楽しかった食事会から一週間後の土曜日。いつも通りの時間に起こされた僕が、朝食をとっていると家のチャイムがなった。 「美恵さんが来たみたいですね」 「仕事関係?」 「ええ。今日からニューヨークなので」 「そうなの?」 「ええ」 夕季はエプロンを外して玄関の方に向かう。僕はそれを目線で追いかけながら、茶碗に盛られたご飯を頬張り、メインの焼き魚を食べていく。 うん。今日も美味い。 『夕季様、お迎えにあがりました』 『美恵さん。ありがとうございます。ですか、まだ兄様の朝食が終えていませんので、もう少し待ってもらえますか?』 『かしこまりました。明久様の準備が終わるまで車で待機しております』 『ありがとうございます。あ、私と兄様の荷物を運んでおいてくださいますか?』 『かしこまりました』 ん? 僕の分の荷物? 疑問に思って振り返ると、そこにひょっこりと夕季が顔を出した。 「あ。兄様、食べ終えました?」 「うん。食べ終わったけど・・・。ねえ。荷物って、な(では、片付けますので、食器はそこに置いておいてください)あ、うん」 「あ、それとパジャマを着替えてください。着替えは部屋に用意しておきましたので。パジャマは洗濯カゴの中に入れておいてください」 「あ、ちょっと夕季!?」 荷物の件を訊ねようとしたが、夕季に遮られる。そして強引に自分の部屋に押し込まれた。 「・・・・・・・・・・・ふぅ。着替えるか」 呆然と部屋のドアを数秒間見つめていたが、深いため息をはきだして気持ちを切り換えることにした。 あの状態の夕季に何を言っても、意見は通らない。 だから、ここは素直に着替えるに限る。 「夕季、着替えたよ〜」 素直に着替えた僕は、パジャマを洗濯カゴに入れると、キッチンにいる夕季に声をかけた。 「私も片付けが終わりました。では、参りましょう」 「? どこに?」 「ニューヨークです」 「え?」 「美恵さんをこれ以上待たせるのは申し訳ないので、急いで玄関に向かいましょう」 「夕季!? ニューヨークって、僕も行くの!?」 「ふふふ。当然です。では、行きましょう♪」 「ちょっ、まっ」 夕季に手を掴まれたかと思うと、足が宙に浮くぐらいの勢いで僕は引っ張られる。そして、そのまま車に引きずり込まれてしまった。 「では美恵さん。出発してくださいな」 「かしこまりました。夕季様」 僕が逃げ出さないようにガッチリとホールドした夕季の号令で、美恵さんは頷いて車を発進させたのだった。 ***** ――現在―― 強引に連れてこられて、ニューヨークで迎えた最初の夜。僕は、夕季に理由を訊き、ため息を吐き出しつつ、階下の街並みを見つめていた。 あの時、素直に着替えなければ・・・。いや、どっちみち夕季に着替えさせられるか。 「はぁ・・・・・・。よっ、と」 ピッ。 もう一度、ため息をはいた僕は、ベッドにダイブしてテレビのスイッチをつける。 『―――昨夜未明、ロウアー・ニューヨーク湾内にて、謎の浮遊物が浮かんでいるのが発見されました。警察の発表によると、その浮遊物はビニールシートに覆われた人間であり、中国系の男性とのこと。また、何か鈍器のようなもので殴られたあと、海に落とされた可能性が高いらしく、身元は目下調査中とのことです。続きまして―――』 ピッ。 僕はニュース(字幕)の途中で、衛星チャンネルに切り換える。 「やっぱ外国は危ないなぁ」 「ふふふ。ここは安心ですよ。セキュリティは万全です♪」 その小さな呟きが聞こえたのか、夕季から返答があった。 僕は、チャンネルをいろいろ変えながら応える。 「ふ〜ん。じゃ、ここから出ないほうが良いのかな?」 「別に出ても構いませんが、外に出ると捕まると思いますよ、姉様に」 「・・・・・・・・・・なぜに?」 な、なんでホテルの外に出ると、ね、姉さんに捕まることになるの・・・? 「同じ市内ならば兄様の気配ぐらい読み取るのは容易いですから、姉様は。まあ、私はどこにいてもわかりますけど」 「・・・・・・・・・・・・」 僕の姉と妹はどこかおかしいと思う。 若干冷や汗を書きながら僕は、仕事をしている夕季を見つめる。 「ホ、ホテル内にいれば姉さんにはわからないんだよね?」 「ええ。結界を張りましたので、私と兄様の気配は遮断されていますから」 「なら、夕季の仕事が終わるまでホテルにいるよ」 「そうですね。その方がよろしいかと」 夕季は頷くと、仕事に集中していく。 僕はめぼしい番組を見つけたので、チャンネルを固定して、夕季の邪魔にならないようにテレビの音量を下げる。 仕事がいつ終わるかわからないから、ホテル暮らしは退屈だけど、姉さんに捕まることに比べればマシだ。 あ、夕季が言ってたけど、このホテルの食事は最高らしいから、ひとつルームサービスでも頼もうかなぁ。 番組のゲストたちのトークをBGMに、僕はメニューを開いて何を頼むか考えていった。 ********** 明久と夕季がホテルに到着した時、吉姫コーポレーションのオフィスでは、明久と夕季の姉である吉井玲が仕事をしていた。 吉井玲はハーバード大学を首席で卒業後、父である明憲が社長を務める吉姫コーポレーションに入社。今現在、営業部第三課に配属されている。 「むむっ!」 「ど、どうしたの? 玲さん」 突然立ち上がった玲に同僚が怪訝そうに訊ねる。玲はそれに何も反応せず、夕季たちの泊まっているホテルの方角を見つめていたが、首を横に振ると椅子に座り直した。 「どうかしたの?」 「いえ。弟の気配がしたと思ったのですが、気のせいだったようです」 「そ、そうなんだ」 玲は何事もなかったかのように仕事に戻る。 若干引いていた同僚も、いつもの発作だと割り切って仕事に戻る。 「そういえば、うちの会社にハッキングした命知らずな人って捕まったのかしら?」 「いえ。まだのようですね。社長(お父さん)がいま調べている最中だと仰ってましたよ」 「ふ〜ん。シルバーエンジニア自らが調べてるんじゃないんだね」 「そうみたいですね」 「そうか。何も盗まれてはいない状況でシルバーエンジニアが出張っても仕方がないよねぇ」 「ええ」 玲は同僚と世間話をしながら、明憲の言葉を思い出していた。 『ハッカーは明らかにシルバーエンジニアのデータを狙っていた。おそらくは誰かに依頼されてハッキングを行ったのだろうが、失敗に終わった今、そいつは最早生きてはいまい。夕季は、ハッキングを依頼した人物に心当たりがあるらしい。ニューヨークにつき次第、調べてみると言っていた』 <・・・・・・何もなければいいのですが・・・・・・> 「え? 何か言った? 玲さん」 その呟きが聞こえたのか隣の同僚が訊ねてくる。玲は『なんでもありません』と誤魔化して、後ろの時計に目線を向ける。 「あ、もうすぐ終業時間ですね。このままだと残業することになりますので、急ぎましょう」 「え!? あ、もうこんな時間なの!? 急がなくっちゃ!」 玲は一抹の不安を心の中から追い出しながら、同僚とともに作業スピードを上げていく。そして、終業10分前で今日中に仕上げなければならない仕事を終えたのだった。 ***** 「いまユキちゃんからメールがあったわ。ハッキングを行ったのは、リュウケンというハッカーのようね」 「リュウケンか・・・。確か先ほど報告の上がっていたニューヨークで発見された死体の身元が、そういう奴じゃったかの」 姫川グループの本社の社長室。 宋華と宋二郎が、“清姫”からあげられた報告書を片手に話をしている。 二人は夕季から送られたメールに書かれてあった“リュウケン”という名が報告書にあったことに、眉間にしわを寄せる。 報告書には『身元不明の死体が発見される。地元警察の協力者によると、中国系の男で、名をリュウケンである可能性が高いとのこと』とあった。 「失敗したから口封じに消されたようじゃな」 「そのようね。・・・・・・ねぇ、お祖父さん。本当にヒール・スミスの関係者が犯人なの?」 「それは分からん。ユキ嬢の勘じゃからな。しかし、ユキ嬢の勘は外れたことがないからの。間違いなくヒール・スミスの関係者じゃろう」 「・・・・・・ユキちゃん。大丈夫なの?」 「美恵が 「そう。彼が・・・・・・」 宋華はソファーに身体をあずけると、美恵が夕季たちの護衛を頼んだ人物の顔を思い浮かべる。 「普段の彼を見ていると、頼りないのよねぇ。演技だって分かっててもねぇ」 「そうじゃな」 宋二郎は苦笑を浮かべつつ、一昨日いった“ラ・ペディス”での彼と娘のやり取りを思い浮かべたのだった。 |