『小虎の恋模様』 3 入学を果たしてから早数ヶ月。 あれは梅雨の時期だった。 授業が終わり、あとは同じ敷地内にある寮に帰るだけって思って昇降口に向かったが、今朝差してきた筈の傘が傘立てからなくなっていた。 白のビニールの、名前や目印も特に何もしていない傘だったから誰かが持って行ってしまったのだろう。 「困ったな……」 チラリと空を見上げれば灰色の雲が広がり、雨脚は相変わらずで弱まる気配もないからダッシュで寮に行ってもずぶ濡れは免れないだろう。 折り畳みの傘も持ってないし、かといって傘立てにある誰のかわからない傘を使う訳にもいかないし。 どうしたものか……、そう悩んでいたら後ろから急に声をかけられた。 「どうしたの?」 「ひぇぇっ」 急に声をかけられたものだからびっくりして変な声を上げてしまった。 振り向いて声の主を見れば、小さく息を飲んだ。 そこにいたのは同じ一年生の、紀野 薊(キノ アザミ)君だった。 紀野君は身長が高く、見た目も驚く程のイケメンで、あまり表情を崩さずクールな印象の持ち主で同学年は勿論、先輩たちからも人気のある、この学園では有名人だ。 この学園では人気投票なるものがあって、生徒たちからの評価や成績・教師陣の信頼や評価等の総合結果で生徒会役員や風紀委員の役員が決まるというルールがあり、紀野君は次期生徒会長に選ばれるだろうと噂されている。 そんな有名人に声をかけられるなんて夢にも思ってなかったボクは、もともとの人見知りも発揮して吃りながら返事を返した。 「あ、ああの……えと……」 「傘ないの?」 「あ……えと、その……なく、なっちゃった……みたい、でして……」 あわあわと落ち着きなくあちこちに視線をさ迷わせながら答えるが、緊張もあって上手く言葉を紡げず、聞き取り難い返答になってしまった。 しかたない事とはいえ、失礼な態度で不愉快に思われただろうな、と思い顔を伏せていれば近くでバンッ、と音がする。 「良かったら入ってく?」 「……へ?」 そう言われて顔を上げれば紀野君は傘を指して、ここ、と言った。 まさか紀野君から誘われるとは思ってもいなかったから、け……けけ結構ですっ!!、と慌てて頭と両手を左右にブンブン振った。 それを見た紀野君は珍しく、……本っ当に珍しくクスリと小さく笑い微笑んだまま、寮までだしさ、と傘を揺らす。 その珍しく崩された表情にドキリと心臓が跳ね、これ以上断るのも気が引けた為、……お願いします、と一言伝えてから傘にお邪魔した。 二人並んで寮までの道をゆっくり歩いた。 紀野君がボクの歩幅に合わせてくれている様だ。 さり気なくそういった気遣いが出来るんだ……モテるのも頷けるよ。 ふと紀野君の方へチラリと視線を向ければ、それなりの身長差がある為自然と見上げる形になる。 今はまた何時ものクールな印象の表情に戻っていて、本当にさっきのは珍しかった、と先程向けられた微笑みを思い出して胸が高鳴り、頬に熱が籠った。 なんか変だな……、と思って熱の籠った頬をペタリと掌で冷やしていれば、ふと視界の隅に紀野君の濡れた肩が見えた。 その肩の濡れ具合を見て、自分の肩と傘を見上げて瞬時に納得する。 身長差もあって、どちらかというとボク寄りに傘が差されていたのだ。 さり気ない気遣いでも流石にこれは申し訳なさすぎる、そう思って慌てて謝った。 「き、紀野君!!ごめんなさいっ!!ボク濡れても大丈夫だから……か、風邪引いちゃうよ?!」 「ん?……あぁ、これ?」 慌てるボクとは違ってなんて事はないという様子の紀野君。 どうしようかと悩んでいれば、紀野君の視線と重なり、ふわりと優しく、格好良く、甘い微笑みをまた向けられた。 「賀集を濡らす訳にはいかないし、気にしなくて良いよ」 「………」 普段クールな人の表情が崩され、見慣れない笑みを向けられただけでも心臓に悪いのに、更にはそんな台詞をさも当たり前の様にサラっと告げられ、これは女の子なら完全にオチるだろうと思った。 いやこれは男でもオチる人はいるだろう。 ―――現にボク、賀集 小虎(カシュウ コトラ)はオチたのだから。 (……名前、知られてる……) 2015/3/25. [*前へ][次へ#] [戻る] |