2013/520記念文



「マスタング大将」
「なんだね」
「失礼ですが、シャツのボタンを掛け違えているかと」
慌てて胸元を確認すると言われた通りボタンを一つ掛け違えていた。ホークアイに背を向けて、ロイはこそこそとシャツを直す。
「…しっかりして下さいね」
大将という相当な地位の人間を相手にしてそんな事を言えるのは、ロイと付き合いの長いホークアイだからこそだ。
本日は来客の予定が入っており、ロイは朝から落ち着かない。
久しぶりに顔を合わせる相手に緊張してそわそわしているなんて、自分でも気持ちが悪いと思う。三十五にもなって有り得ない事だ。だが、今日の客はロイにとって特別過ぎた。気持ち悪くなっても致し方ない、他に比べられない程の特別な相手だった。

「よう。久しぶりだな、大佐」
約束の時間より少しだけ遅れ、三年ぶりに顔を見せた相手はロイを昔のままの階級で呼んだ。
「もう大佐ではない、大将だ。鋼の」
そしてロイも、相手がとっくの昔に捨てた銘で呼んだ。
死闘を繰り広げ多くの犠牲を払いながらも世界を救い、エドワードが腕を、アルフォンスが身体を取り戻してから四年ほど過ぎただろうか。あれ以来、二人は殆ど顔を合わせる事無く過ごしてきた。エドワードはアルフォンス共々旅に出ていてどこに居るのか分からない状態であったし、ロイも軍の立て直しに奔走する日々を送っていた。
錬金術が使えなくなったエドワードは、国家錬金術師の資格を銘と共にさっさと軍に返上してしまった。全く未練の無いエドワードを前に、ロイが一人密かに心を痛めていた事は誰も知らない。
幼かったエドワードがいつの間にか立派に成長し、ロイの中でも特別な存在になっていたと気付いてしまったのは、エドワードがそろそろ十六になろうかというあたりだった。
モラル高いロイは積もる想いを告げることも出来ず、エドワードに心を奪われたまま一方的な失恋を経て今に至る。
エドワードが軍属でない以上、ロイが理由を付けて関わる事は出来ないだろう。唯一の繋がりを断たれたその落胆たるやそれはそれは酷いもので、半年以上引きずっていた上に紛らわせる為に度々酒の力まで借りていたのは誰にも言えない秘密だ。
「最後に会ったのは、アルフォンスと挨拶に来た時か。随分とまあ連絡も寄越さず…」
「あーもう、また説教かよ!大佐は変わんねえなあ」
偉そうな口調は昔のままだが、当のエドワードは随分と変わってしまっていた。
コンプレックスだった身長は打って変わってすらりと伸びて、今は平均程か。細身のしなやかな体躯で茶のスーツを着こなしている。トレードマークだった赤いコートは最後の戦いの後から着ていないと言っていた。
幼さが消え整った顔立ちに、三つ編みで纏めていた時よりも長い金の髪を一つに括る。美しく育ったエドワードに面影を探すとすれば、屈託の無い笑顔と強い視線の金色の瞳だろうか。
(…ああ、現実は残酷だ)
ロイは胸の中で一人ごちる。自分の気持ちに区切りをつけたつもりでいたが、こんなに美しく更に魅力を増した相手が再び目の前に現れたら、頑張って掻き消した未練がむくむくと湧いて出てしまいそうだ。
「エドワード君はすっかり大人になってしまったのね。今は幾つ?」
「冬で二十一になるよ。中尉は大佐になったのか。じゃあ、大佐が大佐の時よりずっと有能だな!」
皆で楽しく会話をしているつもりなのだが、ロイの目はエドワードを追ってしまう。
エドワードの旅の話を聞いて、簡単な軍のその後の流れや皆の近況を話した。積もる話は沢山あって、そんなこんなですぐに時間は過ぎてしまった。
「なあ。大佐は今夜、時間あるか?」
「作れん事も無いが」
「じゃあ二人で飲みに行こう」
「…君から誘われるようになるとは、感慨深いな」
「もう『大人』なもんでね」
帰り際、エドワードはロイだけを飲みに誘った。もう酒が飲める年になったのだと改めて実感すると、笑顔も軽口も確かにエドワードの筈なのに、もうあの頃の彼は居ないのだ。自分が関わる事の出来た相手ではないのだと思い知る。誘われたのは嬉しかったが、ロイが突きつけられた現実は少し冷たいものであった。


仕事を定時で切り上げて、エドワードと待ち合わせた場所へ急ぐ。私服姿のロイは珍しかったのかまじまじと眺められ、もう少しマシな格好をしてくれば良かったと後悔する。
ロイが案内して連れて行ったバーは、静かで雰囲気も良く、邪魔の入らない中で二人の酒が進む。
「大佐は酒、強いのな」
「元より弱くもなかったが、軍に入ってから無理やり馴らされたからな」
「へえ。そんなの本当にあるのか」
「下らん慣習の好きな奴らはどこにでも居るものだ」
エドワードの手には水割りのグラス。くるくると琥珀色の液体を回し、美味そうに煽る姿に思わず見とれてしまう。
「君が酒を飲む年になるとはね。昔はあんなに小さかったのに」
「昔って何時だよ。十年前とか言うなよ?。まあでも、身長はそろそろ大佐を越えるんじゃないかな。まだ伸びる予定なんで」
「止まればいいよ。君が大きいなんて気持ちが悪い!」
「ひでえなあ、大佐は」
遠慮の無い言葉で下らない話が弾む。酒の力もあるせいか昔では出来なかったような話まで飛び出した。
「なんだ。大佐はまだ独り身なのかよ」
「君こそ。飛び歩いているから相手が見つからないんじゃないのか?」
「オレは色々考えてんの!」
私は君の事を忘れられないんだ。君以上に惚れられる相手なんて、この世界に居ないのだよ。喉まで出かかった言葉をロイは酒で飲み下した。
そんなロイの胸の内も知らずに、パチン。と音を立てて、エドワードがカウンターにコインを並べた。
「覚えてるか?」
「ああ。お前に貸した金だ」
コインは三枚。520センズ。エドワードがロイに借りたままの金額だ。
「あんたが返せって言わねえから、利子が増える一方だ」
「利子は私が付ける側でないのかね」
「しかもまだ大総統にもなってねえし!」
「グラマン総統で暫く落ち着いているからな」
「なっさけねえなあ。そろそろ奪還して、新しい法律とか作れよ」
「随分と変わったと思うんだが、これ以上何を作るんだ」
「同性婚を可能にするとか?」
「はあ?」
「困るんだよね。色々、早くして貰わねえと」
どこまで本気なのだろうか。エドワードは笑いながら三枚のコインを再びポケットにしまう。520センズは本当にロイが大総統になるまでは返して貰えないのかもしれない。ならば、この約束がある限りはエドワードと繋がっていられる。女々しいと思いつつも、ロイはこの小さな繋がりがまだ残っていた事がとても嬉しかった。


気が済むまで飲んで店を出ると、日付も変わった真夜中だった。空には星も月も無く、街灯だけがぽつんぽつんとまばらに光を放つ。
「は、ははは、あははは!」
「少し静かにしてくれ、鋼の。この先は住宅の横を抜けるから迷惑になるぞ」
足取りの覚束無いエドワードに肩を貸しつつ、ロイはエドワードの宿へと向かっていた。飲めると言ってもそれほど酒は強く無かったようだ。無理をさせてしまったと反省し、エドワードを引きずって人影の無い暗い夜道を進む。細身とはいえ、全身を鍛えた上に、左膝下に機械鎧を着けた体が軽い訳が無い。残りの距離を考えると、これならおぶって歩いた方が楽なんじゃないかと思い始めていた。
エドワードが潰れる前の話によると、暫くは調べ物の為にセントラルに滞在するのだそうだ。宿屋は兄弟が昔から使っていた馴染みの小さな古宿だ。ロイも昔、兄弟に連絡を取るために何度か繋いで貰った覚えがある。
「君はもう少し酒の飲み方を覚えた方がいい」
「じゃあー、大佐に教えて貰おうかな、奢ってもらうついでにー!」
「奢るのは別に良いが、毎回これでは困るぞ」
エドワードはロイよりも少し背が低い為、肩を貸されると吊られるように寄りかかって歩く。近い距離にロイの心臓も少し騒がしいが、とりあえずは無事に送り届けなければと使命感が先に立ってしまう。
「…あまり無防備にしていると、襲ってしまうぞ、鋼の」
こんなに泥酔していれば聞こえていないだろうし、もし聞こえていたとしても冗談で済むだろう。ロイがどさくさ紛れに呟いた本音に、エドワードは予想通り笑った。
「あっはははは。襲われんのはアンタだろー?、マースタングたーいしょー?」
「現役の軍人を舐めるなよ、エドワード」
急にエドワードが止まった。具合が悪くなったのかとロイが心配する。
「…あ」
「どうした。具合が悪いのか?気持ち悪いなら…」
「名前」
「ん?」
「今、エドワードって」
「何時までも銘で呼ぶわけにはいかんだろ」
「もう一回、もう一回!名前で!」
「はいはい、エドワード」
ロイが酔っ払いのわがままに応えてやると、エドワードは嬉しそうな顔をした。
「ひひひひ。オレも大佐の事、名前で呼ぼうかなあ」
やめてくれ。とロイは思った。ファミリーネームならまだしも、エドワードからファーストネームで呼ばれたらひとたまりもない。長年の間保って来た理性が一気に崩壊してしまいそうだ。
「やっと、オレはやっと大人になったんだ」
エドワードの言葉はしみじみとしていて重い。兄弟揃って非凡な才能を持ち合わせていた故に幼い頃に禁忌を犯し、そこから始まった苦しみの日々は、他人が到底理解出来るものではない。答えの片鱗すら見えず、どこへ向かえば良いかも分からない旅を続ける。心が折れそうになった事もあるだろう。それでも彼らは最後まで諦めず歩みを止めなかった。そんな姿が眩しくて、ロイはエドワードに惹かれていった。
「背だって伸びた。酒だって飲めるようになった。中身は…、これからだとしても少しは見聞を広めて来たつもりだ。大佐にはまだまだ追い付けねえかもしれねえが、昔よりはマシだと思う」
「君は十分に立派だよ。いつも君の存在に救われていた。…まあ、今更勝手な話だが」
「なんだそれ、初めて聞いたぞ」
「君は褒めると調子に乗るからな。簡単には褒めてやらん。大体、茶に誘っても生意気な態度で一蹴するし、言う事は聞かないし、厄介事ばかり持ち込むし、こちらの心配なんぞ全くお構いなしだし、上司の私の事を無能などと呼ぶし…」
「あーあー、悪かった悪かった悪かった!だから拗ねんなって」
拗ねた口調のロイにぎゅうぎゅうと抱きついて、くしゃくしゃと頭を撫でる。酔っぱらいの無防備な行動に、ロイもつい腕をまわして抱き締めそうになる。
(……いや、ダメだ)
折角、こんなに仲良くなれたんだ。余計な事をして関係を悪化させる事は無い。抱き締めたら歯止めが利かなくなりそうだ。ロイは頭を撫でられながら欲望と戦ってねじ伏せる。
「オレさ、あんたに言いたい事あって来たんだ」
正面から腕をまわし、ぎゅっと抱きついた状態でエドワードが告げた言葉は、先ほど迄の酔っぱらいの悪ふざけと声音が違う。
「あんたを落としに来た。間に合って良かった、誰かに取られちまう前で」
「何を」
「ずっと、オレはずっと、あんたの事が好きだった」
抱きつくエドワードの腕に力がこもる。何を言っているんだ。自分の心の奥を読まれ、からかわれているのではないかとロイの思考は混乱し、返す言葉が出て来ない。
「子供で男で知識も経験も足りなくて…。あんたと釣り合う物が一つもなくて悔しかった。大人になったからこれで少しは戦える」
拘束を解いた腕はまるでケンカでもするかのように荒っぽくロイの襟元を掴んだ。引き寄せられて再び近くなる。不器用に押し付けられる唇。酒の匂い。エドワードの舌先がロイの唇を舐めて離れた。
「オレは本気だからな」
少し下から睨み上げるような眼差しは、酔いのせいで潤んでいる。薄く目元を染める色気にロイの視界がくらりとした。
「あんたが気持ち悪いって思ってても、オレは簡単には諦めないから」
揺らぎの無い言葉。エドワードの意志の強さをロイは十分に知っている。これは後から嘘だったと笑って誤摩化すような内容ではない。
ロイの頭の中にかかっていた靄がすっと晴れて、酔いも一緒に消えたような気がした。エドワードがロイの服から手を離すと、今度は逃がすまいとロイがエドワードの手首を掴んで、細い身体をそのまま後ろのレンガの塀へと押し付けた。ドンと鈍い音がしたがロイは気にする素振りも無くエドワードを射抜くように真っ直ぐ見つめる。
「今更こんな事をして、無事で居られると思うなよ?」
少し屈んでロイから唇を重ねる。エドワードからの抵抗が無い事を確認して手首を放す。顎を撫で上を向かせると、油断に薄く開いた唇の隙間に舌をねじ込んだ。
「…ん、………っ」
深く中へ差し入れ、エドワードの舌に絡めて吸い上げる。侵入してくる先を柔く噛んで遊び、ゆっくりと相手を味わう。ロイは強引なペースを崩さずエドワードを翻弄する。
「は……」
エドワードがやっと離れた唇を拭い息を漏らす。慣れていないのだろう。そしてそのまま地面にへたり込んでしまった。
「なん、で…たいさ…」
「君は諦めないんだろ?なら降参するしかない」
「え、じゃあ」
エドワードを立たせようと腕を引くが、困ったような顔でロイを見上げている。
「話の続きは場所を変えよう。立てるか?」
「立てるっていうか」
「こんな程度で腰が抜けたか」
「いや、その。腰っつうか、若干立ってて、立てない。みたいな」
「…………」
はは。と気まずそうに笑うエドワードにロイが面食らう。
「誰も人なんかいないんだから、気にせず歩け」
「酷い!鬼!」
「では背負って運んでやろうか?」
「それも困るんだけど!」
「ここで抜く訳にもいかんだろ。ほら。歩いている内に落ち着かせろ」
最後の言葉に慌てて、エドワードが壁に手を着きながら前屈みに立ち上がる。
「くそ、大佐がこんな人だと思わなかった。意地が悪いとは思ってだけど」
「君こそ。先に手を出した癖に」
横抱きに抱えようとしたロイを拒否して、エドワードが少しだけ離れて距離を取る。前屈みのまま仕方なく歩き出す。
「支えなくて大丈夫か?」
「大佐に背負われるよりダメージの低い方法を取りたい」
「その格好だとお腹が痛い人みたいに見えるから、いいんじゃないのか?」
「うるせえよ!」
本人は真っ直ぐ歩いているつもりなのだろうが、エドワードはやはり足元が不安定で蛇行しながら進んでゆく。
「酷いな。人よりも重い君を運んでやろうなんて申し出は、愛情だと思わないか?」
後ろから腕を取ってロイが支える。エドワードは渋々それを受け入れて、二人は再び並んで歩き出した。
「もう大佐はオレの物だからな。さっきの撤回すんなよ」
「独占欲が強いんだね、君は」
果たさねばならぬ目的以外に興味など無いように見えていたエドワードが、自分に執着してくれている事が嬉しい。知らなかったエドワードの一面を知る事が嬉しい。
ずっと一途に思い続け、背が伸びるのを待って、知識で武装を固め、酒の力を借りてまで宣戦布告をしに来た。そのいじらしさにどう応えたら良いのだろう。諦めた自分との違いは、やはり若さなのだろうか。
「エドワード。520センズ、少し待って貰えるか?」
「え?ああ。いいけどさ、あんたはさっさと大総統になっちまえよ」
君が言ったじゃないか。新しい法律を作れとか無茶な事を。自分ばかりが片思いをこじらせていたとは思うなよ。ロイはエドワードに優しく微笑みかける。ロイは優しいつもりであったが、外からは楽しそうに何かを企んでいるようにしか見えない。
「大佐って、ゲイなのか?」
「それはそっくりそのまま君に聞きたい所だが」
「オレは普通だよ。たまたま大佐が良かっただけで…」
あと十数分も歩けば宿についてしまう。そこでもう一揉めある事を可能性に入れつつ、お互いの腹の中に思惑を隠した男二人は暗い道に消えて行った。




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