じるよ」
終始機嫌よく皿をつつくマルスを見ていれば、カインとてこれ以上、最高の調味料はないのだった。
2010.2.27
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