キリリク
8
櫂斗は今まで経験したことのない一触即発の暴力的な雰囲気に緊張しつつも、外の様子を見つめることをやめなかった。
そして、現場の空気が限界まで高まって男たちが喧嘩を始めた時、それまで周囲の様子を観察するまでに留めていた樂が行動を始めたのが目に入った。
特に構える様子もなく喧嘩の中心に向かって歩を進めたのだ。
喧嘩の当事者たちは樂の存在にまだ気付いてはいないが、周囲で騒ぎを傍観している者たちは樂の姿を認めたようである。
突然現れた第三者に彼らは何事かとざわめき始めた。
樂はそのようなことを気に留めるそぶりもなく、騒ぎのごく近くまで辿り着くと、一気に速度を上げてそれぞれのリーダー格が攻防を繰り広げている場所に踏み込んでいく。
不意に割り込んで来た樂に彼らの動きが止まり、驚きが周囲に広がる。見ると、樂はそれぞれの拳を見事に受け止めて立っていたのだ。
中心の動きが止まったことで周囲で暴れていた者たちも闖入者に気付いて徐々に動きを止めていく。
「何だお前」
「部外者が邪魔をするな!」
動揺しつつも彼らは邪魔をしてきた樂に対して怒りを向ける。樂はそれに対して無表情でそれに返した。
「こんな往来で夜に騒ぎ散らすあなた達の方がよほど邪魔でしょう。好きで集まって来る野次馬はどうでもいいとして、穏やかに食事をしている人間まで巻き込んで暴れるなんて、それこそ軍にしょっ引かれますよ」
「軍も何も俺達が軍そのものだ。むしろしょっ引かれるのはあんたの方だろう」
樂の言葉を聞いて男は笑ったが、樂は冷たい視線でそれに返す。
「軍に入って間もないあなた達に逮捕権も拘束権もないでしょう。せいぜいこの場に私を留めて拘束や逮捕に必要な書類を上に申請する程度ですね。それを行ったとしても、私や周囲の証言からそれが承認されることはないでしょう」
「ハッ、それはどうかな。事実ってもんは簡単に変わっちまうんだぜ」
暗に家の権力や財力を使って冤罪での逮捕も可能であると告げた男に樂は表情を歪める。
「軍人の風上にも置けないな…」
吐き捨てるように小さく呟いた樂の言葉を聞いて、警邏隊の男たちは怒りで顔を赤く染める。
「たかが傭兵が軍の人間に意見すんじゃねぇよ!」
変装している樂の出で立ちから彼を傭兵と見なしたのだろう。
そう言いながら近くに転がっていた棒を握った1人が樂に向かってそれを振りかぶる。
樂の死角にいた男だが、その動作は櫂斗がいる場所からハッキリと視認出来た。
男が棒を手にした瞬間、樂の身に起こるだろうことを理解した櫂斗は、思わず扉から男の方に向かって走り出していた。
「樂!」
そう叫びながら彼の目の前に櫂斗が飛び出した時、ガツンという鈍い音が辺りに響いたのだった。
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