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届かない場所へ行くのなら

届かない場所へ行くのなら
(約束して、もう二度と戻らないと)


ミシミシ、と廊下の軋む音。
それは向こうからやってきて隣の部屋を通り過ぎ、俺の部屋の前でゆっくり止まった。
その少し後に襖の開く音ときぬ擦れ。
ゆっくりと音が発たないように襖は閉められ、また微かなきぬ擦れの音がした。
俺はそちらに背を向けたまま、暗闇を見つめて小さく拳を握る。
誰が入ってきたかはわかってる。
そいつはゆっくりこちらに歩いてきて数秒佇み、俺の傍にゆっくりと腰を下ろした。

「良守、起きてるだろ」

なるべく小く発せられた声。やっぱり兄貴だ。
俺が起きてるのなんか兄貴はわかってる。それでも俺は暗闇を見つめて兄貴に背を向けた。
兄貴が俺の部屋に来た理由を俺は知ってるから、わかってるからそちらを見ない。現実から逃げたいから。
兄貴はふっと小さく鼻で笑って、俺の背に軽くもたれた。
とくとく、と小さく伝わる心臓の音。
広い背中が暖かい。

「お前は、本当に可愛くないな」

発せられた声が背中越しに響いてまるで直接心臓に当てられたみたい。
心地良い心音と兄貴の熱が俺の気持ちなんか無視で眠りをさそって、でも必死に寝まいと目を凝らした。
寝たりしない、寝たら兄貴が消えてしまう。
兄貴はしばらく黙ったままそこに座って、時間だけがゆっくり過ぎていった。


「これがほんとに最後かもな」

ぼそりと告げられた言葉。
ほんとに、ほんとに最後のような寂しい言い方。
そんな言い方しないでほしかったから、俺は寝たふりをしていたのに。
暖かい背中がすっと離れて、かわりに頬に手を当てられた。
熱い、熱い手が俺の頬に触れる。
それがあまりに悲しくて、思わずその手を捕まえて、ぎゅっと握りしめて引き寄せた。
兄貴はこんなに近くにいるのに、もう遠くに行ってしまうんだ。



「…馬鹿兄貴」



可愛いことなんて言えない。
これが俺の精一杯。
勝手に俺から離れてく、兄貴に向ける精一杯の言葉。

兄貴は少し笑って、おやすみ、言うと俺の手を摺り抜けて、遠く彼方に向かってしまった。




届かない場所に行くのなら、
約束して、二度と戻らないと

そうすれば俺は、そこを目指すから




fin.

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あきゅろす。
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