そのろく。


コンサートや舞台の「会場」というのはいつでも魔法の空間だ
舞台を作り出す側は失敗しない事を大前提として、更に楽しんでもらえるように上を目指す。そこへ、高いチケットを手に入れて、特別な時間を待ち焦がれた観客が期待を胸にやってくる。そこにいる誰もが非日常の何かを企み期待して数時間だけ集まるという異空間なのだ。
ライブという言葉の通り、その空間はまるで生き物のように変化する。同じ演目、同じ出演者であっても、演者のその日の体調やモチベーション、そして集まった客、天気。その舞台が始まる一秒前までに揃った人々の時間も全て同じ物は一つもないのだから。

どこかのライターがこんな事を書いていた。『会場には魔物が棲んでいる』と。
姿の見えない、触れられないその魔物に出あってしまうと、忘れられなくなって何度でも体感したくなる。そうやって魅入られてしまう。
全ての偶然が重なって最高の瞬間を迎える。何千人何万人という人間の感情が一つの塊となる。興奮に肌は粟立ち、周囲の喚声も聞こえない。寧ろ自分も叫んでいたのかもしれない。学生時代に魔物に出会ってしまった私も、現在この世界に居る。直接の関与ではないものの、支える一点として責任は充分だ。


ただでさえ特別な空間が違う色を帯びる一つとして、引退公演がある。二度とその舞台を拝む事はできない。別れを惜しみ最後の姿を焼き付けようと、客の熱の入れ方は半端なものではない。作る側も最高の花道で送り出してやりたいと必死だ。
そんな殺気さえ感じる会場の中、慌しくエドワードは準備を迎える。自分の引退公演だというのに、どこか涼しげで余裕さえ感じる。


エドワードは爆発的な売れ方をして雑誌にテレビに広告にと、彼の姿を見かけない日は無いほどに仕事をこなしていた。この先もアイドル路線を貫くのか、何時頃方向転換を仕掛けるのか。そういった会議も度々行われたようだ。そんな多忙な中、話が切り出されたのは突然だった。
エドワードはきちんと事務所を説得していたらしく、それから『仕事として』我が社を訪れた。「高校の卒業と共に芸能界自体を引退したい。二度と仕事として姿を出すつもりはない」と、マネージャーが説明し、本人は大人の言葉でしっかりとその理由・謝罪・感謝の言葉を告げてから深々と小さな金色の頭を下げた。

「すいません、ほんと俺の我が侭で。こんなに良くしてもらったのに」

子供みたいに、でもすまなそうに笑って謝る彼に、私達はもう何も説得する事は出来なかった。
残りのリリース契約はベストアルバムという形で消化して、引退記念メモリアル(私はこういうやり方は嫌いだが仕方ない)やオムニバスのアルバムは引退後半年以降で好きにしていいという内容で納得せざるを得なかった。事務所も本気だった。全力でエドワードを守りこの世界から引き離そうとしていた。


そんなきちんとした手順を踏んで、やっと最後の日まで辿り付いた。エドワードも私も、死ぬほど多忙な毎日を過ごして出来る限りの仕事をこなした。
彼が疲弊して私に預けられた一件以降、エドワードは相変わらず忙しくて、私は勝手に心配を募らせていたが以降二人きりで会う事は無かった。小さな体を抱きしめて眠った夜も、その感触は直ぐに劣化しただの記憶になってしまった。その頃からだった、ふとした瞬間に見せるエドワードの表情がどこか達観したように静かな一面を見せるようになっていた。変化を考えれば、あの頃から気持ちを決めていたのだろう。もっと早く気付いていたかった。それは担当としてではなく個人的な感情として。


大きな箱の中に緊張と期待が溢れんばかりに満たされる。

「ほんじゃ、いってきます!」

エドワードは笑顔を浮かべて、私の含まれるその他大勢に挨拶を告げて、光の中に消えて行った。








「やー、すごかったね、花道にせりにゴンドラ、挙句の果てにフロートで会場一周して特効は終わりまでバリバリ!掃除の人大変だよなきっと」

「大丈夫。ああいったものは大半は客が思い出として持ち帰るよ」

「そっか。楽しんでくれてたらいいけど」

ステージを終えたエドワードは、疲れた中にさっぱりとした表情を浮かべて、にこにこしながら挨拶まわりをしていた。あ、と今更気づいたような顔で小走りに寄ってきて、いつもの光景に明日も仕事があるんじゃないかそんな気になってしまう。

「この後、ホテル会場に移動してお別れ打ち上げだろ。時間は大丈夫か?」

「マスタングさんも来るの?」

「行くさ。担当として最後の挨拶をしないとね。エドワードは、その」

「大丈夫。腹減ってるから早く行きたいんだ。ケータリングの飯もう撤収しててさあ、もうちょっと喰いたかったんだけどな」

にこにこしている表情はいつもの物だが、湛える本質が既に違う。十代の少年はみるみるうちに大人に近づいている。少し、背が伸びたかもしれない。少し、骨格がしっかりしてきたかもしれない。微かな成長は体だけでなく、確実にその心も伸ばしていたということだ。
いつからか、彼に「大丈夫」と言われる度に心は痛んだ。それは私を頼ってくれないという不満や、大丈夫だから何もしなくていいという拒否にも思えていたからだ。私はすっかり身勝手になっていたが中身は傲慢以外の何者でもなく、当たり前だが恥に表に出すことは一切無く隠していた。

「なんかさあ、いっぱい一緒にいたのに短かったね。客が居なかった店内イベントとか、すげぇ懐かしい」

「本当に、君も成長したね。よく頑張ったから皆に愛されたんだ。君の努力の成果だよ」

「マスタングさんには倍以上世話かけたね」

「ああ」

「お別れだね」

「死ぬ前みたいな事を言うな。不安になる」

今でないと言えない言葉がある。心は緊張していて、それでも平然と言葉がでてくるのは職業柄としか言いようがない。

「君が、君があんまり懐いて、私を好きだ好きだと繰り返すから、勘違いしてしまいそうになったよ」

「ひでえなあ、大好きなんだけど」

「嘘でも嬉しかったし、とても毎日が楽しかった。会えないのはもう…」

「死ぬ訳じゃないんだからそんな顔すんなよ。それに、マスタングさんのは卒業式の「寂しいね」って言うのと同じだから、あんま流されたりしないほうがいいよ。あんた仕事出来るくせに真面目で正直で良い人すぎる」

冷静なエドワードに寂しい気持ちを覚えながら、その場は別れた。自分が言いたかった言葉は、こんな子供じみた挨拶みたいな言葉だっただろうか。精一杯がこれなんてあまりにもお粗末で溜息も出てこない。
彼にはもう私は必要ないんだ。介入出来ないのだなと思うと寂しさは足元に広がって、私はしょぼくれた顔を笑顔で偽りながら、広大な水たまりに靴を濡らしていつまでも歩いて行った。






エドワードが芸能界からいなくなって約半年が過ぎた。

見事なまでに姿をくらまし、田舎に帰ったとか騒ぎが納まるまで外国にいるとか、高級マンションの最上階にかくまわれているとか本当に様々な憶測が飛び交った。しかしどれも裏は取れず、そんな話題も少なくなってきた。
私も心配から事務所に打診してみたが「こちらもわからない。エドワードとの約束で一切詮索しない事になっている」と返ってくる。近い関係者にも情報は一ミリも漏れてこない。実はこちらも裏から独自に調べさせたが面白いくらいにわからなかった。事務所も本当に行方を知らないのかもしれない。

私はと言えば、エドワードが私を昇進させると公言していた通り彼の大ブレイクで昇進し、引退後に臨時ボーナスと1ヶ月の休暇まで許された。
しかし喪失感から休んだらふぬけになってしまいそうで、わざわざ休暇は先送りにした。あれだ。失恋の後に近い。近いというより失恋だった。ファンと同じようにエドワードに恋をし、彼からの好意にいつの間にか本気になって、実際に会えてしまう分勘違いをして、疑似恋愛をしていたんだ。
売れるタレントは、当たり前だが魅力的だ。側にいれば当てられ魅力を目の当たりにし、一緒に仕事をしていれば入れ込む事もある。そんな言い訳を自分の中で繰り返しながら仕事に明け暮れていた。


考えてみなくてもこれは完全な私の片思いで、終わるも何も始まってすらいない。気付くのが遅かったがあれは確かに恋だった。頑張る彼の真っ直ぐな心に、幼いプライドの高さと強さに、人として心から惹かれていた。彼の態度と性別と若すぎる年齢、仕事であるという事から、自分の中で勝手に可能性を否定していただけだった。

(まあ、手を出すわけにもいかないから、これで良かったのかもな)

相手は子供で男で商品で、これ以上ないというほどの悪状況。自分が抑えられる間に離れて良かったんだきっと。最近の私はすっかり言い訳が多くなった、しかも相手は自分自身。
季節はいつの間にか秋に近づいていて、部屋に帰る僅かな間に感じられる程空気は変わってしまっていた。





「よ、久しぶり。相変わらず帰り遅いのな」

オートロックのエントランスを抜け、部屋の扉まで来たらうちの扉にもたれて子供がしゃがんでいた。雰囲気が違うので一瞬戸惑ったが、慌てて鍵を開けて部屋の中に連れ込んだ。

「な、あ、きみ…っど」

「や〜、引っ越してなくて良かった。元気だった?」

目の前には青年…いや、大きさは少年に近いが。金髪を短くして整った顔立ちは化粧などもしておらず、印象は違うもののまごうことなくエドワードだった。

「なんで、ここに来たんだ。よく入れたな」

「宅配便のにいちゃんが入る所だったからちょろっとな」

「セキュリティに問題があるな。管理人に伝えておくよ」

「そんなことしたら次来た時に同じ戦法使えなくなるじゃねえか!」

「連絡してくれたら、いつでも迎えにいくのに」

「仕事でもないのに?相変わらず優しいのな」

相変わらずなのは屈託のない彼の笑顔だ。こんな、一番悪いタイミングで彼に引き合わせるなんて神様は意地が悪い。恋焦がれて、諦めて、沈殿した気持ちが溜まりに溜まって溢れそうになっている時にこんなことになったら。

「酷い目に合っていないか?ちゃんと生活できているか?金とか住む所とか困ったりしていないか?」

「あはははは!心配しすぎ。毎日のんびりしてたよ」

「君が困っていたりしてないか心配していたよ。会いたかった本当に。他に会っている人とかはいないのか?」

「いない。一年は関係者に会わないって事務所に言ってたから。俺はさ、関係者じゃなくてロイ・マスタングに会いに来たんだ。相変わらず微妙にフェロモン醸し出してんな」

もう、耐えられなくなって彼を抱きしめた。心が簡単に決壊して我慢する事が出来なかった。腕の中にすっぽり収まった。エドワードはもぞもぞして嫌がっているのかと思ったが、腕を伸ばして私の背中にまわして、子供をあやすようにぽんぽんと叩いたり撫でたりを繰り返した。勿論、迂闊にも泣きそうになったのは言うまでも無い。


落ち着いてから飲み物を片手に、色々な事を話した。足りなかった出席日数の補習を受けて、夏の終わりに高校を卒業したとか、毎日ゲーム三昧で部屋が玩具だらけとか、巨乳アイドルは出来ちゃった婚で引退してしまって困ったとか、背が4センチも伸びたとか。部長は実はカツラだとか。止めどなく下らない会話は続く。

「エドワード。もしまだ時間があるなら一緒に旅行に行かないか?、君のおかげで色々なボーナスを貰ってね、まだ何も手をつけていないんだ」

「ふーん、俺でいいんだ。じゃあ2、3週間旅行とか行きたいなあ」

「君が望むなら一ヶ月でも外国でも」

「なんでそんなにあんたはまた。巨乳に喰われる前に戻って来て良かった」

気持ちに踏み込んだら振られるかもしれない。それよりも今一緒に居られる事が嬉しい。どうやら大学受験なんかも視野に入れている様で、そんなアドバイスも欲しいと言っている。仲良くなれる時間はこの先たっぷりある。
気まぐれでも戻ってきてくれた彼に感謝。彼を引き合わせてくれたこの仕事と世知辛い業界にも感謝、そして、居るとは思っても居ないが神様にも、一応感謝しておいた。
泊まるというのでまた用意をして、だぶだぶのパジャマの裾を捲くってやって、結局同じベットで眠ることになった。横になって同じ目線になったエドワードは、何度も私の頭をくしゃくしゃとなでては「あんた天然だね」とか「天才的に鈍くて可愛いね」と微妙な誉め言葉を繰り返して、良くわからないながらも私は嬉しくてにこにこしていたと思う。
彼のその言葉の真意に気付くのは来月、日本を離れた旅行先になろうとはこの時は考えもしなかった。





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引退話が書きたかったのでかきましたが、この先平気で現役話も書く予定。うちの「お約束・ぬるぬる・ハッピーエンド」を貫いてみました。
一緒に楽しんでくださった皆様、本当にありがとうございました。


07/5/30ハルキ
07/7/6 移動


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あきゅろす。
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