キリリク
5
「樂…」
櫂斗が樂の名前を呼んで注意を引き、視線でそちらを示す。すると、樂の方も彼の姿を認めたようで、視線を合わせて頷きを返してきた。
「しばらく彼の様子を見ていましょうか」
「分かった」
小さくそう会話を交わすと、二人は壁に掛けられた品書きを眺めるように装いつつ、彼の様子を観察することにした。
賑わう店内のそこかしこから掛けられる声に元気よく返事をしつつ動き回る彼の様子から、彼は要領のいい優秀な男なのだろうことが分かる。
ただ、たまの空白の時間に一瞬垣間見える無表情や、うっすらと隈が出来ていることから疲労が溜まっているだろうことが窺い知れた。
そして、彼に対して客の男たちが度々「頑張ってるな」「お前、具合はどうなんだ」「薬は効きそうか」などと気遣うような言葉を掛けているのが聞こえる。
それに気付いた櫂斗が首を傾げつつ樂に小さく話し掛ける。
「彼は病気でもしてるのか?」
「見た感じでは疲れているように見える以外は元気そうですが…」
同じく小さな声でそれに返した樂も不思議そうな表情をしている。
そこに突然店主が話しかけてきた。
「何だい、男二人で真剣な顔してコソコソと。見てて辛気くさいぜ?」
二人の前にお茶を運んできた店主は、櫂斗と樂の様子を見て少し呆れた表情をしている。
「坊っちゃんはこうして自分で食べたいものを注文するっていうのが初めての経験でして、どうにも戸惑っているんですよ」
樂は驚いて固まった櫂斗に苦笑しつつ、店主の言葉に答えた。
「どの料理も気になって決めかねてるみたいなんで、お勧めのヤツをいくつか見繕ってもらえますか?」
「何だ、何を神妙な顔してるのかと思ったらそういうことかい。それなら任せときな。すぐに旨いモン出してやるからな」
樂の言葉に頷いて笑うと店主は一旦厨房に入って行った。
それを見てホッと息をついた櫂斗に、樂は小さく笑みを溢す。
「大丈夫ですか?さっきはかなり驚かれたようですね」
「うん、けど今度からは大丈夫だ。さっき驚かされたせいで少し冷静になれたと思うから」
「それならちょうどいい。『坊っちゃん』にお願いがありまして」
グッと拳を握って答えた櫂斗に、樂がそうニコリと笑うと櫂斗はキョトンとした表情を浮かべる。
「僕に?けど今日は大人しく周りの話を聞いておけばいいんだろう?」
「そのつもりでしたけど、この店は雰囲気も悪くないですし、店主も親しみやすい。しかも調査対象がここで働いているとなると、店主に直接聞いてみるのも一つの手でしょう。ちょうど気になる言葉もチラホラ聞こえましたし。ただ、いきなり聞くのでは無く自然にね」
「自然にって言っても…」
困惑する櫂斗だが、樂は更に言い募る。
「多少は唐突でもいいんですよ。貴方は『世間知らずなお坊っちゃん』なんだから」
そう言われて櫂斗は自分に振られた役柄を思い出した。
『世間知らずなお坊っちゃん』ならば、思い付きで自身が思ったことを発言することもあるだろう。
それなら…と櫂斗は樂の言葉に頷きを返すのだった。
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