落とし物アンテナ稼働中
 ※現代パラレルで、十八歳大学生兄さんと、三十二歳リーマンロイさん。

 
 オレは昔から落とし物をよく拾う。小さな頃に公園に落ちていた百円玉を交番に届けて、『坊や、偉いね』ってお巡りさんに褒めてもらったのが始まりだったんだと思う。
 別になんでもかんでも拾ってる訳じゃない。あからさまな落とし物しか届けない。一番多いのは財布。次に定期。鞄もあったな。警察に届けたら中に大事な書類が入っていたとかで、落とし主からでっかい菓子折りと御礼をもらった事もある。
 最近は携帯とかスマホとか。中身は見ないでそのまま警察に持っていく事にしている。以前携帯を拾った時に、すぐに返さないと困るだろうと思って履歴から連絡したら、それを引き取りに来た人に酷く咎められた事があるからだ。
 親切も裏目に出たら意味が無い。だから、拾った物はなるべくそのまま交番に持って行く。できるだけ迅速に。書類書いたりすんのは面倒だから、書かずに帰る時もある。だって、オレは三割まで要求できる謝礼が欲しくて届けてる訳じゃないから。その手放された物が、自力では主人の元へ帰れないってのがなんだか可哀そうかなって思うから。
 弟曰く、『兄さんは落ち着きがなくてきょろきょろしてるから、色んなもの見つけちゃうんだよ。視力もいいからかな』なんて言う。これ、何気に褒めてないと思うんだけど。
 幼なじみはこんな事を言う。『エドには落とし物を感じる落とし物感知機能がついてるのよ。センサーのアンテナはそれね。あと、視力がいいから』だって。なんだよオレは謎の機能を搭載して生まれてきたのかよ。どこの国のサイボーグだ。視力の良さが関係してるなら、センサー要らなくねえか?。
 そうして、望んだ覚えの無い高性能落とし物センサーを備えたオレは、今日も平和の為に地道に無意識に落とし物を拾って届けてしまうのだった。

 十月になると、いつまでも暑かった夏の影も随分と薄くなる。夜は涼しいを通り越して、半袖じゃ肌寒い。そろそろ薄手の長袖が欲しいかな。押し入れに長袖のパーカーがあった筈だから、明日はそれを着て大学に行こう。
 今年めでたく大学生になったオレは、念願の一人暮らしを始めた。弟が嫌な訳じゃないけど。いつも一緒というのは時々気まずい時もあるのが思春期だ。もうとっくに思春期は過ぎたけど、これからは気兼ねなく色々できると思うとオレの中のむっつりした部分がざわめいた。実際、好きな時に自慰行為ができてもそんなに日常は変わらなかった。男には限度というものがある事を知って、オレは少し大人になった。
 この新しい生活はなかなか楽しい。始めたバイトも忙しいけど、労働の対価が数字になって現れると嬉しいもんだし、なにより店の賄いが美味いってのはラッキーだった。食費が浮くのもありがたい。
 授業が終わってバイトに行って、家に戻るのは夜中になる。終電に近い駅からは帰りの客がどんどん流れ出て、四方八方に別れて消えて行く。金曜日の賑やかな駅前の商店街を抜ける頃には人もまばらになって、その先は静かな住宅街。あとは家まで黙々と歩いて行くだけだ。
 ぽつぽつと間を空けて立つ街灯が照らす道は薄暗い。オレの暮らすアパートは駅から微妙に遠いんだけど、そのおかげで相場より僅かに安いので文句は言えない。
 駅から真ん中くらいの所にぽつんとコンビニがある。砂漠のオアシスよろしく夜中でもそこだけ明るくて、誘蛾灯みたいに人を誘い込む。オレも誘われて、うっかりアイスとジュースを買ってしまった。
 喉も乾いたけど、先にアイスを齧ろうか。封を切ってゴミを捨てようとゴミ箱に近寄ると、その向こうに革靴を履いた足が見えた。
(何だろ…?)
 覗き込むと、スーツ姿の男がしゃがみ込んでいた。眠っては居ないようだが、具合は悪そうだ。いやあれだ。バイト先にもこんな奴いっぱいいるぞ。俗に言う酒に呑まれたってやつだ。酒は飲んでも呑まれるな。今こそこの名言を見知らぬあなたに送ろう。
「うう……」
 苦しげに呻く声に心配になる。店員を呼んで来た方がいいんだろうか。でも、深夜のコンビニ店員なんて明らかにバイトだから、店と関係無い事を対処しろって言われても困るだけだろう。
「なあおい。あんた大丈夫か?」
 俯いていた黒い頭がゆっくりとこちらを見上げる。やや整った顔は、まだアルコールにやられてるのか赤い。酔って涙目になった視線がオレをじっと見る。オレより大きいけど、まるで捨てられた子犬って感じだ。
「…みず……」
 男は掠れた声でやっと喋った。あれ?何だこの感覚。少年マンガの告白シーンとかってこういうの無かったっけ。瞳が潤んで顔が赤くて、じっと見つめ合って、みたいな。そういうリア充っぽい事したことないから本物を知らないんだけど、ドキドキして目が離せなかったのと、男相手にドキドキした自分に驚いて、返事が遅れた。
「あ、うん。ちょっと待ってろ」
 大丈夫かはわからないけど、水分を所望しているようだ。こういう時って水でいいんだっけ。スポーツ飲料のほうがいいんだっけ?。店に戻って両方買って、再び男の所に戻る。
「ほら。どっちがいい?」
「…水、を」
 両方見せたら水を指差したので、ペットボトルの口を開けて男に渡してやる。一気に半分ほど飲み干して、大きく息を吐く。
「ああ、ありがとう。ここは…?」
 水を飲んだおかげか先ほどよりもまだマシな声だ。それでもまともな会話が出来るかは怪しい。片言の言葉が外国人みたいだ。
「〇〇駅からかなり離れたとこのコンビニ。△△町の二丁目。わかる?」
「いや、さっぱり。…駅に、行きたいんだが」
「もう電車ねえよ」
「それは…困る……」
 睡魔に負けたのかくらりと揺れた。零しそうだったので水を取り上げて蓋をする。さて、これは交番に届けた方がいいんじゃないだろうか。なんかよくわかんないけど。オレの落とし物センサーが『対象物発見。これは至急、交番に届けなきゃいけない物です』ってアナウンスを繰り返している。
「ああああ、ここで寝るな!。コンビニの兄ちゃん困ってたぞ。あいつ新人バイトだって言ってたから、品出しで手一杯で何も出来ねえからな。タクシー呼ぶか?降りた時にちゃんと金払えるか?」
 ここで、この男には目に見えた所持品というものが無い事に気付く。スーツ着てんなら会社の帰りだろ?会社の帰りなら普通は鞄くらい持ってるだろ?。
「おい、あんた鞄ねえのか。財布は?電車動いてても財布無かったら乗れねえじゃねえか」
「それ、は…、……困る…」
「だから寝るなって!。困るのはオレだってーの!」
 手に負えないのでこの酔っぱらいは捨てて行った方がいいんじゃないかな。でも落とし物センサーはまだ警報を鳴らし続けている。ずっと中腰だと疲れて来たので、目の前にしゃがんで子供に言い聞かせるようにゆっくりと話す。
「あんた、ここで夜越すならコンビニの兄ちゃんに迷惑かけんなよ?あと、冷えるから風邪引かないように…」
 話してる最中なのに、手がふわりと伸びて、オレのシャツの端をきゅっと掴んだ。真っ赤に潤んだ目は今にも泣きそうで。

『置いて行かないで』

 多分言われてないんだけど、そう言われた様な気がした。表情がそんな感じで憐れに思えてしまったからだろうか。今まで落とし物を見過ごせなかった時のむずむずした感情の正体が分かった様な気がした。オレは落とし物に『置いて行かないで』って言われてたんだ。
 …ってさ、何のオカルトだそれ。オレのアンテナは実は妖怪アンテナだったのか?。
 一番近い交番てどこだったっけ。記憶を掘り返してみても、駅前で見た事ないんだけど。
(どーしよー……)
 鳴り響く落とし物センサーの警報。決断を迫られるプレッシャー。オレの頭の中で、一番最初に切って捨てた案がなぜか採用された。


 薄暗い住宅街の道を。後ろを振り返りながらいつもよりゆっくり歩いて進む。
「ほら、気ぃつけろって」
 電柱にぶつかりそうな男の身体を、手を引っ張ってコントロールし、回避させる。
 うちに来るかと聞いたら頷いたので、連れて帰る事にした。部屋の隅に置いておいて朝になったら追い出せばいい。千鳥足だがなんとか歩けるので、手を繋いで誘導する。子供みたいに手を引かれて歩く男は、ちゃんと見ていないと歩きながら眠ろうとして塀に激突するから放っておけない。
 他人にこうやって直に触るのなんて、何年ぶりだろう。中学校の時にフォークダンスで女子と手を繋いだ記憶くらいしかないから、変に意識してしまう。遠目から見たらカップルに見えるのかな。しっかり繋いだ大きな手はとても熱い。熱くて人の体温が気持ち良くて、離せなくなりそうでヤバいなあ。


 スリリングな深夜の散歩を堪能してやっと家に着いた。鍵を開けている間にズルズルと座り込んでしまったので、なんとか引きずって部屋に入れた。推理ドラマによくある死体を引きずるシーンみたいで、なぜか誰かに見られちゃいけない様な気がして、急に慎重になる。
 学生の暮らすワンルームにしては、ちょっとだけ広いオレの部屋。一目見て気に入っちまって、駅から遠くてもここが良かったんだ。大学の友達が雑魚寝で五人を記録したが、二度とあんな目には遭いたくない。それでも、男が大の字に転がればとても邪魔で狭く感じる。
「おい、寝るんなら背広脱げよ。しわくちゃになるぞ」
 さっきから話しかけているが返答は無理そうだ。背広を脱がしてハンガーにかけて、このままじゃズボンも皺くちゃになるんじゃ?と心配になる。だってスーツは仕立てが良くて高そうだったから。もう、ここまでしたら後は一緒かなと思って、ズボンも脱がして、ネクタイも外して、ついでにシャツも脱がしてそれらもハンガーにかけた。あ、靴下…。靴下も脱がしてやるかな。オレって甲斐甲斐しい。
 無様にもパンツ一丁になった男は、見た目よりも鍛えていて筋肉質で重い。引きずる事は出来ても、持ち上げるのは至難の業だ。ベッドの上に上げられないので、床に置いたまま布団を一枚かけてやった。もしかしたら吐くかもしれないよな。ゴミ箱にビニール袋を二重にして、少し離れた見える所にこいつの飲みかけのペットボトルも置いた。これでどうにかなるだろう。万が一、寝ゲロくらったらその時点で玄関外の道に放置する。そうだそうしよう。
 何か連絡先は無いのかと背広のポケットを漁る。大丈夫だとは思うんだけど、万が一の為の保険をかけておいた方がいいからな。都会は生き馬の目を抜く程恐ろしい所なんだから気をつけなさいって、ウインリイん家のばっちゃんが言っていた。でもまだこっちに来てから目を抜かれた馬も、馬自体も見た事が無い。
 ポケットには綺麗にアイロンのかけられた紺のハンカチと、スマホ。あー、オレまだガラケーだからスマホわかんないんだよね。適当に触ったけどロックみたいのがかかってるし。これで、履歴の一番上にあるお友達(であろう)人に連絡を取って、この男を引き取ってもらうという作戦は泡となって消えた。更に内ポケットに二枚同じ名刺が入っていたが、これから会社に連絡しても仕方ないからな。傷も無い同じ名刺が二枚って事は、きっとこの人のもので、使わずポケットにしまったんじゃないかと予測する。他人から渡された時に二枚が重なってたという可能性もあるけど、前者を信じたい。ぶっちゃけ今、これ以上労力を費やしたくない。
 名前の所にロイ・マスタングって書いてある。オレの読みが正しければこいつはロイだ。名前が分かって少し安心した。
(二枚あるなら一枚くらい貰ったって問題ないだろ)
 名刺は机の引き出しにしまった。男はオレの行動に全く感知せずぐっすりと眠っているようなので、オレは風呂に入って来る事にした。


(ロイさん、か…)
 男の名前はロイさん。雨に打たれた子犬の目をした男前系。腹筋がっつりなのはオレも負けてないけど、量が違ったな。相撲を取ったら負けると思う。てか、身体に触ってみたいと思ってしまった。
 ゆっくり湯船に浸かって頭も洗って、寝間着にしているTシャツに着替えて歯も磨いたらやっと落ち着いた。髪を拭きながら風呂から上がると、ロイさんは物音に目が覚めたようだった。まるで女子のように布団で身体を隠して、オレを険しい目つきで見つめている。
「あ、あの、すみません。これは一体どういう…」
 ロイさんの声はまだ少し掠れていた。ちょっと混乱してるみたいだ。そりゃあそうだよなあ。酩酊状態から気がつけば知らない人の家で、しかもパンツ一丁なんだから。
「ここは君の家?お嬢さんは、その」
「オレ女じゃねーんだけど」
「えっ!、そうか、失礼した。可愛らしいからてっきり」
 髪下ろしてるからオレを女と間違えたのか。でも地味に腹立ったから苛めてやろうかな。
「酷いなあ、どうして今更間違えんだよ。いーよ、もう」
「いや、その…」
「ていうか、酒は抜けた?。べろんべろんだったじゃん。もー、大変だったんだからなー。あ、服は皺になるからそこにかけといたよ」
「あ…ありがとう、ございます…」
 わざと親しげに、何かありましたよって感じでベタベタ話しかける。ロイさんの顔がどんどん蒼白になっていく。けけけけけ。酔った勢いで知らない人とヤっちゃったみたいな不安で一杯なんだろうな。しかも相手が男だぞ男!。さあ、どうする?。
「申し訳ない。今までの記憶がさっぱり抜け落ちていて…。君とどこで出会ったのかも、名前も、…その、何があったのかも、何も覚えていないんだ」
 以外と誠実な対応をするロイさんを、ちょっと見直した。さっきまでへべれけだったけど。
「とりあえず、水飲みなよ。これはあんたの飲みかけだよ」
「ああ、すまない」
 ペットボトルを受け取ると、残り半分を一気に飲み干した。
「ロイさんも、風呂入る?」
「!。あ、ああ」
 いきなり呼ばれて明らかに狼狽えてる。じゃあやっぱり名前はロイで合ってたんだな。素晴らしい洞察力を持つオレを全力で褒めてあげたい。
「なあ。一緒に入れば良かった?」
「いえ!大丈夫です!」
「タオルとTシャツ置いとく。オレが寝間着にしてるやつなんだけど、Lサイズだからあんたも着られると思うんだ。ズボンはないけど、何もないよりマシだろ?」
「ありがとう。借りるよ」
 ロイさんはパンツ一丁でこそこそと風呂に入って行った。もう、笑いを堪えるのが大変で大変で。風呂場のドアが閉まってから吹き出しちまった。聞こえてたらどうしよう、まあいいか。出て来たらちゃんと説明してやろうっと。
 テレビ見たり茶を飲んだりしていたら、ロイさんが出て来た。パンツ一丁よりまだマシだが、上にTシャツだけってのも変態っぽい。つうかエロい。筋肉質の太腿が、なんか生々しくてエロい。
「ありがとう。さっぱりした」
「もう酒も抜けたみたいだな。お茶飲むか?、喉乾いてるだろ」
「色々とありがとう」
「名前、ロイでいいんだよな?」
「え?」
「だってあんた、酔いつぶれてて今までまともに話してくれてないんだから」
「まさか、私は君を口説きもせずに、無理矢理に乱暴を…!」
「ちーがーうって。ま、オレも意地悪だったと思うけど」
 お茶を出しながら、コンビニ前でロイさんを拾って、手を繋いでここまで来た事を話してやった。からかった事や名刺を勝手に見た事を詫びると、ロイさんの顔はまた険しくなったりホッとしたりして忙しい。
「君には迷惑をかけてしまったね。申し訳ない」
「オレさあ、昔からよく落とし物拾うんだよね」
「私は落とし物か?」
「うん。落ちてたし。オレの落とし物センサーは『落とし物です』って言ってたし」
「…お、落とし物センサー…?」
 そこは身内ネタだからあんまり食いつかなくてもいいんだけどね。出しておいた座布団を叩いて、どうぞって勧めたらオレの隣に座った。
「今から帰ってもしょうがないから、泊まってけよ」
「すまないね」
「だって、拾っちゃった時点で…、ふあー……」
「…っあ」
 目の前のオレのあくびにつられて。ロイさんも大きなあくびをした。お互い疲れてるし、もうすっかり夜中だし、そろそろ寝ようかな。
「見て分かる通りベッドは一つ。隣に寝るか?」
「いや、これ以上迷惑はかけられないよ。床でいい」
「別に襲ったりしねえよ。オレも男には興味ねえから」
「そういう事じゃないよ。…まあ、いいが」
「ロイさん明日は仕事?。土曜日だけど」
「いや、休みだ。その、君は…。君の名前も教えて欲しい」
「オレはエドワード。大学一年生。明日は二限から授業」
「大学生!。見えないな」
「さっきからさ、女だの大学生に見えないだの、あんた失礼過ぎんだけど」
「いやすまない。エドワード、本当にすまない」
 さっきから沢山謝るロイさんに、今なら我が儘言っても聞いてもらえるんじゃないかって思い始めた。今日のオレは意地悪だ。そして図々しい。それは出会った時にロイさんが子犬みたいな顔してたからだと思う。今はもう子犬じゃないけど。
「なあなあ。ちょっとオレのお願い聞いてくれる?」
「内容によるが」
「聞いといた方がいいよ。駅までのナビとか帰りの電車賃とかの為に」
「ああ、そうか。鞄は店に置いて来てしまったんだった…」
 がっくりしてるロイさんの前でガッツポーズをする。ほうら決まった。大胆かもしれないけど、ついに人間を拾って持ち帰ってしまったオレにもう怖いものなんか無いんだからな。
「ロイさんは身体使う仕事?、それとも身体は趣味で鍛えてんの?」
「え、ああ。デスクワークだが体力を落とさないように、時々ジムで」
「腹触らせて、腹!」
「腹?こうか?」
 シャツを捲って腹を出すロイさん。そこへ手を伸ばしてぺたぺた触るオレ。変な光景だけど、見ようによっちゃあ微妙に倒錯的でもある。
「さっきさ、割れてんなって思ったんだけど。おー、硬ぇー。オレさ、筋肉はあるんだけど量が増えねえんだよ。胴回りとか肩とかもっと太く逞しくしたいんだけど」
「君、あまり筋肉質には見えないが…。エドワード、擽ったいぞ」
「脚は?脚。走ったりすんの?」
「時々は…、待て、ストップだエドワード!」
 オレの手をそっと握って止めさせ、腹を隠してしまった。相変わらずその手は熱い。腿をにぎにぎしたから擽ったかったのかもしれないな。もしかしたらロイさんは触られると弱い?。こちらはそこそこ堪能したのでよしとする。
「よく見てみろ。これでも筋肉質だぞ。ほら」
 オレも負けじとTシャツをまくり上げて腹を見せる。見栄っ張りなので、腹にはぐっと力を入れた。どうだ!格好良いだろう!。
「…あのね、あまりそう言う事はしないほうが…」
「なんだよ。オレの腹筋は貧弱だとでも言いてえのか」
 視線を外すロイさんににじり寄ったら、そっとシャツを下げられた。なんだそれ。オレの腹は鑑賞に堪えうる物では無いとでも言いたいのか。
「君、無防備すぎるんだよ。どうするんだ?ここで私に襲われてしまったら」
「襲うのか」
「もちろん例えだ!。ああ、もう…」
「すごく嫌な事してたら、ごめん」
 しゅんとしたオレの横で、ロイさんは困った顔をしている。
「自覚が無いのかな。君は可愛らしいから、男でも手を出そうと思う奴は居ると思うぞ。その、私は至ってノーマルだが、風呂から上がって来た君を男だと知っても、『もしかしたら、あまりの可愛さに手を出してしまったかもしれない』という可能性が消える事はなかった。訂正してくれて助かったが」
 意地の悪い冗談を言ったのはオレだけど、ロイさんの中にそういう選択肢があったという事に驚いた。オレって可愛いか?もしかして男女の区別無く恋愛には奔放なタイプ?。あまり遊んでそうには見えないけど、モテそうではあるからな。
「その、風呂上がりでシャツを捲る格好とか、襲って下さいと言わんばかりの姿は目の毒だ。困る」
「ロイさんて、恋愛は自由だけど真面目なタイプってやつ?」
「君が何を言っているのかわからん」
 うーんオレもわからない。でも、触って機嫌は損ねてしまったみたいなので謝る。やっぱり調子に乗りすぎたかもしれない。
「さっき、一緒に帰って来る時に手ぇ繋いでたのが、なんか、熱くって気持ち良くって。そんで触ってみたくなったのかも。ロイさんは元々体温は高い?、それとも酒のせい?」
 オレの質問には答えず、ロイさんは固まったままだ。やっぱり疲れてるのかな、バイト帰りだし。さっきから会話が噛み合っていないような気がする。オレの理解力もほぼ無いし、このまま話し合っても埒が明かないだろう。もう寝て、明日考えようと思う。
「ロイさん、ごめん。オレ、ちゃんとあんたの言葉を理解できてないみたいだ。明日また謝るから、今夜は寝よっか」
 返事を待たずに部屋の電気を消した。カーテンの隙間から街灯の灯りが漏れて、それくらいがオレの部屋には丁度いい。
「…なんとなくだが、君の欲している物がわかった気がする」
 ベッドに上がったオレに、ロイさんが言った。
「エドワード。私が君に触れるのは、嫌か?」
「え?」
「嫌じゃなければ、おいで」
 急展開に頭がついていかない。どうしてこうなるんだ?。ロイさんがオレに触るって事だろうか。腹筋の事だろうか。おいでって何だよ誘ってんのか。あからさまに危険な気がするのに、オレはロイさんの『おいで』と差し出された手に誘惑されてしまった。
 ベッドを降りて隣に座ると、ロイさんがオレをギュッと抱き締めた。頭を撫でて、背中をぽんぽんと叩く。
「違っていたらすまない。嫌なら離れてくれ」
 風呂上がりのロイさんはさっき手を繋いだ時のように暖かい。暖かいというか、オレも風呂上がりだから熱い。同じシャンプーと石けんを使っている筈なのにすごくいい匂いがして、擽ったい気持ちもとても心地よい。
「人恋しいのかと思ったんだが。そんなに無防備に人に触れようとするのなら、いっそこうしたらいいかと」
「そうなのかな、よくわかんねえ。でも、ロイさんは、あったかいなあ」
 背中をぽんぽんと同じリズムで叩かれていると、先ほどとは比べようが無いくらいの睡魔が小隊引き連れてやってきた。こういうのって赤ん坊の頃に植え込まれた条件反射みたいなものなのかな。
「…ねむい。すごく」
「寝なさい」
「このまま、で……」
 身体の重くなったオレを簡単に抱えて、ロイさんはベッドに寝かせてくれた。そして自分も隣に入ると、再びぎゅっとしてくれる。あー、いいなあこれ。オレも腕をまわして抱きつく。やっぱり人恋しかったのかな。いい落とし物拾ったなあ。そのままぐっすりと眠ってしまって、気がついたら朝になっていた。


 ロイさんと連絡先を交換して、再び会ったのは三日後の夜だった。会社帰りのきちんとしたロイさんは、へべれけ千鳥足やパンツ一丁の姿からは想像できないくらい有能な雰囲気で、こちらが少し照れてしまったくらいだ。借りた交通費とそのお礼という事で奢ってもらった肉はとても美味しかった。
 あの夜、ロイさんは知り合いに連れられて行った店で、仕事のストレスも手伝ってうっかり飲み過ぎてしまい、気がついたらオレの部屋だったらしい。店での詳細は教えて貰えなかった。きっと酷い飲み方をしたんだろう。本人は『酒には強い方だ。今までにこんな事は無かった』なんて言ってたけどどうなんだろう。そもそも人間はそんなに記憶を飛ばせるものなのか?。オレはまだ未成年だから酒は飲まないのでわからないけど。
「なあ、エドワードは今、付き合っている人はいるのか?」
「んー。募集中かな」
「そうか。そうかそうか。なら、立候補してもいいかな」
「へー。男に興味無いんじゃなかったっけ」
「無いね。でも、君には興味がある」
 平静を装ってるけど、胸ん中はバクバク鳴ってる。どうしよう。告られたし口説かれてるよ!。
「あんたが言ったみたいに、人恋しいだけかもよ?」
「そうかもしれないね。なら、本当にそれだけなのか、一緒に過ごして見極めて欲しい。どこかで君の時間をくれないか?。良かったらまた、食事に付き合ってくれ」
「食事はいいねえ。お好み焼き食べたいな」
「なら店を探しておく。バイトの都合は?」
 デートだ!これってデートだよな!。お好み焼きって二人の距離を縮める最高のデートだって本で読んだ事がある。次に効くのはジェットコースターだそうだ。所謂吊り橋理論だな。でも、焼いてくれるお好み焼き屋だと、共同作業のスリルは味わえないから、吊り橋理論は関係無いのだろうか。いっその事、どこか吊り橋まで出かけたらいいのかもしれない。
「ロイさんはどうしてオレなんだよ。おっぱい無いよ?」
「そうだな。変わってるところがいいのかな」
「オレは至って一般的な学生だと思うんだけど。ロイさんてもしかしてロリコン?」
「ロリータ趣味は無いな。でも、胸だけでも惚れられない。君は大きさが子…おっと失礼。でも、君みたいな人種も私の人生には居なかったタイプだ。もっと色々知りたいね」
「未成年だけどいいのか」
「うん。手を出さなければいいだろ?」
「えっ、そんなの耐えられねえ!」
「君は私と付き合う気が無いのか?、それともあるのか?」
 ロイさんは以外とチャレンジャーだ。この人の好奇心センサーにオレは引っかかったんだろうか。
 人にはきっと、それぞれアンテナがついている。それが何を探してるセンサーなのかは分からないけれど、見つかったらきっとすごく幸せだ。
 その昔。道端でオレが野良の子猫とかを見ていると、アルに『また落とし物?動物は拾っちゃだめだよ』ってよく注意されてた。可愛いなと思って見ていただけで、あれを落とし物だとは思っていなかったんだけどな。そういう時は落とし物センサーも感知していなかった。オレの中には明確な線引きがあるって事だ。
 なのに拾ってしまった深夜のでっかい落とし物。暖かくて大きくて、これからの季節にはぴったりだ。落とし物は、三ヶ月経って持ち主が現れなければ拾った人間の物になる決まりなので、とりあえず三ヶ月くらい待ってみようと思う。


2012/10/7 無配ペーパーより


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