小説
まほろば5 ☆
男が海へ出てどれほど経っただろう。
肌寒い風が少しずつ暖かいものへと変化していく。
男が、四国を案内してやるといった期限まで、きっとあと少し…。



優しい檻の中で時間が過ぎる。
変化することなく優しく絹に包まれて。
周りのものたちもひたすら優しく接してくる。
風邪を引くことのないように部屋は常に暖かくされ。
外には寒さに強い花が。
綺麗な着物を着て。
爪の先には朱の彩が施され。
唇には紅をさし。
けれど与えられた空間から出ることは許されず。



自分は何をしているのだろうと幾度哂ったか。
だってこんな風に扱われる謂れはないのだ。
自分は敗軍の将。負けて囚われた身。牢に繋がれているべき者。
なのに大切に大切に扱われ。
それは自分を捕らえた男の気持ちそのまま。
ひたすら自分を大切にしようとするあの男の心の現われ。



「どうして…」
どうしてと幾度呟き幾度泣いたか。
弱くなっている、と実感した。自分は弱くなっている。
こんな扱いをされたら。戦場からこんなに切り離されては。
もう、戦えない。
自分がどんな風に武器を扱っていたのかも忘れてしまいそうだ。
「我は、毛利元就…」
自分を見失わないために幾度も言い聞かせた言葉。なのにそれがとても虚しいものに聞こえた。
「我は…何者ぞ…」
わからない。自分は何者なのだろうか。
毛利はすでにないだろう。いや、中国も毛利も残っている。あの男が残してくれたはず。
それは疑いようのないことだ。だってあの男は自分にとても甘いから。
けれど、それはもう自分の知る毛利ではないのだろう。
長く、長く離れていた。毛利は長曾我部に組み込まれた。きっともう自分を必要としない。自分の居場所はない。



「我は……」
あの男の気持ちが全て。
自分を必要とするのも求めてくれるのも、きっともうあの男だけ。
あの男の心一つという不安定なな場所に自分はいる。
男はいない。遠い海の向こう。
戻ってきた男は未だ自分を必要としているのだろうか。海の向こうにもっと必要なものを見つけてはいないだろうか。
「………馬鹿な、ことを」
側にいない男に不安を覚えたのはいつからか。
戻ってこない男に泣きたくなったのはいつからか。
もう戻れないのだと気付いたのはいつだったか。
微かに保っていた矜持など…すでに粉々に砕けていた。



「我は……」



戦うことも、自分で立つことも出来ず。
ただ男の心一つに揺れる自分が。
ひどく滑稽で涙が零れた。




END



放置されるほうが不安になると。



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あきゅろす。
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