ほろ酔い


 日が変わる前に家に帰れるだけでも嬉しかったが、最寄りの駅について時計を見るとその貴重な今日はあと数十分の命であった。
 終わりが見えないと思われていた案件も、とりあえず区切りはついた。終電で帰る毎日に私も部下もギリギリまで心を削られてしまい、今夜の解放された喜びは大きくも、労いに飲んで帰る時間も体力も無い。全員が「一秒でも早く帰宅したい」という選択肢を選んだのは当然だった。
 かくいう私も様々な部分が削れている。不規則な食生活が長く続いた事が原因か、今も空腹なのかどうか己の腹具合なのに判別が難しい。とりあえず、ビールが飲みたい。刺さるように冷えたビールが。

 家路の途中にあるコンビニエンスストア。薄暗い住宅街のど真ん中にあって煌々とした存在はまるで誘蛾灯だ。ふらふらと引き寄せられて扉を開けると、軽快な電子音に迎えられる。さて、何を選ぼうか。普段好んでいるのはウイスキーだが、今夜はビールが飲みたいんだ。
 気分としては、切れ味や喉越しを売りにしている商品でなく、少しコクのあるタイプのものがいい。黒ビールも好きだが今ではない。私の心を一瞬だけ満たしてくれる存在はどこにいるのだろうか。ガラス戸の中にずらりと並んだ冷たそうな金属の塊。色とりどりのラベルの自己主張を一つ一つ受け止める。
「あ、すいません」
とん。と何かに軽くぶつかった。ビールに集中しすぎて隣の存在に気が回らなかった。横に居た声の主は小柄な少年で、缶を一つ握っている。こんな時間に、と思ったが、ここは住宅街。駅前まで買い物に出るよりも便利な立地だ。時間は遅いがここに居ても何らおかしいことは無い。
「こちらこそ、すみません」
謝って、再び検討作業に入る。よし。決められないから二種類一缶ずつ買おう。それと、簡単なつまみも欲しい。ブラックペパーの効いた、ベーコンとかチーズがあれば理想的なんだが。クラッカーがあった筈だ。湿気っていない事を祈る。
 私が退いても、ぶつかった彼はアルコールの棚の前でうろうろしている。小柄で、パーカーを着ていて、金色の長い髪を一つに括っている姿は華奢な印象だが、間違いなく男だ。はっきりとして整った顔立ちは何もしていなくても人の目を引くというのに、謎の行動が私の好奇心を捉えて離さない。
「お客さーん」
レジから店員の声が響く。見渡すと客は私と彼しかいない。店員の顔は真っ直ぐ彼に向いている。
「それ、持って歩いてるとそろそろ緩くなりますよ。お会計しましょうか?」
しびれを切らしたと顔に書いてある。もしかしたら彼はあの缶を持ってずっと迷っていたのだろうか。
「あー、えっと、あの、まだ」
声をかけられても彼はその場から動かない。周囲を見渡して困ったように言い淀む。私も店員も、彼の次の言葉を待ってしまう。
「あと五分で二十歳になるんで!」
よく見たら、その手に握られているのは「ほろ酔い」だ。あれか。アルコール度数3%の、ほぼジュース。いや、ジュースだ。しかもマンゴーとかまた甘そうな味のものを。少年だと思っていたのに今年成人という驚き。そして、あまりのバカ正直…いや、純真さに、形容し難い感情が湧き上がる。
「これ、ぬるくしちまったから、オレが買った方がいいと思って」
「あー。まあ、うーん」
「すぐ飲むし!」
若い店員が困っている。私だったら棚に返させて新しいものを勧めてしまうだろうけど、このバイトはきっと生真面目なのだろう。そうこうしているうちに、日が変わるまであと一分だ。私はチーズとイカの燻製をカゴに入れて、レジに進む。目の前に金色の彼が先に並んで、残り十秒を律儀に待っている。その間にちょっとしたいたずらが浮かんだ。
「これ下さい!」
壁に設置された時計確認して、彼は念願のそれをレジに置いた。店員に促されて身分証を見せて、タッチパネルの成人ボタンを押す。そこへ、私は横から手を伸ばした。彼のぬるい「ほろ酔い」を、今ケースから出したばかりの冷えた缶と交換する。
「あ」
「おめでとう。二十歳になったんだろ?。すぐに飲むならそっちの緩いのは私が引き取ろう」
「ありがと…ございます」
驚いて見上げる彼の頬はほんのりと染まって、つられて照れてしまいそうになる。私も続いてビールとつまみと、ぬるい缶の支払いを済ませた。

 店の外に出ると、備え付けのベンチに彼が座っていた。こちらを見て、ありがとー。なんて呑気に手を振るから、私も近寄った。見れば見るほど美しい顔立ち。大きな目に白い肌。金色の長い前髪が顔の縁を沿って、小さな顔が更に小さく見える。
「さっきはありがと」
「君は律儀だな。ちゃんと日が変わるまで待つなんて」
「律儀って言うか、二十歳になった瞬間に何かしたかったんだ」
彼の目的は果たされたのだろう。初めての体験に浮かれた様子もなく落ち着いた口調で答えた。プルタブを倒すと、ぷし。と缶が音を立てた。オレンジ色のラベルと相まって彼が持っているとジュースにしか見えない。
「ここで飲むのか?」
「記念だから」
「じゃあ、私も隣で飲んでもいいかな」
「お! どーぞどーぞ」
隣へと促されたので遠慮なく座って、私も袋から買ったばかりのビールを取り出す。彼が何を期待しているのかが手に取るように分かるので、さっさと開けて缶を差し出す。
「では、二十歳になった君に。乾杯」
「乾杯!」
待ってましたとばかりに、彼は笑顔で勢いよく缶をぶつけ、私達はそれぞれに口を付けた。冷えたビールが胃に流れ込む。ああ、疲れた体には良く効く薬だ。お祝いの言葉と乾杯が目的なので、さっさと飲んで退散しよう。
「権利を行使して買ったアルコールの感想は?」
「ほぼジュース」
「だろうね。君はどれくらい飲めるんだ」
「わかんない。上限はこれから試す」
今時にしては珍しいタイプの、真面目な子なのだろう。自分が十代の時なんて早く大人になりたくて、隠れてタバコも酒も試して一人前を気取っていた。だが、そんなものは何の足しにもならなかったと気付いたのは本当に大人になってからだった。彼はその意味を既に知っているような気がする。
「なあ。それ、美味しい?」
私の飲んでいるビールが気になるようで、じっと見ている。先に言ってくれたなら飲ませても良かったのだが、口を付けてしまった。もう一缶買ったビールを袋から出して差し出すが、首を振られてしまう。
「や、あんたの飲んでるそれがいい。一缶渡されても腹に収める自信が無い」
「でも、口を付けてしまったよ?」
「味見ができればいい」
今日会ったばかりの見ず知らずの相手が飲みかけたビールなんて、よっぽどの事がなければ遠慮したいと思うのだが。彼の強い眼差しに負けて、缶を渡す。交換に差し出されたほろよいは遠慮した。
「うーん。苦い」
一言目の感想は予想通り。
「そりゃ、ビールだからね。無理をせず、今の君が美味しいと思えるものを飲むのが良い」
彼の味覚ではお気に召さなかったようだ。白い眉間にシワを寄せ、ビール缶を返却して再び甘い酒に戻った。
「ビールはあんたにとって、すごく美味い飲み物だと思う?」
「若い時はそうでもなかったが、年を取るにつれ苦味が美味く感じるようになった。私も、家ではウイスキーばかりでビールを買ったのは久しぶりなんだ」
「へー。酒強いのか」
「まあまあかな。美味しいものをマイペースに味わって飲みたいね。薀蓄とかはどうでもいいから」
言外に何かを察し、彼はまた笑った。明るいと言っても深夜のコンビニの照明。深夜の静かな空気の中で照らされた笑顔は、まるで輝く月の光のようで。
(あー。いかんな。疲れているところにアルコールが良く無かったな)
この缶を飲み終えたら離脱しよう。疲れた体と頭ではよからぬ事しか思いつかない。
「ねえ。お兄さん帰宅途中? この辺住んでるの?」
「ああ。君は?」
「家まで歩いて十分弱くらい。名前聞いていい?」
せっかく私の中にあったよからぬ事を押さえつけていたというのに、相手陣地からあっさりと攻め込まれて、よからぬ質問をされてしまった。
「君、初対面の相手に無防備すぎやしないか?。どうするんだ。実は私がよからぬ事を考えていたら」
「おー。聞いてみたいね、そういうの。よからぬ事ってどんな事?」
にやにやといたずらっぽく、煽るような態度。こちらを一ミリも恐れていない。君と私ではどうやっても私の方が強いだろ、まず体格差だってあるし、認めたくは無いが君を丸め込んで騙せるだけのずる賢い汚さだってある。実行に移そうと思えばいくらでもできるのだよ。
「そうだな。名前や住所を聞いて、君を誘うとか」
「それ、オレのほうがよからぬ人って感じじゃねえか。オレは、エドワード・エルリック。大学生で一人暮らし。今さっき二十歳になったんで宜しく」
個人情報をこれでもかと目の前に積み上げられて、もう、彼に対して心配しか無い。
「…増田だ。会社員で、私も一人暮らしだよ」
言わせっぱなしもどうかと思い、渋々と答えた。エドワードはなんだか楽しそうだ。
「君、もう酔っ払っているんじゃないか?」
「そうかもねー。ちょっと酔っ払ってるかも」
笑顔で返す言葉はしっかりしている。こいつ、一ミリも酔っ払ってなんかいない。
「正直に言うとさ、誕生日の夜に誰かが一緒に居てくれるなんて思って無かったんだ。とりあえず二十歳になって制度の中で何か手っ取り早くできる事でもやろうと思って、コンビニに来たんだ。付き合いのいいあんたがすごく気に入った。このまま友達になりたい」
そう言って差し出される手は小さい。こんなやり方、卑怯だ。抗えるわけが無い。そっと握ると細い指にぎゅっと強く握り返されて、大きく何度も上下に揺らされた。眩しい笑顔に直前までの寂しさが窺える。断れるほど非情にはなれない。
「…お願いだから、もう少し他人を警戒してくれ。心配になる」
「心配してくれるなら、連絡先教えてよ。家、近いみたいだし。何かあったら頼るから」
「図々しい!」
「あんたは図々しいくらいでないと番号交換してくれなさそうだから仕方ない!」
押されっぱなしの負けっぱなしだ。相手はもうスマホを取り出していて、放っておいたら先に読み上げる勢い。観念してメールアドレスを教える。ラインもとせがまれたが、そもそも使っていない。
「いつもこの時間に帰ってくるの?」
「来週からはもっと早く帰宅できる予定だが」
「じゃあ一緒に飯食おうよ。いつがいいかなー」
「君は、人の話を」
「酒を店で飲みたいんだけど、どういうとこ行ったら良い?。あんまり高くなくて、オレが入れて、食事がちょっと美味しいと嬉しいんだけど」
「あー、それなら…」




 結局、ビール一缶分をエドワードと一緒に過ごし、来週また会う約束まで取り付けられてしまった。あのままだと家までついて来そうな勢いだったから、約束で勘弁してもらったんだ。
 寂しかったとしても、彼は、こんな見ず知らずのおじさんを誘って良かったのだろうか。まさか、待ち合わせ場所に宗教的な勧誘の人が同席するとか、怪しい販売方法のものを買わせられるとかじゃないだろうな。悶々としながら風呂上がりにもう一本のビールを開けた。熱い体に冷たいビールはするすると入って、もう一本買ってくれば良かったと後悔する。
(そういえばもう一本あったような)
 冷蔵庫から、彼から引き取った「ほろ酔い」を出した。先ほどよりも幾分かは冷えている。初めて飲むアルコール三%の味はどんなものだろうか。
「……甘い」
アルコールの味はほとんど感じられなくて、普通のジュースよりも甘く感じられた。いや、後味にアルコールの苦味があるかな? まあ、ジュースである。変な味のジュース。
「ははは」
変な味のジュース、という頭の悪い形容がツボに入ってしまい、思わず声が出た。得体の知れなさがエドワードに重なる。甘ったるくて、少しだけ苦味があって。
 困った困ったと途方に暮れつつ、来週を楽しみにしている自分がいる。さて、アルコール初心者には何から飲んでもらおうか。甘くて美しいカクテルか、はたまたワインか。ビールを樽毎に出してくれる店は肉料理もうまかったし、気の利いた日本酒を置いている店は魚料理が美味かった。彼を隣に置いて、美味しいものを食べさせて、美味しかったと言ってくれたら私はきっとそれだけで満腹になるだろう。
 しまったなあ。楽しみだなあ。調子に乗ってにやけた自分が出てくる前に、甘いほろ酔いで飲み込んで胃に流した。




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コンビニにて 店員「お待ちのお客様どうぞ〜〜」

男の子「あ、えっと、まだ」

店員「???」

男の子「あと30分で二十歳になるのでっ(ほろ酔いを片手に)」

無理持って帰りたい可愛いwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

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という人様のかわいいツイートを見てしまったので、ロイエド変換待った無し。月見バーガーと同じ流れだって言わない!言わない!!。
私はお酒弱いのでほろ酔い好きです。


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