A
☆
凛の後姿を見送り、俺は、近くの椅子に腰を掛け、小さな窓から見える透明な空を見上げた。
「次の仕事……か」
「なになに? 凛君、居なくなると寂しい?」
ヘラヘラと笑いながら、秋月は俺と同じテーブルの椅子に腰掛けた。
「そう言う秋月先輩は、寂しくないんですか?」
「もちろん寂しいよー。花が無くなるのは悲しいよねー。それでなくても、あの学校、潤い無いし男ばかりだしさ、しかも可愛い子、少ないから、むさ苦しいし」
「男子校なんですから、当たり前じゃないですか」
斉藤は、隣のテーブルから椅子を引っ張り、俺の隣に置くと、そのまま静かに腰を下ろした。
「女性が男子校に居る方が、おかしいのですから」
「まぁ、そうなんだけどさー」
――確かにそうなんだよな。
男子校に女性である凛が居るということ事態、普通ではありえない事で……凛が居た生活は、現実の中の非現実な生活だったんだ。
なんだろう……そう考えれば考えるほど、凛とはもう、一生会えない気がしてくる。
凛と逢えた事は、奇跡であって、こうやって共に居られる事すらも奇跡で、奇跡の塊であるこの時間は、限られている。
当然だ、奇跡なんだから、常に奇跡が起こっているのはおかしい。
「そういやぁ、凛君の次の仕事って、なんだろうねー? 修二は何か聞いてないの?」
秋月は、机に肩肘を付き、その手に顎を乗せながら斉藤を見やる。
斉藤は感情が見えない表情で、一つ頷いた。
「ホントにー? 俺を“出し抜いて”ちゃっかり朔さんのお気に入りになってるんだから、少しぐらいは話してくれてんじゃないのー?」
“出し抜いて”を強調し、挑発的にそう言った秋月の物言いに、斉藤は特に意に介した様子も無く、いつも通りの無表情で淡々と言葉を紡ぐ。
「朔さんは、プロです。私情で仕事の内容をペラペラと他人に話をする人では無いですよ。それは、秋月先輩もご存知でしょう?」
「むー、判ってるよー。判ってるけどさー、朔さん、あからさまに俺と修二の対応違いすぎるんだもーん!」
秋月は、机に突っ伏して、目線だけを斉藤に向けた。
「いいよな、修二はいつも可愛がってもらえてさ。俺だって、朔さんを愛してるのにー!」
「俺は、朔さんを愛してはいません。秋月先輩と一緒にしないで下さい」
「そんな事を言っちゃう修二にジェェェーラァーシイィーー!!」
しくしくと泣きまねをする秋月を斉藤は若干、鬱陶しそうに見下ろす。
多分、朔が秋月を邪険にするのは、そういった所だと思う。とは、言わず「朔さんもその内、秋月先輩の想いを判ってくれますよ」と、当たり障りの無い宥めの言葉を掛けておいた。
――ミーティングルーム――
「……これ間違い。って訳じゃないのよね?」
書類から恐る恐る視線を上げると、眉間に皺を寄せた兄が、機嫌の悪そうな眼つきで私を睨み付けた。
「――凛。俺を誰だと思っているんだ? そんな凡ミスする訳ないだろ」
「ソーデスネ」
俺様発言はいつもの事だが、どうやら、我がお兄様は、少々機嫌が悪いらしい。
それは眉間の皺の深さが物語っている。
私は、小さく溜息を吐くと、兄が座っている革張りの椅子の近くまで歩を進めた。
そして、人差し指でグリグリと兄の眉間の皺を伸ばす。
「ここに皺寄せるクセ、止めた方がいいよ?本当の皺になっちゃう」
兄は相変わらずムスッとしながらも、私の好きなようにさせてくれている。
昔から兄は、表情や物言いはキツイが、根は結構、優しかったりするのだ。
興味が無い振りして、実は興味深々だったり、本当は好きなのに嫌いだと言ったり、かなりのひねくれ者でもある。
「で、なんで、こんな事になったの?」
ズイッと兄の顔を覗き込むと、皺を伸ばした眉間に再び皺が寄せられた。
「……借りを返す為にな」
「は?借り?」
借りを返すってことは、以前に借りを作ったって事よね?
あの人に借りを……ね。
あの人を脳裏に浮かべた瞬間、ゾクゾクと背筋に冷たいモノが走ったような気がした。
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