きみのせいで眠れない

「好きにしていいよ、オレの事」
「え?」
「寝てる間だけこの身体好きにして良いよ。でも起こすなよ」
「は?」
「だって大佐はオレの事好きなんだろ?」



 既に日付も変わった深夜。司令部の奥で持ち出し禁止の書類を読みふけり、弟の待つ宿に帰り損ねた子供がやっと執務室に戻って来た。夕方にも夜にもわざわざ書庫まで行って早く帰れと何度も声をかけたのに、丸っ切り無視しておいて今更来られても。と思う。
「大佐は何で帰らねえの?」
 時計と私の顔を見て放つ、無垢な言葉の残酷さ。私はいつもと変わらず忙しいが、今のところ徹夜するほどの仕事は抱えていない。鋼のを待っていたらこんな時間になってしまい、私も帰り損ねたのだ。
「帰らない子供がいるんで、私も帰れないんだよ」
「なんだよオレのせいかよ!。オレなら大丈夫だから、帰ればいいのに」
今気づいたのか。本当に今気づいたのか。これはかなりのダメージだ。何度も帰れと言ったのに居座って、私を散々困らせておいて今更こんな事を言うのだ。しかも一つも自分に落ち度が無いと思っているからどうにもならん。
「責任者として、鍵を第三者に渡したまま放ってはおけないよ」
「大佐はこれから帰るのか?」
「いや、ここで仮眠する。明日が早いのでね。君は宿まで送ってやる。戻らないとアルフォンスが心配するぞ」
 鋼のが使っている宿は、中央司令部から見て私の家とは反対方向にある。立ち上がりコートを手にすると、鋼のは悠長にソファーに座っている。
「オレもここで寝る」
「戻りなさい。君は宿でゆっくり眠れるだろ」
「だってここ、仮眠室があるだろ?」
「司令部は宿泊施設でないぞ。それに、国家錬金術師とはいえ外部者の宿泊には事前の申請が必要だ」
「堅いなー。ベッドは勝手に錬成するからここでいいよ」
「何を材料にする気かは知らんが、勝手に使うな」
「よいしょ」
 鋼のはコートと上着を脱ぎ、ブーツをソファーの端に揃えて置いた。さながらここで野宿を決めた様な振る舞いに、私も慌ててコートを戻す。
「ここで寝るなよ」
「えっなんで」
「何でじゃないだろ。機密書類のある部屋に、責任者も無く人を置いておく訳にはいかんからな」
「もーなんかもー、真面目な事言っちゃってほんと大佐らしくねえの」
「君の中では私はどんな人間なのだろうね」
 その後も、帰れ、帰らない。寝るな、寝かせろと押し問答を繰り返した。
「だっても、眠く…ふあーー〜〜…」
 目の前で大きな口が目一杯開いた。彼は体が小さいくせに顎がしっかりしていて口が大きい。小振りな林檎なら一飲みの大きさだ。鋼のの気持良さそうな大きなあくびがうつって、つられて私も大きなあくびをしてしまった。それを見て鋼のが笑う。
「もう、寝よ?」
 しょうがないじゃん?と笑うが、ちっともしょうがなく無いしお前が元凶である事に何も変わらないんだが。という言葉は飲み込んだ。言葉が落ちた胃の中が苦い。

 互いの眠気が臨界点を突破しそうになったので、帰す事は諦めて鋼のを連れて仮眠室へと移動した。万が一を配慮して佐官地位の人間が使える専用室を使う。ここにそっと泊めるなら事前の申請も要らないだろう。バレない事が前提だが。
「へえー、こんな部屋があるのか」
「私も滅多に使わないがね」
「普通の部屋もあったろ。もっとベッドが沢山入ってる部屋が」
「私が行くと気を遣わせるからね」
「ふーん。優しい事言うじゃん。大佐じゃねえみたい」
 広くも狭くも無い部屋には、タンスと机。ベッドは二つ。ほぼ一人が使うようにと設定された個室だ。鋼のが言った誰でも利用出来る部屋、一般的に軍人なら誰でも使える通称「雑魚寝部屋」はいびき一つでケンカになるなどトラブルが絶えない。そこへ、こんな子供を置いておく訳にいかない。
「朝は私と一緒に出てもらうから、ちゃんと起きるんだぞ」
「へえへえ」
 気の抜けた返事に起きる気が見えない。まあいいか。起きなければ抱えて執務室に転がしておけばいい。上着を脱ぎ、腰巻きを外す。アメストリスの軍服は布の量が多い。一人であればシャツもズボンも脱いで下着だけになってしまいたいが、どうしようか。迷う時間に鋼のの赤いコートをハンガーにかけてやる。子供は先ほどと同じように上着とコート、あとズボンも脱いでいた。インナーとパンツの寛いだ姿で部屋の中をうろうろしている。色気の無い姿に子供だと再確認させられるが、白い体に残る手術の傷跡と右腕と左脚の機械鎧が生々しい。こんなにはっきりと見たのは初めてかもしれない。
「大佐はどっちに寝るんだよ」
「どちらでも良いよ。好きな場所に寝なさい」
 なんとなくだが、下着だけになるのが恥ずかしいような気がして、シャツとズボンで横になる事にした。シャツは皺になるだろうな。替えが無いから明日は上着が脱げないぞ。鋼のは窓側のベッドに潜り込んで、顔だけ出してこちらを見ている。まるで小動物のようだ。ベッドの下に転がしたブーツは揃えるつもりも無いらしい。
「消すぞ」
 部屋の鍵をかけ電気を消した。カーテンの隙間から差し込む光で部屋はうっすらと明るい。私もドア側のベッドに腰掛け、ブーツを脱ぐ。
「なあ、大佐」
「なんだ?」
 鋼のから話しかけたというのに、小さな体は寝返りを打って背を向けた。
「好きにしていいよ、オレの事」
「え?」
「寝てる間だけこの身体好きにして良いよ。でも起こすなよ」
「は?」
「だって大佐はオレの事好きなんだろ?」

 先月、鋼のと言い合いになった時に、私は彼に抱いている仄かな感情を告げた。
 発端は些細な言い合いだったんだ。久しぶりに戻って来た鋼のは怪我をしていて、その事は報告書には全く書いておらず、問いただしても答えようとしない。私が苛つき始めた頃に、鋼のは自分だけが責められている状況が面白くないと口を尖らせて言った。
「大佐はさ、そんな事まで気にする必要無いじゃん。部下が怪我して帰って来てもそんな事聞くのかよ」
「聞くよ。勤務内で何が起こっているのか把握しておく必要がある」
「オレは部下じゃねえんだから、把握しなくてもいいだろ」
「君は私に聞かれて困るからへ理屈を捏ねているだけだろ?。まるっきり子供だな」
 子供と言われて腹を立て、酷い目つきでこちらを睨む。これが最年少で国家錬金術師となった天才の取る態度なのだろうか。
「大佐はさ、オレの事好きなんだろ。だから何でも根掘り葉掘り聞くんだろー」
 鋼のが攻勢に出た。私を煽るようにやにやと見上げている。これで何の優位に立てると思ったのだろうか。
「そうだね。好きだよ」
聞かれたままにさらりと返すと、鋼のは固まった。驚く事か?お前が聞いたんじゃないか。
「初耳だけど」
「聞かれた事が無いからな」
「何だよ、好きって。簡単に言いやがって」
「君が聞いたから答えたのだが。さ、君もそろそろ答えたらどうだ。怪我の理由はそんなに『言えない事』なのかね?」
「待てよ。まだ話は終わってねえ」
「うん。私もまだ君の怪我の話をきちんと聞いていないよ。鋼の」
「大佐はどうしてオレの事、す、好きなんだよ」
「君は人を好きになる時に、理由や条件が必要か?」
 私の問いに黙ってしまったところでこの話題は終了となり、エドワードの怪我が、旅先の裏路地で襲われそうになっていた女性を助けるために戦って負ったものだと判明し、その件についても報告書を書かせる運びとなった。

 それから鋼のはしばらく顔を見せに来なくなっていたが、昨日、探し物があるからと書庫の鍵を借りに来て夜中まで閉じこもり、今に至る。
 彼の質問に私は素直に答えた。十四も年の離れた子供に好意を抱いている。それは異常だと非難されるだろう。だが、禁忌を犯した彼の、背負う物の重さと心の強さ。輝く様な魂の清廉さ。真っ直ぐに前を見つめる強い眼差し…。私にはどれも眩しく美しく映る。欲目もあるだろう。それも自覚している。子供や男といった分類でなく、特別な存在の個人として鋼のを意識してしまっている。
 だが、この感情がどこへ向いているものなのか。『好き』という広い意味を持つ言葉の真意は伝えていなかった。なのに彼は性的な関係の可能性を考えていたのだ。驚いた。私に対しての嫌悪感や恐れであっても、彼の中にそんな選択肢があったという事に。
「君は『好き』と『性行為』が繋がっていると思っているのかね」
「だって、そんなもんだろ?」
「そんな一辺倒なものなら、この世界は所構わず乱交パーティーだな」
「なんだよ。せっかくチャンスを作ってやったのに」
「おや。これが『チャンス』だと?」
「いいならもういいよ。忘れろ。そんで寝ろ。起こすなよ」
(……チャンス、ねえ…)
 随分と上から物を言ってくれる。十五歳の少年が、何を経てこんな言動をするようになるのか。私は立ち上がると鋼のが横になっているベッドへと近寄った。端に腰掛けて覗き込む。横を向いている鋼のが、それだけでがっちがちに緊張して動けずにいるのが何ともおかしい。顔の横に手をつき、相手に触れないよう気をつけながら、覆い被さるように体を倒す。安いベッドは、ギシ。と軋んで音を立てる。
「鋼の」
白い耳の側で、囁くように呼ぶ。
「私が君に好意を抱いているとしても、相手の気持を無視して襲ったりはしないよ。好きな相手が悲しい思いをするのは辛くは無いか?」
「……きれいごと、だ。そんなの」
 消える様な声の反論は、流れた前髪の中から聞こえる。
「では君は、好きな相手を襲ってまでも肉体的な関係を持ちたい。と?」
「そんな穏やかな『好き』なんて、好きな内に入らねえ」
「随分と情熱的なんだな」
「うるせえ」
 彼の中では、私は鋼のの事が好きで好きで、襲ってしまいたいくらいに思い詰めている。という認識なのだろうか。親愛の情もすっとばして恋愛感情なのか。どんな人間だと思われているのだろう。
「では、私が君の事が好きで、襲ってでも肉体関係を持ちたいと思う程に思い詰めている。と、しようか」
「こないだは好きだって言ったけど、実はそんなに好きじゃ無かったって訂正すりゃあいいだろ」
「訂正はしないよ。気持ちに嘘は無いからね」
 指先で金色の前髪をそっと流す。薄暗い部屋の中で、白く丸い頬はほんのりと色づいて見えた。
「同性で、十四も年上の親父が、十五歳の少年に受け入れられる事など皆無に近いだろうね。だが、それを悲観して君を襲う事は無い。最初から同じ場に立つ事すら叶わない関係だってあるのだよ。私は大人だから、そんな事を沢山知っている」
 人差し指で、白く憎たらしい頬を、むに。とつついてからその場を離れた。一つ大きく伸びてから、ベッドに横になる。
「じゃああんたは、無理だと思ったら何もしないで諦めるっていうのかよ!」
「それが普通だ。早く寝なさい鋼の。私に理性があって良かったな」
 鋼のに背を向けて毛布を被る。向こうのベッドが軋んで、どうやらあちらは起き上がったようだ。
「駄目かどうかなんて、わかんねえだろ」
「君は私に襲って欲しいのか?」
「そうじゃねえよ!。あー、もう!」
 イライラはこちらにダイレクトに伝わって来る。考えが違うからと、八つ当たりをぶつけないで欲しい。
「では君は『無理でもチャレンジしろ。失敗して相手を傷つけ、人間関係を壊し、立ち直れない程に傷いても責任は取らないが』と、言いたいのかね」
「そんな事まで言ってねえよ」
「人恋しいから誰かに慰められたい。でも自分からは求められない。自分に好意を抱いている相手のせいにして、その場凌ぎに満足したい。今の君の言動はそんな風にしか受け取れないよ」
 意地悪だとはわかっているが、言葉が止まらない。八つ当たりに八つ当たりを返しても、どうにもならないのに。
「私は、未成年に手を出すと犯罪者として捕まるリスクまで負わされているのだが、君は誘っておいて無実の被害者になるつもりなのかね。随分とバカにされたものだな」
「そんな、つもりじゃ……、ない…」
「…言い過ぎた。すまない。君も早く寝なさい」
 眠気に疲労と色々なものが混ざり合って、瞼は既に重い。
 ギシ。
 ベッドが軋んだ。それは彼が自分の寝床に戻ったからでなく、私の寝ているベッドに乗ったからだ。
「オレは、無理だから諦めるとか、最初から無理だって決めてるとか、そういうの好きじゃない」
「方針は人それぞれだ。君は諦めずに進めば良い。私は諦める。それだけだ。それに、同情で『チャンス』を貰っても嬉しくは無いよ」
 ぼす。と鋼のが私の上に倒れ込んだ。毛布越しにぎゅっと抱きついて来る。
「重い」
「あんたは何もしなくて、オレがあんたに何かしたら、それでもあんたが捕まるの?」
「未成年と大人の性行為は、大人に責任がある。上下関係や力の差で君を脅して事に及ぶなんて簡単だからな。無理矢理でなくても経験の差で騙す事もできるだろう。もしもだが、逆に君が私を強姦したとしてもにわかには信じてもらえないだろうね。まあ、そんな事は無いと思うが」
「わかんねえよ?」
「君は、好きでもない相手と簡単に性行為に及べるのかね。いや、好きでない相手だから、傷つけようが構わずに何でも出来る?」
「違う!」
「いいからもう寝てくれ。あと、君は意外と重い。その体勢だと私は寝返りが打てない」
鋼のはその言葉に、やっと私の上から降りた。
「ほら。大人しくしてるなら入れてやる」
「入れてやるって、偉そうじゃねえか」
「眠いんだから早くしろ」
 ベッドの端に詰めて毛布をあけてやると、鋼のはもそもそと潜り込んで来た。一人用のベッドに、鋼のがいくら小さいと言っても大人と二人で並んで寝れば狭い。
「一緒に居たいならそう言えば良いのに」
「別に。そういうんじゃねえし」
「素直じゃないなあ君は」
 最後に一つだけ脅かしてやろうと、鋼のに向き直った。いつの間にか髪を下ろしていて、印象は大きく変わる。驚いたような緊張した様な顔に思わず笑ってしまう。
「何だよ」
文句も続かないようなので、腕をまわして、鋼のをぎゅっと抱き締めた。胸元の金色の頭は小さい。発育不良気味の十五歳の体は小さくて重くて細くて温かくて、とても愛おしい。
「な、何にもしねえんじゃ、ねえ、の」
「しないよ。おやすみ」
 私はそこで完全に睡眠に向けて、意識を放した。感覚が無くなる前に、鋼のが私に抱きついたような気がしたが、確認はしなかった。



 次の朝。目が覚めたら鋼のは居なくなっていた。もしかしたら居心地の悪さに眠らずに過ごして、私が眠っている間に帰ってしまったのかもしれない。それにしても物音で起きられる私が目を覚ませなかったなんて…戦場ではこんな事は無かったのに何たる事か。
 少しだけ寝不足で、でも腕の中には鋼のを抱き締めて眠った満足感が残っていて、燻る甘さに顔が緩みそうになる。今でも、彼に私の感情を押し付けて受け止めてもらおうなど一ミリも考えていないが、一緒に寝たいと思うくらいには好かれていると分かってそれだけでも嬉しい。今日は金曜日。早く仕事を終わらせて、早く帰って風呂に入ってしこたまビールを飲もう。そして寝たいだけ眠るんだ。そう自分に言聞かせながら一日を過ごした。
 待ち望んだ帰宅時間。居残らなければならない理由など何も無い。鋼のは来なかった。まあ、そうだろう。今顔を合わせるのは気まずいだろうから。司令部を出ると、空は薄い青から紺のグラデーション。そこには幾つかの星がきらきらと銀色に光っていた。
「遅い」
 文句で呼び止められて振り向くと、塀に寄りかかった鋼の錬金術師がこちらを睨んでいた。
「私はもう帰るよ。書庫に入りたいなら月曜にしてくれ」
「知ってるよそんなの。大佐は帰るのか?」
「帰るよ」
「飯は?」
「どこかで食べるよ」
「じゃあ大佐の家で食べよう。あー腹減った」
「どうして」
「どうしてって…そこは聞くとこなのかよ!」
 目付きは悪いまま真っ赤になって吠えている。ああ。照れているんだな。全く素直じゃない。
「持ち帰ってくれだなんて可愛い事を言われて、今夜は我慢出来るかなあ」
「自分ばっかりが強いと思ってんなよ?。昨日だって、何されても起きなかったくせに」
「…何をしたのかね」
「続きは後で教えてやるよ」
 鋼のはどうしてもイニシアチブを取りたいらしい。耳元で囁いただけであんなに固まっていたのに。
「君は私の事が好きなのかね」
「さあ、どうだろうね」
何か言葉を用意して来たんだろうか、余裕を感じさせる。好きという言葉で動揺していたとは思えない程の不適な笑みを浮かべて、鋼のは赤いコートを翻し、私の前を歩いて行った。



『昨晩、受が攻に「寝てる間だけこの身体好きにして良いよ。でも起こさないでね」って言った後の攻の行動考えたら眠れなくなったので皆も道連れにしたい』RTより
2014/5/10

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