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特別な人



特別な人



確かに、今日は失敗した。
失敗だけで済めばよかったのだが、怪我までしてしまった。
異形に右足をぐさりとやられて、歩くのはほとんど不可能。
こんな日に限って、紅蓮はいない。
しかも、他の神将たちに見つからないように邸を抜け出して来たので、傍には誰もいない。
いや、正確には少し離れたところに式の車之輔がいる。
しかし、これでは邸に戻ればどやされるに違いない。

「やだなぁ……」

倒壊寸前のあばら屋の近くの茂みの中でひとりごちた昌浩は、溜め息を吐いた。
多分、いや絶対。
玄武は、怒るに違いない。
それこそ、じいさまや紅蓮以上に。
もしかしたら、嫌われるかもしれない。
それが怖くて昌浩は、邸に戻れないでいた。
立とうとすれば右足に激痛が走り、すぐに腰を下ろしてしまう。
陰陽の術に傷を治すものもあるのだが、いかんせん昌浩は半人前なので上手く扱うことができない。
となれば、今日はここで野宿かなと昌浩は考え始めていた。
茂みの中に隠れるように昌浩は、小さくうずくまった。
額を膝頭に押し付けて、早く陽が昇らないかと一人耐えていた。

「昌浩っ!」

一瞬だけ、玄武の声が自分の名を呼んだ気がした。
昌浩は顔を上げて、きょろきょろと周りに玄武の姿を探した。
しかし、玄武の姿はどこにもない。
幻聴なのだろうか、と昌浩はうずくまった。

「……浩、昌浩」

もう一度聞こえた声。
間違いなく、玄武の声が自分を探している。
昌浩は、少しずつ近づいてくる声を必死で探した。
ふと目に留まったのは黒の布地で、昌浩は痛む右足を引きずってそこまで行った。
そして、その小さな背中に思いっきり抱きついた。
腕の中に確かに感じる玄武の体温。

「玄武……」

愛おしそうに昌浩は、玄武の耳元で呟く。
しかし、玄武は僅かに肩を震わせているだけで、反応を返してこない。
嗚呼、怒ってるな。
昌浩は、そう悟った。

「昌浩……」

くるりと振り返った玄武は、明らかに怒っていた。
昌浩は少し緊張した面もちで、玄武の言葉を待った。

「どうして一人で邸を出た?!我がどれだけ心配したかわかってるのか!?」

急に怒鳴られた昌浩は、肩を竦めてしまった。
思えば、玄武にここまで怒られたのは初めてだった。

「……ごめんなさい」

ポロポロと両目から大粒の涙を零して、昌浩は謝り続けた。
そんな姿を見せつけられては、許さないわけにはいかない。
玄武は、昌浩の涙を指で拭った。
驚きで涙が止まった昌浩は、じっと玄武の顔を見た。
先程までは、あんなに怒っていたのに今は、優しげな目で昌浩を見ていた。

「……昌浩が無事なら、それでいい」

とまっていた涙が、また溢れてきた。
玄武の優しさはあたたかい。
だから好きで、愛おしくて、大切だと思うのかもしれない。

「昌浩……足は痛むか?」

心配している玄武は、足の傷に布を巻いてくれた。
触れる玄武の手はひんやりと冷たくて、とても落ち着く。

「今日は、帰りたくないな……」

我が儘だってわかってる。
でも、二人っきりでここにいたいんだ。
だって邸に戻ったら、今みたいに二人っきりではいられない。

「玄武とずっと一緒にいれたらいいな」

それは、深い願いが込められた言霊。
異なる時を生きる者同士の心の隙間を埋めるための言霊。

「昌浩、今日は帰ろう……」

たぶん、玄武はそう言うだろうと思っていた。
人一倍、大切に思ってくれる優しい神将。

「うん……我が儘言ってごめん」

彰子も、紅蓮も、じい様も、みんな“好き”だけど、ただ一人、玄武だけは“好き”よりもっと強い“好き”。
玄武だけは昌浩にとっての特別で、昌浩だけは玄武にとっての特別。
けれど、好きな人と過ごす時間は短い。
人と神は、同じ時を生きていくことはできない。
なら、今有る時をすべて使ってでも彼と過ごしたい。
そう願っている。
でも、いつかきっと別れはやってくる。

その時まで、どうか幸せな時間を――



*END



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