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 深夜の大通りは交通量も減っていよいよ寂しさが増す。たまに通るタクシーはどれも客が乗っていて、捕まえて家までという訳にもいかなそうだ。まあ、最初からそんな選択肢は考えていない。金の問題でなく、あまりタクシーが好きでないんだ。運転手付きの閉鎖空間が得意ではないという個人的な理由だ。
「すまないね。この辺りは馴染みが無いから、駅の位置くらいしか知らないんだ」
「そっか。大抵の店は八時で軒並み閉まるから、意外と早いんだよね。あと、のんびり居られる店が少ない。飲み屋は多いけど」
 話しながらも、私は真隣にある金色の頭が気になる。
「小さいな、き…」
「んだとゴラァああああ!」
逆鱗に触れたのだろう、言葉を遮っていきなり弾けたように乱暴な声が上がる。驚いたが面白くて柄の悪さを凝視してしまう。
「オレ様の厚意で!付き合ってやろうってのにテメーは!」
「頭。小さいな。頭というか顔が」
「……まあ、顔はな?アイドルサイズだからな?」
やはり身長は気にしていたようだが、『小さい』の単語が何を指しているかを確認する前に爆発するのはどうだろうか。睨み上げる目付きなんか特にどこがアイドルかと聞き返しそうになるくらいの鋭さで。なんとか収まってくれたが今後は言葉を選んだ方が良さそうだ。
(背は小さいが、顔も小さいからバランスが取れているのかな)
…なんて。口にしたら言い終わる前にあのハイキックを食らわされて、その辺のゴミ捨て場に置いて行かれそうだから言えないけれど。彼なら何かあっても大丈夫そうだなと、今頃ミサトさんの言葉が頭の中を過った。


 ファミレスは混んでいたが、あまり待たずに席に着けた。待っている間にエドワードはメニューを決めていて、私にも何を頼むかとしつこく確認していた。座るや否や注文を伝え、強制的にドリンクバーも二つ頼む。
「ここ、夜は時間かかるから先手必勝で。とりあえずドリンクバー必須」
店員が戻って行くとそっと耳打ちされた。慣れているようだ。
 並んで飲み物を取りに行く。私は温かいコーヒー。エドワードはジンジャーエールをコップになみなみと注いだ。
「そんじゃ、お疲れ様!」
「お疲れ様」
何もしていないけど、と言う彼に一戦交えたじゃないかと言うと、そうだっけ?なんて、もうどうでも良いような感じだ。
「そう言えば、私達に声をかけたのはどうしてだ?客引きは店の前だけとか、厳しいルールがあるんじゃないのか?」
「だってさ、倒産したメイドキャバの前で、どう見ても接待ですってサラリーマンのグループが居て、困った顔してたり必死にどこかに電話してたらカモにしか見えねえだろ」
「まあそうだが」
「オレはレタスさえ買って戻ればミッション終了だけど、帰るだけだったらちょっと人助けしたっていいだろ?」
「助かったのはまあ助かったが、カモか」
どうだと自慢げな顔にツッコミはあったのだが、料理の皿が運ばれてきたので中断した。
 エドワードはオムライスとフライの盛り合わせという重めの選択。私はデミグラスソースの誘惑と戦って、比較的軽いと思われた煮込みうどんを。食べ始めるとお互い口数は少なくなるが、会話が途切れる事は無かった。
「結局、君がどうしてキャストの制服を着ているのか聞き損ねてしまった」
 社長はエドワード自身の事を根掘り葉掘り聞くよりも飼い犬の自慢を始終優先させていた。なのでついでも無く何も聞けなかったんだ。
「特に意味はないよ。心は女なのかとか女装趣味なのかとか、想像力豊かな奴に色々憶測で言われるけど、強いて言うならオレ様は何でも似合ってしまう罪深い存在だからな。生まれ持ったアイドル気質っつうか、何人たりとも放っておけない溢れ出るカリスマ性を隠しては生きていかれない悲劇の体質が…」
わざわざフォークを置いて謎のポーズを作って見せつけるので、無視してうどんを啜る。
「………あち。卵が…」
「聞けって。ここからがいいとこだから聞けって」
 エドワードが幼なじみと弟と三人でこの街に遊びにきた時に、柄の悪そうな男達に絡まれているメイドを助けたのだそうだ。それがあの店のキャストだった。その縁でエドワードはバイトを始めたのだと言う。
 最初は黒ベストに蝶ネクタイの一般的なボーイの服を着ていたが、キャストの足りない時におふざけで女装をして入ったら人気になってしまった。という話を面白おかしく自分を格好良く語ってくれた。自画自賛の部分はかなり盛っているとわかるが敢えて突っ込まない。
「オレがナンバーワンになっちゃうとキャストさんがつまらねえだろ?だからあくまでもボーイでヘルプ」
「女だと嘘を吐いて接客をしても?」
「嘘付いてないよ。別に女だって言ってねえし、女っぽくする必要も無い」
「ならあの『おにーちゃーん』と呼ぶのは?あざとく無いか」
「あれか。一々客の名前覚えてらんねえから、全員まとめて『お兄ちゃん』って呼んでるだけだ。嘘くさくてあざとくていいだろ?」
「随分と合理的だな」
 媚や色気でなく合理的な対処法であった。そして頼んでいるカクテルが同じなのも『ロングで一番高いから』という選択。と、言う事は。
「君は成人済みなのか。大学生で、十八くらいが私の予想だったが」
「んーまあ、そんなとこかなー」
饒舌な彼が濁すと言う事は、予想通り十八か十九か。店で酒を飲んでいるなら正直には言えないだろう。
「そこは詮索しないほうが良いみたいだな」
「あんたは話が早くて助かる。選択肢を残して夢を与えておかないとな」
 エドワードは大きな口でオムライスを端から平らげてゆく。スプーンで掬って消えて行く様は見ていてとても気持がいい。私もつられて箸が進んでしまう。ふと、こちらをじっと見つめる視線に気付く。
「煮込みうどん国のなるとが、オレのオムライス国に亡命したいって声が聞こえる」
「欲しいなら欲しいと言えば良い」
なるとをオムライスの上に乗せてやると、ここに座って良いのは国旗だけだとか意味不明の事を言いながらスプーンに乗せて嬉しそうに食べた。エドワードは感覚が独特でちょっと面白い。
「マスタングさんの隣に居た、犬みたいな兄さんは社長の部下?」
「いや、ハボックは私の部下だ。犬っぽいか、やはり」
「人が良さそうだな。そんで、ああいうのはミサトさんのタイプ。垂れ目で押しが弱くて胸板が厚い系」
「教えたら喜ぶと思うぞ。彼女と楽しそうに話をしてたからな」
「ま、うちの店に来てミサトさんが嫌だって客は居ないけどねー」
「君もああいった子が好みか」
なんとなく聞いただけだが、うーん、とエドワードは考え込んでしまった。
「ぶっちゃけ、あの店の中で一番メイド服が似合ってるのはオレだと思ってる」
「そうですか」
ずれた答えを真顔で返される。本当にそうだと思っているようだし、あまりにも自信に満ち溢れているので押されて私も一番かななんて思ってしまった。
「あんたこそ。オレの好みばっかり聞いてさ、既にオレに惚れちゃってるんじゃねえの?」
「ははは。そりゃ面白い」
「可愛くねえなあ。オレの事が好きで好きでファンクラブ作るとか言ってる奴まで居るってのに」
今日会ったばかりの相手に惚れたかと聞かれても笑うしか無い。相手は随分と年下だし、それに男だ。少女のように見える容姿も恋愛対象からは遠い。
「あれか。マスタングさんはキャバには来るけど水商売してる人はNGみたいな」
「ホステスだから付き合わないという事では無いよ。それ以前に君は男じゃないか」
「キャバクラは行く?」
「裏を知っていると相手をさせるのが申し訳無くってしまうんだ。勿論、商売である以上は客が居ないと成り立たない事も分かってはいるんだが」
「お。もしかして柔道以外も経験者とか」
「育ての親が酒を飲む店をやっていた。裏の苦労は並大抵ではないだろうと」
「へー。マスタングさんがホストとかやってたんだと思って期待したのに」
「馬鹿言え。華も無い私にそんな芸当が出来るように見えるか?」
「そうかな、十分華があると思うけど。なんつうか、それ以上にあんたの前には他人との間にバリアーが見えるから。あっち側で笑ってる感じ」
白い指で四角を作って見せる。バリアーというよりもファインダーだ。だが言葉にどきりとした。一瞬止まった箸を誤摩化すように、食事を進める。
「一見上手く笑えてても、内側には入れてくれないって感じ。ソツが無い。向いてはないけど上手く接客できる。みたいな」
「ほっとけ。君はカウンセラーか何かか?」
「そういうのも面白いかもな。参ったねー才能に溢れてるとさー」
にやにやと笑って再び食事に戻る。ふてぶてしい笑いと射抜くような瞳に、見透かされているようで変な汗がじわりと滲んだ。
 食事を食べ終えても時間は二時間たっぷりと残っている。やはりドリンクバーは必須であった。ふあ。とエドワードが大きなあくびをして、私もつられる。
「オレのが移った」
エドワードは楽しそうに笑う。なんだか不思議な子だ。
「いつも君はここで始発を待っているのかい?」
「飯はたまに食うけど、いつもじゃない。自転車の時は自転車で、時間ある時は歩いて帰る」
「なら先に帰るか。始発まで付き合わせてしまうのは申し訳ない。ここに連れて来てもらっただけでもありがたいよ。もし送った方が良ければ途中まで送るが」
「なんだよ冷たいな。オレと一緒に居るのは嫌か」
「そんな。寧ろ店の裏ナンバーワンの君と一緒だなんて、初めて店に来た客としては光栄な事だと」
ふざけて大げさに頭を下げてやると、『裏ナンバーワン』という胡散臭い称号が気に入ったのか苦しゅう無いぞと演技がかった様子で笑う。
「この礼は、また店に来てしっかり払ってくれればいいよ。そんでオレに奢ってくれ!」

 腹一杯になって、血糖値の上がった頭は何も働かない。そこへ深夜の眠気が襲いかかる。
「ひひひ。マスタングさん眠そう」
目の前のエドワードも焦点が定まっておらず、ぼんやりしている。
「君だって」
おでこをぐりぐりと指で押してやると、笑ったまま抵抗する。昔、近所にいた人懐こい野良猫がこんな感じだった。とても似ている。
 時計を見ると始発まで僅かに時間があり、私達はだらだらとどうでもいい会話で時間を潰す。この贅沢な時間が学生の頃に戻ったようで懐かしく、とても楽しい。

 そろそろ良いだろうと会計を済ませ外へ出ると、空は明るくなっていた。同じように、始発電車を目指す人達が駅に向かって流れて行く。
「店に来る前に先にメールしてよ。何時が空いてるとか、オレが出てる日だったらすぐ返せるから」
それは店に問い合わせれば良いような気がするのだが、勢いに押されてしまった。私達は互いの連絡先を交換した。
「付き合ってくれてありがとう。気をつけて帰るんだぞ」
「マスタングさんも。じゃあまたなー」
今日会ったばかりなのに、私達は友達のように別れた。次に会える保証も無く約束もしていないのに、何故だかすぐに会うような気持ちになっていた。

 始発で帰るのは久しぶりだ。夜を過ごした人は疲れて見えるし、これから出かける人は元気に見える。きっと私の思い込みだ。
(…何だか、不思議な子だったなあ)
名前はどうやら本名の様だが、年齢や身の上などは遠慮して聞かなかった。あちらも私の個人情報を探るような会話の進め方はしなかった。接客に慣れた者の気遣いだろうか。そのくせ、心の奥に射し入るような言葉は残した。

『あんたの前には他人との間にバリアーが見えるから。あっち側で笑ってる感じ』

彼が知る筈も無い。あれは昔、付き合っていた女性に言われた言葉そのままだった。
『あなたは最後まで私に心を開いてくれなかった』
そんな事を言われても、自分なりに信用して、仲良く過ごして来たつもりだった。愛想が足り無いのだろうかと優しくしたが、それも違ったらしい。結局別れてしまった。少しだけだが結婚も視野に入れていた相手だったのに、彼女が居ない生活はちっとも寂しく無くて、別れなんてこんな物だと再確認しただけだった。
 これでも、人当たりの良い顔で初対面の相手と良好な関係を築ける自信がある。腹を割って話す必要があるならば、相手のプライドを傷つけない程度に言葉を選んで話し合いをし、和解にまで持って行ける技術だってある。嘘を吐いている訳では無い。誠意を尽くし、相手の求める言葉を自分の中から取り出しているのだから。
 一応、親友と呼べる付き合いの長い友も居る。学生時代からの同期で、最近、娘が可愛過ぎるからと飲みに行く頻度は減ったが、たまに娘自慢を聞きに遊びに行っている。
 そもそも、何でも言葉にするなんて人間関係の中で必要か?、余計な事は言わないに越した事は無い。件の彼女とだって、思った事は言えと言われ仕方無く馬鹿正直に告げて怒らせた事もあった。
 人と人は、前提として『違う』のだ。違う事は悪い事ではない。何でもシンパシーがあれば良い訳ではない。この世の人間が同じ考えだったら争いはもっと多発するだろうし、文化だって発展しないのではないかと思う。仲良くやっていきたいなら、お互いを思いやって優しい言葉を選んでも良いのではないか。
 彼の言葉に腹を立てている訳でない。彼も私の態度を責めたくて言っているのではなく、見つけたままを言葉にしたのだろうと予測が着くからだ。
 表面でなく、内側に直接触れる距離感はとても失礼になりかねないのに、なぜかとても心地良かった。これから戻れば帰宅は六時くらいか。昼夜逆転になってしまいそうだが、今日は帰宅したらぐっすり眠れそうだ。



 店に行く機会はすぐに訪れた。月曜日に社長から次の誘いがあったからだ。私とハボックは同行決定だろう。何かあった時に代役として他の社員を向かわせようか考えたが、それは三回目以降でも良さそうだ。
 社長は特に誰が目当てという事でも無い様だが、エドワードが盛り上げ、聞き上手なミサトさんが居る雰囲気をいたく気に入っていたので先に確認する事にした。一応、家に戻ってからエドワードにお礼のメールは一本送っておいた。返事は無かったが、特に気にしていなかった。相手に届いていると仮定する。
(こんにちは。今週、君とミサトさんが出勤していて、そこそこ余裕のある時間帯はありますか?。社長がまた店に行きたいとの事で、現在日程を調整しています…)
昼に送ったメールは、夕方に返事が来た。エドワードとミサトさんの予定では水曜日と金曜日が被っているようであった。この状態で報告すれば必ず水曜日に決まるのは見えていたので、金曜日の予約を入れましたと社長に伝えておいた。


 金曜日。先週無駄に往復したおかげで、道を迷わずに店へ辿り着けた。
「今日はね、またミサトさんに見て欲しくて新しいアルバムを持って来たんだよ」
社長は新しく作った飼い犬のアルバムを持参している。前に見せて貰ったものは、差分程度の同じようなアングルの写真が並んだものだった。今回もきっとそんな感じなのだろうな。
「お帰りなさいませ〜、ご主人様っ!」
 店に入ると特徴的な挨拶に迎えられる。もう驚かないぞ。席に通されるが、ミサトさんはまだ他の席で接客中との事。待っている間に他の女の子が席についた。
「初めましてごしゅじんさまっ!。レナって言いますう」
高い声と舌足らずな発音、幼く見せようとする髪型。しかしメイクは濃い。分かり易い『電気街のメイド』の典型的な女性に、社長も嬉しそうにアルバムを握って待機している。
「ミサトさんはまだ接客中なので、少し待って下さい。その間は、レナが目一杯お話しますからねっ!」
「今晩はレナさん。レナさんは動物は好き?こちらの社長さんは大の犬好きで、メメちゃんって名前のポメラニアンを飼ってるんだ」
笑顔で一息に告げて、今回の趣旨を説明する。これで大抵の子は『社長の接待で来ていて、この社長と犬の話をして欲しい』と理解してくれる。伝わらなければその後も誘導すればいい。相手に選択肢が無いのは申し訳ないが、短い時間を穏便に過ごすにはいくらか強引な手を使った方が良い時もある。
「わあ〜!。ワンちゃん可愛いですねえ〜〜」
アルバムを見せられた反応は、安心出来るものだった。私とハボックは運ばれて来たビールに口を付ける。さて。これで二十分は安泰だ。
「また、我々に女の子は着かないんですかね」
「欲しいか?」
「まあ、無ければ無くても、もう良いかなって思い始めてますが…」
「お待たせしましたオレ!参上!」
諦め気味のハボックの前に、謎の登場ポーズと共にタイミング良くエドワードが現れた。前見た時と同じフリルたっぷりのメイド服。気付かなかったが靴も可愛らしいものに合わせている。
「あー。お前か」
「はいはいちょっとご免よ〜」
ハボックの落胆など一向に気にせず、エドワードは私とハボックの間に無理矢理隙間を作って挟まった。
「狭い!」
「隣に座ればいいじゃないか」
「オレと近かったら嬉しいだろ?。なあ、何か頼んでいいか」
「どうぞ」
「じゃあいつものー」
そういえば、店に入った時にエドワードは見当たらなかった。今日はずっと裏に居るのだと言う。
「本当は表に出る日じゃないけど、あんた達が来るって言うからわざわざこの格好してんだぜ?見ろよ新しい髪型!。オレの可憐さを最大限に引き出してるだろ」
前は髪の毛を二つに分けて高い位置にツーテイルにして括っていた。今夜はサイドの髪だけを掬っていて、これをツーサイドアップと呼ぶのだそうだ。
「ツインテールとかハーフツインテールって言う奴もいるけどさ、それじゃ怪獣だよなーって」
「グドンの好物だな」
「エビの味だ」
三人の世代はかなり違うのだが見解は一致し、うんうんと頷いて謎の連帯感が生まれる。ちなみに、ツインテールとはウルトラマンシリーズに出て来る怪獣の名である。
「ミサトさんのお客さんがさ、話の長い人なんだ。だからもうちょっとだけ待ってくれ」
「大丈夫だよ。レナさんが社長の相手をしてくれているから」
隣を見ると、流石に同じ犬の写真ばかりで辛くなったのかレナさんは少し退屈そうにしている。こちらの会話に混ざる切っ掛けを探していたのか、ずい。と体を乗り出して向き直った。
「今、ミサトさんが相手してる方はね、ちょっと変わってるんですよ〜」
勿体ぶった話し方は、その先を聞きたいでしょう?と続く勢い。そのままこちらが先を促さなくても先に進んだ。
「ブラジャー着けるのが趣味なんですって!やだ〜〜!」
嬉しそうにきゃあきゃあと盛り上がっているが、犬の話をしていた社長も我々も置いてけぼりである。彼女にとっては『とても衝撃的で盛り上がる話題』なのだろう。
「それさあ、前も言ったけど、別にいいじゃん」
エドワードが不機嫌を隠さずに釘を刺す。
「え〜〜、だって、男なのにブラジャーだよ?」
「ブラジャー着けて誰かに迷惑かかんのかよ。あと、他の客をネタにするのは駄目だからな。この間も怒られてたじゃねえか」
エドワードはレナさんよりも年下だと思われるのだが、ぴしゃりと言い放ちその話題は終わった。エドワードはまた裏が忙しいと戻ってしまい、席の空気は少し微妙だ。
 仕方が無いので私が社長の会話に加わり、雰囲気を収め犬の話に軌道修正をかけた。すまないね。もう飽きたかもしれないが君の今日の仕事は『犬の話』なんだ。もう少し、もう少しだけ頑張ってくれ。こんな場所でもなければ社長の犬談義に付き合ってくれる相手はそう居ないんだ。

「お待たせしてしまってすみません。こんばんは、ミサトです」
アルバムの話題も四周目に差し掛かろうとした所で、ミサトさんがやって来た。これぞ助け舟とばかりにレナさんは戻って行った。本当はペットや犬に興味が無かったかもしれない。お疲れ様でした。
「初めまして。本日は私もご一緒させていただきます」
ミサトさんの後ろからぺこりと頭を下げたのは、眼鏡をかけた大人しそうな女性。名前は『ひらがなで、きょん』だと念を押される。
「きょんちゃんって呼んで下さいご主人様!」
そして、新しい相手に一から愛犬の説明を始める社長。少し前にもレナさんに同じ話をしていたが、これは流石に飽きないのだろうか。まあ、本人が楽しそうだからいいのだろうきっと。
「さっきエドが見えた気がしたんですが…?」
ミサトさんの居た席からここは見え辛い。気にかけてくれていたのだろうか。
「居ましたが、忙しいと裏へ戻って行きましたよ」
「今日はバックヤードだけど、マスタングさん達が来るからってわざわざ着替えて、楽しそうにしてたんですよ」
「へえ。課長、随分と好かれてるんですね」
先週のトラブルと始発まで一緒に過ごした件は誰にも話していない。特に必要がなかったからだ。
「そういや、ブラジャーのお客さんは帰ったんですか?」
止せばいいのに、ハボックが埋めた話を掘り返した。こいつの悪い所は『悪気が無い』所だ。良く知った間柄なら笑って流せるが、知らなければ無神経としか映らない。
「ええ、やだなあ。そんなお話してたんですか?」
「さっきのレナちゃんて子が」
ミサトさんは困ったように笑ったが、察したようだった。
「他のご主人様のお話は、ダメ。ですよ」
人差し指で×を作ってハボックに微笑むと、ハボックの垂れ目が更に垂れた。こういった対人スキルはここでしか使えず、また効果の絶大な魔法のようなものだ。
「私は、着たいものを着たらいいと思います!」
犬の話からきょんちゃん(※ちゃん付けは本人の希望による)が突っ込んで来た。ミサトさんが塞いだ穴は再び味方により開けられてしまった。これは思わぬ伏兵だ。
「本人が好きで着てるならいいと思うんだけど、嫌だって言う子が多いからびっくり。好みはあるから好きなのも自由だし嫌いなのも自由だけど、他人にジャッジされる理由なんて無いなあって。あっでも、フリルがついてるやつはシャツに干渉してシルエットがゴワゴワしちゃうから、表に出る時はシンプルなデザインのものにして、家ではフリルいっぱいついてるのを着たらいいんじゃないかなって思います!。これも勝手な意見なんですが!」
先程までの聞き上手は社長に合わせていたのだろう、急に饒舌になった。きょんちゃんに一通り話をして満足したのか、社長がトイレに立ってしまった。ますます話題は止まらない。
「えーと、女性用の下着ですよね?ちょっと俺は分かんないなー」
「いえ、『男性用』ブラジャーです。ちゃんとサイズもあって、デザインとか種類も沢山あって…」
ハボック相手に丁寧な説明が続く。双方に納得が行くまで会話が終わりそうも無い。ちょっと進路を変えてやろう。
「ハボックなら着けられるんじゃないか?ブラジャー。余裕でBカップくらいはあるだろ」
「課長!」
「お前、社員旅行の時にブレダと一緒に脱いで筋肉自慢してたじゃないか」
「違いますよ、あれは酔っぱらって…」
女性二人の目の色が変わった。ハボックは趣味が筋トレとスポーツで、効率の良い鍛え方の話をよくしている。同性から見ても体躯には恵まれていると思う。ハボック。お前が掘り返したのだから、身を持って収めて来い。
「触っていいですよ。こいつ筋肉自慢なんで。上司の私が許可します」
「えっ、えっ。いいんですか?」
「やった!。ハボックさん、体格いいなあって思ってたんですよ!」
積極的なきょんちゃんと、控えめながら既に手が出そうなミサトさん。二人がハボックに食いついた所で、私は社長の次の飲み物や帰りの時間などを確認する。
「では、僭越ながらオレから」
いつの間にか、飲み物を運んで来たエドワードがハボックの前にしゃがんで両手を突き出し、胸を揉んでいる。
「どうしてお前が参加するんだよ!」
「サトミさん、きょんちゃん。この人相当鍛えてるよ!。すげーなあ。腕も太いなあ」
「わああ!」
「わあああああ!」
火に油をたっぷり注いで、エドワードは私の隣に座った。それはもう楽しそうにニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべている。
「お前、酷いな」
「あんたに言われたくねえよ。それよりさ、マスタングさんは?」
「へ?」
失礼!と言ったと同時にエドワードが胸元に突っ込んで来て抱きついた。
「おお。鍛えてるんじゃないかなーとは思ってたけど、なかなか…」
「君、女装も含めて男に興味があるんじゃないのか?」
「オレはそういうの拘らないだけだ。なあ、筋肉って触りたくならねえか?」
「まあ、レスラーの体とかは触ってみたいと思うが。私はそこまで鍛えてもいないぞ」
「いや、スーツ着ててもそういうのは分かるんだって。柔道続けてる時点で鍛えてそうだとは思ったけど。体脂肪率低そー」
いつまでも胸や背中を撫でているので押し剥がした。ハボックは相当に弄ばれたようで、逃げ腰になっている。
「いいものを触ったわ」
「ありがとうございました!」
「い、いえ、お粗末様でした…」
堪能し満足顔の二人と、狼に嬲られた子兎のような憔悴顔のハボックが一緒に頭を下げている姿が可笑しいが我慢する。さあお前もかい?とばかりに狼二人の視線がこちらに向いたが、戻って来た社長の世話を焼く事で隙が無くなり、二次被害には遭わなかった。
 ハボックは隣で酷い酷いとブツブツ繰り返している。若く可愛らしい女性に触られたいが、意図しない形では触れられたくないという複雑な心境は理解出来る。だが、女心に疎いお前だからこそ、これくらい攻めても良いと思うぞ。
「お前のせいだぞエドワード!」
「オレじゃなくてマスタングさんだろ!それ反則!反則っ!」
ハボックにチョークスリーパーを決められ、エドワードは腕をタップしている。この二人は気が合いそうだと直感する。放っておいたらずっと筋肉やトレーニングの話をしていそうだ。
「じゃあもーしょうがねえなあ。オレも触っていいから!」
バンザイ!と両手を上げて、胸を触って良いと言う。
「遠慮する」
「結構だ」
エドワードの申し出は、私とハボックの声が重なる程のタイミングで拒否される。
「何でだよ!触れよ!」
「お前は触られたいのか」
「オレもかなり鍛えてるんだけど!なかなか質の良い上腕二頭筋とか腹筋とか、各種取り揃えてるんだけど!」
「触られたいのは俺にでなく課長にだろ」
エドワードは私の手を掴み、無理矢理に胸元を触らせようとする。端から見ればセクハラ極まりない。人はどうして、触るなといわれると触りたくなるのに、触れと言われると触りたくなくなるのだろう。全力で拒否した。

 そうこう遊んでいるうちに、社長の帰る時間となった。
「君達は残って飲んで行っていいよ。私が出しておくから」
申し出はありがたいが、体力を温存したいので遠慮した。ハボックも電車の時間を確認している。会計を済ませ、ミサトさんとエドワードが見送りの為に一緒に入り口までついて来た。エドワードが後ろからぺしっと私の腰を叩く。
「…分かってるよ」
顔は向けずに、彼だけに聞こえる小さな声で答えた。
「それでは、行ってらっしゃいませご主人様。またのご帰宅をお待ちしております」
深々と下がるお辞儀に社長がありがとうと手を振る。目の前のドアが閉まりきらびやかな明かりを消した。
「今日は余裕を持って帰れそうです。いやー良かった」
「うん。新しいアルバムを持って来て良かったよ。楽しかったなあ」
帰り道は酒も入って足取りが軽い。社長もハボックも楽しかったようなので、今日も成功という事だろう。
 駅に到着し社長を見送る。相当満足したようなので、暫くの間はこういったお誘いも無いだろう。
「では課長、失礼します」
「ああ。また月曜日に」
ハボックが階段を上がって上のホームに消えて行くのを見送って、私は今来た道を引き返す。改札を出て駅を背にし大通りを真っ直ぐ進むと、先週夜を明かしたファミレスが見えて来た。店内はまだそれほど混雑していない。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「二人です。待ち合わせがあるので」


 席についてコーヒーとパンケーキを注文し、ポケットから紙切れを取り出す。メモを破いたものに乱暴な文字で『0時までに上がるから、ファミレスで先に席取っといて!。エドワード』と書かれている。私に抱きついた時に、予め用意しておいたこれを忍ばせたのだろう。連絡ならメールを打てばいいのに。
(ああ、そうか)
メールだと断られてしまう可能性がある。しかし、紙切れを忍ばせるだけでは確実ではない。帰り際にポケットの上を叩いて気付かせようとしていたが、それでも気がつかなかったらどうするつもりだったのだろう。あの時は既にメモを読んだ後だったので問題は無かったが。
 運ばれて来たパンケーキを食べながら考える。彼にとってこれはお遊びで、相手が気付いて暇があれば叶う小さな秘密。という程度のものなのかもしれない。
(まあ、腹が減っていたし家に戻っても何も無いから、結局途中で何か食べる事には変わらないが)
私が遊ばれただけで、彼が来ないという可能性だってある。しかし何故か彼は必ず来るような気がしていた。
 三十分ほど待つと、予定の時間から少し遅れてエドワードが到着した。
「ごめん!出て来るのに手間取って」
「お疲れ。まず注文を頼むのだろう?」
「ドリンクバーとチキングリル季節の温野菜添えをセットで。あ、マスタングさんはパンケーキ食べたのか。いいなー」
「待ち時間に腹が減ってしまってね。私は野菜のスープとパンを頼もう」
エドワードはメイド姿でなく私服だ。勤務は終わっているので当たり前だが、こちらの格好の方が珍しく感じてしまう。見ている時間は同じようなものなのに、最初の印象が強過ぎたのだ。大きな斜めがけの鞄は本が入っているのか重そうで、これを下げて走って来たなら大変だったろうに。
「約束ならメモでなく、メールを寄越したらいい。事前にだってやり取りをしていたのだから、先に決めておいた方が確実だろ。私が気付かなかったらどうするつもりだったんだ」
「あんたは絶対に気付いてくれるって思ってたから」
甘えているような図々しい押しの強さは、接客業の中で培ったものなのか、それとも彼の中に元からある素質なのか。
「今日さあ、始発まで居る?」
「先週より早いから、間に合うなら終電で帰ろうかと。君は?」
「んー、どうしようかなー」
「私と過ごしたくて呼んだんだろ?」
からかうように告げてやると、エドワードの頬が赤くなった気がした。
「別に、そういうんじゃねえけど。この間奢ってくれるって言ってたから」
「ああ。店での事だとばかり…」
「オレはここで奢ってくれればいいかなって思ってたんだけど。なんだ。勘違いだったのか」
「店に戻るか?」
「いや、戻らない!腹が減ったし!」
 ファミレスは日付が変わった辺りから一気に客が増えた。先に入って席を取っておいて良かった。運ばれて来た食事をのんびりと食べていると、エドワードがそわそわし始める。
「マスタングさん、終電は?」
「君が居て欲しそうにしてるから、帰れなくなってしまった」
甘える子供に合わせて、私も彼に甘えてみた。今度は目の錯覚とは思えないくらい、エドワードの顔が真っ赤になる。
「あんた、そういうのタラシって言うんだぞ」
「君をたらしてどうするんだ」
冷たく突き放すが、彼が私を信用してくれている事がとても嬉しい。照れる程度には懐いてくれているのが、とてもとても嬉しい。
「トマト、欲しいな」
「いーよ。あげる」
先に食べ終えてしまうと暇で、エドワードを眺めながら彼の皿を彩るプチトマトを強奪する。
「マスタングさんは好き嫌いとかあんの?」
「私は特に無い。君は何でも食べそうだね」
「まあね。唯一好きじゃないのは牛乳くらいかな」
「……へえ」
「それ以上言ったら隙見て掌底食らわすぞ」
こちらが言いたい言葉は先に察知されてしまった。攻撃を食らわないよう飲み込んでおく。
「バイトは水曜日と金曜日?」
「変更してもらったりもするけど、水金は殆ど出てる。水曜日は客も少ないけどキャストも少ないから、裏方と掛け持ちで、土曜日は殆ど裏だな。マスタングさんは接待以外で店に遊びに来る気ない?」
「平日の夜に早く退社するのは難しいな。社長の接待の時は仕方無く切り上げているが」
「そっかー。来たらオレがサービスしてやるのに」
「考えておくよ」

 食事を終えた後は、また始発までの時間をだらだらとどうでも良い事ばかりを話題にした。最初に席に着いてくれたレナさんも悪気があった訳でないが、自覚が無い分困っているとか、その後の皆でハボックを触っていた姿の方が見つかったら怒られるとか。
「ブラジャーの件は、あれは性癖だから仕方無いよなあ。下着つけた自分に興奮してるんだから迷惑かけて無いじゃん。むしろエコ。次世代のクールビズ。本人も隠してないし」
酒の好みから、お握りの具は何が好きかとか、本当に他愛無い。身の無い話題を選んだというよりも、そんなどうでも良い話題で盛り上がれる。エドワードと私の選ぶものは違う。なのに、選んでいる理由は同じだったりする。その差が興味深い。
「君と居ると学生時代を思い出すよ。こうしてだらだらと時間を潰す為に話をした。今思うと、『贅沢』だった。時間をたっぷりと使って暇を持て余すなんて」
「体力と時間がある時は、オレが付き合ってやってもいいよ」
「偉そうに」
頭をぐりぐりと撫でてやると、目を細めて笑う。彼は人に触れられる事を嫌がらないので、ついじゃれてしまう。年の離れた生意気な弟がいたらこんな感じかと考えたが、そもそも血の繋がった相手にこんなに甘えられるものだろうか。他人だからこその距離感なのかもしれない。それは私にも言える。


 店を出ると空は朝焼けが残っていて、ビルの隙間から覗く端は薄く曇ったピンク色だ。夜の間は饒舌であったが隣を歩くエドワードも流石に眠たそうで、大きなあくびをしている。
「なあ。エドワードはファミレスで良かったのか?」
「ん?今日のおごり?。オレはパフェまで食って満足だけど」
「君との食事だったら、もっと早い時間にしっかり食べられる店を選んでもよかったな、と。今更だが」
「!」
「土日か、平日は可能性が低いが、早くても八時くらいからしか待ち合わせできないが…」
「土曜の午後からと、日曜日は空いてる。あと、運が良ければ水曜日も空くかも。あ、でも水曜日は店だった」
「なら、現実的なのは土日か」
「どこ行こう。何食べよう!。なあ、何時にしようか。あっ、なら今日の支払いは返すから」
駅の改札の前で、ポケットから財布やらスマホを出し落ち着かない。別れる前に約束を取り付けようとしている。
「そんな焦らなくても逃げないよ」
「分かんねえだろ。気が変わるかもしれないし」
「君から見て、私は約束を破るような男に見えるか?」
「見えないけど!。じゃあまたメールするから」
「気をつけて帰れよ。エドワード」
手を振るとエドワードが、あ。と何かを思い付いた顔をした。
「またな。ロイさん!」
照れた笑顔で大きく手を振って、走って階段の奥へと消えて行った。
 
 彼は私との距離を詰めたいと思っているらしい。何か訳があるのだろうが金銭絡みでない事を祈りたい。私は彼から渡されたメモをポケットから取り出した。
(こんな、古典的な方法に絆されてしまうなんて私らしくない…)
彼からのメモを見た瞬間、体温が上がった。ときめきにも似た甘い感情。どんな思惑があるにしろ、彼の物理的な戦法はじわじわと効いている。悔しいが、それは事実だった。



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