竜胆
竜胆の花が咲いている。
花に視線を落として、もう一度愛しい人の後ろ姿を見る。
こんなにも君が愛おしい。
- * - * -
「もっくん」
いつもみたいにお前は俺をそう呼んで、笑う。
だから、俺もお前にわからないように痛む心の傷を隠して笑うんだ。
「もっくん言うな!この晴明の孫」
「孫言うな!物の怪のもっくんの分際で」
他愛もない日常の会話。
いつもと同じ。
だけど違う。
それは、お前が悲しそうな顔をするから。
お前が悲しい瞳をする度に俺は罪悪感を感じる。
一度、お前をこの手にかけた。
俺という存在に唯一の居場所をくれたお前を。
今も鮮やかに蘇る。
倒れたお前の狩衣が真っ赤に染まるのを。
血に染まった俺の手を。
鉄の味が口腔内に広がって、気づいた時にはお前は瀕死の状態だった。
それでもお前は、俺を助けてくれた。
なのに俺はお前に何もしてやれない。
「もっくん……どうした?痛いって顔してるぞ?」
白い毛並みを撫でながら、昌浩は優しく俺を抱き上げる。
お前はそうやって人のことは簡単に見透かして、自分のことはひた隠しにする。
俺は何もしてやれない。
「……俺は、」
「ん?」
「……俺はお前に何もしてやれない」
昌浩は黙ったまま、俺を抱く腕に力を込めた。
今は見えない昌浩の表情は、きっと痛そうな顔をしているのだろう。
「……そんなことないよ」
昌浩は小さく呟いた。
それは、微かな声だった。
でも、俺がお前の言葉を聞き逃すはずがない。
その言葉は、本当に嬉しかった。
ずっと欲しかった言葉。
「俺はもっくんが……紅蓮がいてくれるだけでいい」
「昌浩……」
お前の悲しみを消し去ることはできない。
でも、その悲しみに寄り添うことはできる。
昌浩は俺と向き合えるように俺を抱き直すと笑った。
「もっくん……ありがと」
昌浩は頬を真っ赤に染めて言った。
ただそれだけなのに。
その言葉を、昌浩を愛しく思う。
昌浩は俺を草の上に降ろすと、その隣に寝転んだ。
物の怪から本性へと立ち戻った俺は、足元に咲いていた一輪の竜胆の花を摘んだ。
「……紅蓮?」
「昌浩」
名を呼んで、身体を起こした昌浩に竜胆の花を渡した。
昌浩は驚くと同時に嬉しそうに花を見ていた。
そうやって、いつも笑っていてくれたらいいのに。
そう思うのは、いけないことなのだろうか。
愛しいこの子の傍にいてはいけないのだろうか。
「紅蓮、俺からも」
そう言って昌浩は俺に同じ花をくれた。
優しい香りと言霊が込められた花。
「紅蓮……竜胆の花言葉知ってる?」
俺は首を横に振った。
昌浩はにっこりと笑って、俺の耳に唇を近づけた。
「竜胆の花言葉はね……」
耳元で囁かれたその言葉は、二人だけの大切な合い言葉。
手の中にある青紫色の花が俺に笑いかけた気がした。
風がさっと吹いて、昌浩が手にしていた竜胆が空に舞い上がった。
『竜胆の花言葉はね……君の悲しみに寄り添う』
俺たちに似合いの花だろう、そう言って昌浩は笑った。
*END
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