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15


私にとってその行為は酷い嫌悪を催すものだった。
元来受け入れる場所でないところへ無理矢理押し入られて、ぐちゃぐちゃに犯されていく。初めてそれをしたのは私の両親を虐殺した悪魔だった。禁欲を良しとする聖職者には思い付きもしなかったその行為は私の自尊心をずたずたに切り刻み、痛みではなく快楽で持って私を屈服させた悪魔は酷く楽しそうに笑っていた。以来、悪魔だけでなく人間にも犯された。時には嫌悪を持って、時には愉悦を持ってして私を蹂躙していく。刃で切り裂かれる痛みとは違う。何度されても、アレだけは慣れると言う事が無かった。


「…」

だから、ニールが私にその行為を行おうとしていることに酷く恐怖を覚えた。私を犯した多くの男と同じように彼もまた私をそう扱うのだろうかと怯えた。けれど…優しく私の頬を撫でるニールの手は、私の知るどの男とも違っていて。愛していると囁かれる。その言葉に嘘はないように思えた。ゆっくりと重ねられる唇は優しく、まるで壊れ物を扱うかのように肌を撫ぜられる。おかしな話だけれど、こうして誰かと唇を重ねるのは初めてだった。労られ、慈しみながら触れられるのは初めてだった。…私は、彼の言うように綺麗な身体など持っていない。体中に傷跡はあるし、何よりも…カースに蝕まれた身体は、嫌悪の対象になってもおかしくない様子を呈していた。視覚的な意味だけではない。見ず知らずの悪魔や人間に犯された数はもはや、両手足では数え切れないだろう。醜い、汚れている、と己でもそう思う。なのに、ニールは傷跡のひとつひとつに触れて、まるでその全てを慈しむかのようにカースに侵された肌に口付けた。ふと目の合った翡翠色の瞳が柔らかく細められる。その優しい瞳でまっすぐ私を見ながら綺麗だよ、とニールはもう一度だけ繰り返した。

何故だろう。彼の瞳を見ていると、酷く安心する。
初めて出会った時もその瞳の色に惹かれた。翡翠のように美しい瞳。グリーンの瞳なら、エーカー騎士団長もサタンも、彼の弟妹も皆そうだ。その中でも異彩を放つ…何かが違うと感じる。

(ああ、もしかして…)

ふと気付く。私と彼はこうして出会う運命だったのではないだろうか、と。"世界"は象徴として私の光ではなく、彼の光も受け入れた。賢者アウラは言った。いずれリュクスとソナスの魂を継ぐ者が世界を救うだろうと。もしかしたら…彼も"そう"なのかもしれない。箱庭で過ごしたリュクスとソナスのように、私たちは"また"出会う運命だった…?

「ニール…」

手を伸ばす。彼はその手を優しく取ってくれた。私に触れるひとつひとつの動作からニールの想いが伝わってくる。愛されている。そう思うと、自然と満たされた思いになった。受け入れる痛みも、苦しさも、ニールと繋がっているために生じるものなら酷く愛おしく思えた。何度も口付ける。重ねた手を握り合わせる。どろどろに溶けてひとつになってしまうような気がして、それもいいかもしれない…と芯を失った思考の片隅で考えた。吐き出される熱が酷く熱くて、愛おしかった。

幸せだと、思った。
触れる温度の全てが、私を包む全てが、…幸せだった。

そう思った瞬間、じわりと涙が滲んで、頬を伝い落ちた。こんな思いをする日が来るなんて、思いもしなかった。何も感じず、何にも反応せず、息を殺して生きて…そうして死ぬのだと、思っていた。浅い呼吸を繰り返しながらニールが私を見下ろす。気遣うように私の名を呼ぶニールから顔を背けて涙を隠そうとするけれどニールは気付いてしまい、戸惑いながら悪いと謝られる。まるで子どもをあやすかのように背を撫でたニールに小さく首を横に振った。

私を慈しみ、包んでくれるこの人が愛おしい…。
初めて、私の意志でこの世界を救いたいと思えた。この人の生きる世界を。この人の愛する世界を。

「ニー、ル…ッ」

そうして、初めて生きたいと願った。ニールの胸に縋りついて涙を流す。誰を愛したとしても、どんなに生きたいと願っても、私は…生きられないというのに。

「ッ…死にたくない…!」

世界を救えば、私は巫女としての役目を終えて生を閉じる。世界を救わなくても、悪魔のかけたカースによって私の身は滅びる。どちらに転んでも、私に生きる未来はない。それを救いに思っていた。全てを終わらせれば死ねるのだと、そう、思っていた。

けれど今は違う。生きたいと願ってしまった。この人と生きたいと、心の底からそう…願ってしまった。

ニールは震える手で私を抱き締めて、言葉もなく唇を噛み締める。旅の初め、ティエリアは一言だけ私に警告した。あまり彼に近寄りすぎるな、と。その言葉に込められていた真意を理解しながら、それでも心を寄せてしまった。死にたくない。けれど、私には…私たちにはどうしようもできない世界がここにはある。

ニールの優しい手に泣き縋りながら、私は久しぶりに声を上げて泣いた。



***




「議会の承認が下りた。イグニス王国は預言の巫女を全面的にサポートする」

翌朝、朝一でライルの執務室に呼び出された俺は、そこで国王としての最終決定を伝達された。静かな声音で告げたライルに俺はしばらく言葉を出せなかった。昨晩まで渋っていた議会をどう納得させたのか。もしライルが議会に無理矢理承認させたなら、それは新たな内乱に発展してしまう可能性もある。

「…昨夜、エイミーが襲われたよな?」
「、ああ」

幸い、エイミーは軽症で済んだが…リジェネ・レジェッタの言葉を思い出し苦い思いが蘇ってくる。***は朝早くに自分の部屋に戻っていった。…死にたくないと、まるで絞り出すような声音で言った***に心臓が握り潰されるような思いを感じる。

「その際襲撃した悪魔が、聖地の枢機卿の一人であるレジェッタ卿に酷似していたとエイミーが証言した」
「枢機卿…?」
「教団の上層部だよ。エイミーは外交で何度か聖地に行って枢機卿とも顔を合わせてる。エイミーの証言と巫女の言葉の信憑性を踏まえて、議会もこれが一国の危機でないことを悟った」
「…」

王国のサポートを受けられるのは、とても心強いことだった。けれど今はそれを素直に喜べない。ライルに力添えを頼んだ時とは…状況が一変してしまっていた。

「…なぁ、ライル」

視線を足もとに落としながら、俺は小さく俺の片割れに問いかける。

「愛する人の命と世界を…俺はどうやって天秤にかければいい?」
「、!兄さん、それって…」

ライルが追及するよりも早く、慌ただしく執務室のドアが開けられる。

「へ、陛下!巫女様の様子が…!」
「!」

はっとして顔を上げる。メイドの話では、朝食の給仕に行ったところ急に苦しみ出して倒れてしまったのだと言う。

(まさか、)

思い当たる節に、俺は急いで***に宛がわれている部屋に向かう。やじ馬で集まった城内の人間を掻き分けて部屋の前に立つと、聞き覚えのある悲鳴が耳に届いた。

「ティエリア、俺だ!」

恐らくは部屋に錠をして、中で***を看病しているであろうティエリアの名を呼びドアを叩く。開いた扉から部屋の中に身を滑り込ませると、案の定ベッドの上でもがき苦しむ***の姿があった。暴れる身体を押さえつけているティエリアは羽を広げ、瞳を金色に輝かせている。ベッドに駆け寄ると、俺に気づいたらしい***が強張った手を伸ばしてきた。俺を認識し、縋ろうとしてくれた腕にどこか安堵する。安心させるために***、と名を呼ぼうとした俺の声に***の声が重なる。

「ころして…」

小さく、***は俺に懇願した。

「***を押さえていろ、ニール・ディランディ!」

ティエリアはカースの進行を食い止めているらしかった。見れば、昨晩よりもじわじわと変色した皮膚の面積が増えて行っている。黒化した肌の、その端がぐじぐじと赤く膿んでいた。白い肌との境界線はまるで意思を持っているかのようにぐずつき、じわじわと健全な肌の部分を侵食していく。酷い痛みをもたらすらしいそれに、ほぼ錯乱状態と言って過言でない***は悲鳴を上げた。

「お…願い…ニールッ、殺して…!あなたの手で、お願いだから…ッ!!」
「***…!」

昨晩、死にたくないと言った口が今、死を懇願している。かっ、と見開かれた目は悪魔たちと同じ金色をしていた。俺にはどうすることもできず、押さえる意味も兼ねてその身体を抱き締める。***の身体は驚くほど冷たかった。かと思えば、焼けてしまうのではないかと思うほど熱くなる。ぼろぼろと見開いた瞳から涙が落ちていく。掠れた声でウェルバを詰り、死を懇願する。何度も、何度も。見ていられなくて、そっと頬に手を添えて***の名を呼んだ。

「ッ…くそ!」

ティエリアが小さく呻いて、***に宛てていた腕から血が迸る。カースは胸の上にまで至って、***の抵抗が一層酷くなってきた。

「***!!」

まずい、と俺の目から見ても分かった。これがどこまで至ったら致命傷になるのかは俺には分からない。けれどティエリアの焦ったような息遣いや尋常になくもがき苦しむ***に、けして猶予がないことを悟った。

「***!!俺を見ろ!」
「ッ…うぅぅ…!!」

両腕を押さえつけたまま、俺は***の名を叫ぶ。
「死にたくないって言ってたじゃねぇか!生きるって決めたんだろ!?ならこんなのに負けんなッ!!」
「ッ…!ニー…ル…」

一瞬だけ、***が俺を見た気がした。
だんだんと抵抗が弱まっていって、それと同時に声も小さくなっていく。カースの発作が完全に治まったことを確認してから、ティエリアは***に触れていた手を離した。ずる、と黒い液体がティエリアの指先から滴り、腹に落ちたそれは***の中に溶け込んでいく。何となく、それが***を蝕むものなのだと思った。くたりと折れた羽に、ティエリアは毎度こうして***のカースを喰い止めていたのだと知る。***もティエリアも酷く衰弱していて、ほんの数分前までの喧騒が嘘のように静まり返る。

「…う…」

く、と弱い力で腕を握られる。見れば、目の下に隈を作った***が力なく俺を見ていた。その瞳に、ぞくりと悪寒にも似た思いを感じる。

「…ニ…ル…」

***は俺の知らない瞳の色のまま、掠れた声で俺の名を呼んだ。そして言う。

私を神殿へ連れて行って下さい、と…。





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あきゅろす。
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