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 好きな物は好き。嫌いな物は嫌い。何とも思わない物はどうでもいい。他人が何を好きであろうと勝手にしたら良い。全てを理解し合える訳も無いのだから、少しでも違和感を感じたら互いに踏み入れない。笑顔を作って距離を取る事が平和な大人の人付き合いだと私は考えている。

 そんな私が会社のパソコンで幾つも窓を開き見比べているのは、とある電気街に並ぶメイド喫茶のホームページ。メイドに興味があるのは私ではない。念を押しておく、私ではない。
 そもそも、日本のメイド喫茶におけるメイドとは一体何なんだろう。執拗にフリルのついた服。短いスカートに太腿を強調するニーハイソックス。幼さを売りにしているが、同時に性的なアピールもする。
古いイメージにある、髪をまとめ長いスカートで肌は見せず、黙々と屋敷の中で働く姿とは対極のデザイン。幼い子供をアイドルにして好む日本人向けに確立した『ロリータコンプレックスを前提にした様式美』なのだろう…多分。すまないが私はそこに魅力を感じられないのだ。大人になってからは特に、年端の行かない子供が性的アピールを繰り返す姿には胸が痛む。こればかりは好みなので仕方無い。
 ただ、私が好いていないように、これらを好く人達も居る。趣味嗜好というのはそういうものだし、ただただ、それだけの事である。
 メイド喫茶の案内画面はどこもピンク色で目がチカチカする。眉間を摘まんでいると、部下がコーヒーを入れて持って来てくれた。
「マスタング課長。今度の店、決まりましたか?」
「とりあえず三店舗に絞ってみたよ」
部下のハボックも一緒に画面を覗き込む。あー、これ見ました。と言うから、だろうねと返す。
「オレも探してみたんですけど、メイド喫茶って意外と少ないんですね。もっと乱立してるのかと思ってました」
「流行った時期から相当に淘汰されて、独自性で売る店以外は残らなかったらしいよ。これなんて『ご主人様』でなく『殿様』になって城に帰って来るという設定だから、店を出るときに『殿、御武運を!』とか言われるらしい」
「自分の城で飲み食いして支払いが発生するのはキツいっすね。これ、メイドはもう関係ないですよね?」
 事の始まりは先月に遡る。接待の時に取引先の社長が『次はメイド喫茶に行きたい』と言い出した。このご時世に接待を喜ぶのは一定以上の年齢層の人達だけだ。飲む事がコミニュケーションだと信じて疑わない世代。そうやって仕事をして来た人達にはそのやり方にこちらが合わせるしかない。
 メイドブームも去って久しいのに何を言い出すのかと冗談に思っていたら、相手は本気だった。何かと懇意にしてくれる得意先だ。無下にする訳にもいかない。どうしようかと迷っていた矢先、先日の打ち合わせの時にもつつかれてしまった。本人はもう行く気になっていて楽しみにしているようなので、こちらも観念した。とりあえず連れて行けそうな店を三つほど、保険をかけてハボックと相談しつつ選んでみた。
 一つはバスツアーの客も受け入れる大手のチェーン店。オプションで萌え萌えジャンケンをしてくれるらしい。萌え萌えジャンケンて何だ?あまり知りたくないが気にはなる。
 もう一つは給仕してくれる女性がクラシカルなメイド服を着ているだけの正統派メイド喫茶。安全牌だが、先方の好みとしてはこういった大人しい店だと物足りないだろう。
 最後は酒の飲める大人向けメイドバー。昼間はメイド喫茶だが、夜はほぼキャバクラのシステムのようだ。
「一番目の店みたいな雰囲気を望んでいると思うが、どうかな」
「賑やかな店が好きですもんね。メイド服着たキャバじゃだめなんですかねえ」
「違うらしいよ。よくわからんが。それにメイドキャバクラよりはメイド喫茶の方が店を色々と選べそうだ」
 人の好みは十人十色。とはよく言ったものだ。私は地図と連絡先、定休日をまとめてファイルを閉じた。




 接待の当日。これからメイド喫茶に行く事は部内の人間は皆知っているので、にやにやしながら見送られる。『代わって欲しいくらいですが、いってらっしゃい』なんて送り出されて少々心地悪い。本当に代わって欲しいと思っているのは私だ。いい年をしてメイド喫茶デビューなんて。仕事とは言え恥ずかしい。
 ハボックを連れていつもより早く会社を出て、約束の時間より少し前に先方との待ち合わせ場所へ。そのまま店のある電気街へ移動する。
 賑やかなのはいつもなのか週末の夜だからか。私個人はこの町に縁が無かった為、調べた以上の知識は無い。大きく飾られたアニメキャラの看板や大勢の外国人観光客。駅前から待機しているチラシ配りのメイドなど、カラフルで雑多な雰囲気はとても独特で、スーツ姿の我々は浮いてやしないだろうか。溶け込むつもりも無いが、余計な心配が浮かんでしまう。
「昔はこんな色とりどりの街じゃなくてねえ。ぶっきらぼうな機械部品の店ばっかりで…」
社長の昔話に相槌を打ちながら、道を確認する。店まではそれほど遠く無いし、適当に遊んで早めに帰れる。そんな算段の中で今日はゆっくり風呂に浸かろうと心に決めていた。


「…どうしましょうか」
 改札を出て一時間後。私達は表通りから二本中に入った薄暗い路上に居た。ハボックのたれ目が更に下がる。事前の確認で『混雑は無い』と聞いていたのに、第一候補の店は目一杯の客で埋まっており、私達は入る事すら叶わなかった。
 二番目は先方があまりお気に召さない様子。これは想定内なのでよしとする。
 三番目の店は先日閉店したとの事でシャッターが閉じていた。破産管財人が貼った告示書が生々しい。私の完璧な事前リサーチも、突然の倒産閉店までは読めなかった。ハボックはいつものキャバクラに連絡をして社長お気に入りの女の子が店に出ているかを確認している。
 社長は温厚な人なのでこの程度で機嫌を悪くしたりしないが、結構な距離を歩かせてしまったし何より申し訳無い。車も通らない路上で思案に暮れていると、社長は何時の間にかキャッチに引っかかっていたようで、次の手を必死で探す私達を呼びに来た。
「マスタング君。この子のお店もメイドさんが居るらしいよ」
 見るとメイド服を着てその上から赤いフードを深く被った小柄な女の子が隣に居た。
 ミニ丈のスカートはふわふわに膨らみ、フリルのついた白いエプロンが更にかさを増している。その上から赤いロングパーカー。小柄な彼女にはサイズが大きいのだろう、コートのように見える。真っ直ぐのびた足にはお約束のニーハイソックス。顔はわざとフードで隠しているようだが、容姿は街を歩く女の子達とは一線を画しているのが十分にわかる。手にはスーパーのビニール袋を下げて、その姿はまるでお使いに出た赤ずきんだ。社長はもうでれでれになっている。
「あんたら、そこのメイド喫茶に来たんだろ?残念だけど潰れたよ」
「ホームページにもどこにも書いていなかったから知らなかったんだ」
「そりゃそうだ。夜逃げ同然だったからな」
 遠慮の無い言葉遣いで内部事情を簡単にバラす。ここに来るまでに見てきたメイド達とは少し印象が違う。皆、わざとらしく鼻にかかるような甘い声音で幼さを演出しているようだったから。 
「この人はうちの店に来るって言ってるけど、しょぼくれた男前と、あっちの犬みてえな兄さんも来るか?」
「しょぼ…」
 私とハボックを指差して、どちらが『しょぼくれ』でどちらが『犬』かを明確に告げる。口の悪さに少し苛立った。
「君ね、少しは…」
「まあまあ、いいじゃないか。私はこの子の店に行きたくなったよ。すぐ近くだって言うし、これも縁だよ」
「三人以上なら安くするよ。初回ワンセット三千円!もし喫茶だけならメニュー料金だけでもいいよ」
「なんか大雑把ですね…あ、こっち駄目でした。今夜は店が貸し切りみたいで」
 犬、でなくハボックも参加する。申し訳ないが犬っぽいと常々思っていたので笑いそうになってしまう。ならば私もしょぼくれて見えるのか?。そこは心の棚に一時的に置いておいた。
「よし、じゃあ行こう!」
 元気に歩き出した彼女の後ろを、スーツ姿の三人がついて歩く。細い路地を抜けて再び大通りへ。横断歩道を向こう側に渡って再び薄暗い道を歩く。
「結構歩くじゃないか」
「実はあの店よりも駅からは近い。酔っても帰るのが楽だよ」
言われてみれば駅に少し近づいた気もする。しかし先程よりも暗い裏道を進み、彼女は古いビルへと迷い無く入り階段を上がって行く。おざなりに看板はあったが、暗くてよく読めなかった。騙されていた時の事も考えて頭の中ではシミュレーションが忙しい。
「はい、着いたぞー」
扉を開けると、彼女はくるっとこちらへ向き直る。
「お帰りなさいませ、ご主人様っ!」
オーバーなアクションで入店をアピールする。中は紛れも無くキャバクラだった。安っぽいシャンデリアにえんじ色のソファー。ここがカフェと言われても納得出来ない景色である。大きな看板も無く地味な入り口とは打って変わって、程々に客も入っており賑わっている。
「もう一度、料金の確認を…」
私の言葉を遮ったのは、店の中からの声だった。
「うおおおおおえどちゃあああああああああ」
「おおおおおおおおおかああああわああああああああいいいいいいいい」
 唸るような声が響く。どうやら客らは彼女を待っていたらしい。見れば同じメイド服を着た女の子だってテーブルに着いているのにそっちのけだ。この子は特別なのだろうか。まさかナンバーワン?とか?。
「うるせえ!お前らにゃ勿体ないくらいの女の子達がついてんだから、そっちに集中しやがれ!」
客相手の商売なのにばっさりと切り捨てて、私達を奥のソファー席へと誘導する。
「ちょっと待ってな。今用意すっから」
先にお手拭きとメニューを渡して、彼女は一旦引っ込んだ。『メイドキャバクラでなくメイド喫茶に行きたいんだ』と言っていた当の本人はこれで良いのだろうか。社長の顔を窺う。
「…どういう店なんだろう。私にはキャバクラにしか見えないが」
「キャバクラだけどメイドさんが居るってあの子が言ってたんだよ。エドちゃんて言うのかな。可愛いなあ。家で飼ってるポメラニアンのメメちゃんにすごく似てるよ」
社長がめろめろになった訳の一つが分かった。隙あらば自作のアルバムでお披露目されるペットの犬に似た感じだ。小さくて目がくりっとしていて、淡い毛色とふわふわのシルエット。それでいてどんな相手にもケンカをふっかける、気が強いだけでなく酷く凶暴らしいという噂のメメちゃん。私もハボックも散々その写真を見ているので納得してしまった。
 暫くして、エドと呼ばれていた子よりもすらりと背の高い女の子がやって来た。顔は大人びた印象でセミロングの髪は濃い茶で清楚な雰囲気。ミニスカメイド服よりもクラシックな衣装が似合いそうだ。
「初めましてこんばんは。多分、お店の細かい料金とか、下手したらこの店の名前も聞いてないんじゃないですか?」
「ええ。半ば強引に決められた感じで」
「ごめんなさいね。彼、悪気は無いの。私はミサトです。宜しくお願いします」
 丁寧な言葉とはっきりとした発音で、賑やかな店内でもよく聞き取れる。メニューも待っている間に確認したが、まあまあ良心的な価格だ。
「安めなのはこの立地と、ちょっと常連さんが多いからなんですよ。ほら、一見さんが入りにくいでしょ。だからたまにお客さんを外から…」
「ねえねえ、あの子はここへ着かないの?」
説明の途中なのにしびれを切らして社長が切り出す。手には既にメメちゃんの写真が何枚も握られている。彼女が来たら暫くは犬の話が続くぞ。ハボックも目でこちらに告げる。
「エドはヘルプ…というか。同じ格好はしてますけど、基本的にはボーイなんですよ。席に来れるかどうかはお店の混雑次第で」
困ったように笑う笑顔は柔らかく、人当たりの良い…あれ?彼女の言葉に違和感が。
「え、ボーイ?」
「はい。男の子なもんで」
「は?え?」
「えええええええ?」
私よりも隣のハボックが叫んだ。
「まあ、先にあの格好見ちゃうとそうなりますよねー」
「うちのメメちゃんもね、男の子なんだよ!」
社長は驚きよりもシンパシー重視。我慢できずに話を始めた。こうなったらもう歯止めは利かない。とりあえずビール等適当に頼んで、私は隣のハボックとぼそぼそと会話する。
「…始まりましたね。三十分はかかりますよ」
「初回だからペットショップでの運命の出会いからだろうな。私達はのんびりしよう」
他にもそこそこ客が居るし、テーブルに女の子は一人しか付かないのかな。まあ今回はそれでもいい。社長が満足してくれれば十分だ。
「あーっ、エドちゃーん!」
「こっちも!こっちも追加の注文がーっ!」
向こうでは『エドちゃん』の取り合いが白熱している。さっきまで見下ろしていた赤いフードを脱ぎ、全容が明らかになる。金色の長い髪はツーテイルに括っており、より幼い印象を受ける。ロリータ趣味の人種には堪らないのだろうな、ああいう外見は。似合っていれば良いのだろうか。男でも。
「おう。ちょっと待ってろ!」
 外見と反して男らしい返事。思えば最初から彼は何も変えていない。言葉遣いも応対も。しかし小柄な体躯は遠目にみてもやはり女の子にしか見えな…いや、大股で歩き回る姿や仕草は男性っぽいと言えばそうも見えるかな?。ここで働いているという事は成人している可能性が高い(それも驚きだが)。彼一人に情報が錯綜し過ぎて、脳が誤った判断をいくつも下す。把握する為に時間が欲しくなる。
「…男なのか、あれで」
「生まれ持った特性を目一杯生かしてる感じですね。ある意味男らしいのかもしれません」
ハボックが煙草を咥えると、さっとライターが差し出された。社長の犬自慢を聞きながらも気を配るミサトさんの姿に、接客業は大変だなんて他人事のように感心する。
 ぴょこぴょこ動く彼を遠目に眺めていたら、うっかり目が合ってしまった。にこっと笑ってこちらに手を振られてしまい、恥ずかしいやら照れくさいやら不思議な感情を覚える。つい手を振り返すかを迷うなんて私らしくも無い。
「お待たせ。今さ、女の子ちょーっとだけ足りねえんだ。だからその間だけオレが邪魔するよ」
 飲み物を運んで来て、そう言って私とハボックの間を無理矢理空けてどっかりと座った。社長が待ってましたとばかりに話しかけようとするが、軽く手を挙げて止める。
「なあ。まだミサトさんとお話中だろ?そっちも行くから」
 社長はミサトさんに戻って犬の話を続ける。指摘が的確だからだろうか、彼の言葉には大人しく従ってしまう不思議な力がある。でも客を仕切るキャバ嬢ってどうなんだろう。
「さっきはどーも。兄さんはあっちの人の付き添い?」
「取引先の社長さんでね。君が社長の飼ってる犬と似てるので、話をしたいらしい」
「それって女の子の気を引く常套手段じゃねえの?」
「あの人は本気で犬バカ…いや、家族のように可愛がってるから。社長は可愛いものが好きなんだよ。こういった店が好きなのも、自分の話を聞いてくれる上に、女性の方が共感して貰えるからなんだろう」
「へー。オレも何か頼んでいい?」
「いいよ。結局君には助けられてしまったからね」
「あのさあ」
「なんだ?」
「オレの事、聞かなくていいのか?」
彼の言わんとしている事はなんとなく伝わった。異色の存在に興味を持ち、客は皆、根掘り葉掘りと聞くのだろう。今判明している情報は、真っ白な肌と蜂蜜のような髪は自前だという事。目鼻立ちの整った顔に長い睫毛。よく見ていると顎がしっかりしていて口が大きい。目はくりっとしているがつり気味で犬より猫っぽい。そして、メイド服を着ているが男で、この店のボーイであると言う事。
「君が男で、キャストでなくボーイだって聞いたよ。多分、社長の横に付いたら色々聞かれるだろうから、それを一緒に聞いておくよ。何度も話すのは面倒だろ?」
「まあね。じゃあ、名前は?オレはエドワード」
「私はマスタングだ。こっちはハボック」
「宜しく」
ボーイはもう一人居るようで愛想の無い男性が無口に飲み物を運んでいる。エドワードはカクテルを頼んだようだ。私達はお約束の乾杯をして、エドワードは一気に飲み干した。
「なあ。ボーイがここに座って接客しちゃ駄目なんじゃないのか?」
「まあまあ。臨機応変って感じで」
「あ、エドちゃん。美味しくなる魔法はかけた?」
ミサトさんが振り向いて何かを促した。いけね。とエドワードは立ち上がる。ふわり。と、目の前でフリルが揺れた。
「では僭越ながら」
そう言って胸の前に両手でハートを作る。
「美味しーくなーるなるぅーオーマジナァーイー。萌え萌え〜〜っ、注入っ!」
どうやら私達の飲みかけのグラスに向かってしているようだ。謎のまじないは酷い棒読みで、どこにもやる気がない。不思議な踊りもMPが吸い取られるようだ。遠くのソファーから、狡い!だの、こっちにも!だの熱烈な声が飛んで来るが、一体このおざなりな儀式にどれだけの価値があると言うのだろう。
「美味しくなりました」
愛想も無く仁王立ちで断言された。有無を言わせない強さに、はいとしか返せない。ハボックも隣で、わー、びっくりする程おいしいなー。なんて強制的に言わされている。
「じゃあそろそろ席を交換しよう!」
タイミングを見計らい、ミサトさんとエドワードが席を交換した。社長は再び一から飼い犬の説明するのだろう。何度同じ話を繰り返しても苦でないようだ。私も何度も聞かされているから内容は殆ど知っている。
「お疲れ様です。社長の話、長いでしょ」
「いえいえ。楽しかったですよ。私もペット飼ってるんで」
「へえ、何飼ってるんですか?」
「フトアゴヒゲトカゲとかヒョウモントカゲモドキとか。爬虫類を何匹か」
「へえー…」
予想外の内容にハボックが言葉に詰まるが、ミサトさんは楽しそうだ。
「余裕が出来たらボールパイソンが欲しいんですよ。皆ほんとうに可愛くって。いいですよ爬虫類は。懐いてくれる子もいるけど、基本的に人間なんて自動餌やり機くらいにしか思ってないんじゃないかな」
「でも、それだと苦労して育てた見返りが少ないんじゃないすか?」
ミサトさんは首を振る。
「相手に何かをしたから必ず何かを返して貰えると思う事自体が間違いなんですよ。報われる為に尽くすのは、ガソリンが無い状態で車を走らせて『運転してやってるんだから、次で満タンにしてもらえる筈だ』って言いながら数リットルずつ自分で給油し続けてる状態に近いと思うの。いつガス欠になってもおかしく無い。不安でびくびくしながらアクセル踏んでるくらいなら、もう車は置いて歩いたら良い。私はあの子達に沢山教えられたの」
マニアックな話かと思ったら人生の深い話になっていた。ハボックはミサトさんを気に入ったようで、会話に花が咲いている。
 そして反対側。エドワードと社長はいつの間にか二杯目のカクテル(先程と同じもの)を飲みながら、相変わらず犬の話を聞いている。テーブルには写真が並べられていて、それら以外にもまだ用意があるようだ。
「メメちゃんは九才なんだけどね、まだまだ元気で。ほら。これなんか可愛いよ。男の子だけどリボンだって何だって似合うんだ。エドちゃんが男の子だって聞いた時にね、うちのメメちゃんとそっくりだなあって」
「確かに犬は可愛いけど、社長ん家の犬に似てるって言われても微妙だな」
(そこで「えーそんなことないですよぉー」なんて謙遜したりしないんだな)
エドワードは相変わらずの調子で話している。会話を聞いていると、口は悪いが相手を貶すような事は言わない。(とすると、私に「しょぼくれた」と言ったのは思ったままだったのだろうか)
 思った事ははっきり伝える。そうだと知っていればそのシンプルさに好感が持てる。加えてこの容姿だし、好きな人は居るだろうな。勝手な分析をしながら二杯目を頼む。水割りとハボックのビール。社長も水割りで首を縦に振る。
 改めて周囲を見渡す。制服がミニ丈のふわふわメイド服である以外は至って普通のキャバクラだ。ただ時々、謎のパフォーマンスが行われている。それは性的なものでなく、先程の『謎の呪文』の類いだ。客も一緒になって楽しんでいて皆笑顔である。社長のメイド喫茶に行きたいという欲求はここで満たされた…と、願いたいが。
 一人の女の子が小さなステージに上がった。カラオケを歌うらしい。えー、でも恥ずかしいーなんて困った素振りをしながらもマイクを既に握って音量を確認している。
「君は歌わないのか?」
何となくエドワードに声をかけた。その瞬間、ミサトさんがすごい顔をした。
「オレは…」
「エドちゃんは他のお客さんにも忙しいし、今は社長さんとお話してるから!。それに今はあんりちゃんがご指名貰ってるから、ねっ!」
遠回しに見えてものすごく直球の牽制。私も何かを感じてそれ以上は問わなかった。
「あ、バックが立て込んでるみたいだから、飲み物だけ捌いてくるよ。ちょっと待っててくれ」
お客が多くて片付けが追いついていないようだ。エドワードが席を立った隙に、ミサトさんがこちらへ顔を寄せる。
「申し訳ないけど、エドちゃんはステージに指名しないで欲しいの」
「本人が苦手で嫌がってるのかな、すまなかった」
「そうじゃなくて、一旦ステージに上がって気分が良くなるとマイクを離さなくなる上に、レパートリーはほぼ一曲しか無いので上手でもない歌を永久機関の如く…」
「…すみませんでした」
「常連さんはそれを知ってるからステージに上がらせたくないの。それに、歌ってると自分の所に来てくれる時間も減るでしょ?」
「なるほど」
 カラオケが始まって手拍子が起こる。頑張って踊りながら歌う姿に、指名した客は合いの手を叫ぶ。スカートを翻し激しく踊るのは今の流行なのだろうか。先日テレビでこんな振り付けを見たような気がする。社長は楽しそうに腕を振り上げて盛り上がっている。
「ああいうのが『萌え』ってやつなんですかね」
ハボックの疑問は私も感じていたものだ。『萌え』と『好き』はどう違うのだろうか。
「社長はメメちゃん好きだろ?でも好きよりもずうっと大好きだろ?考えてるだけでにやにやしたり満たされたりするだろ?別に何か見返りがどうこうとかもねえだろ。それが『萌えてる』って事なんじゃないかなあ」
エドワードが酒を持って戻って来た。
「では、恋に近い感じって事かな?」
私の言葉にミサトさんがうーんと唸る。
「はっきりとした対象でなく、『概念に対する恋』だと私は思ってる。相手が生身の人間だと、どうしても最後は見返りが欲しくなる。違うという人も居ると思うけど、私はそういう風に理解してる。メイドさんが好きな人の『メイド萌え』はメイドの格好をした『誰か一人』が好きなんじゃなくて、メイドという概念に恋をしてるんじゃないかな。私は爬虫類大好きで、うちの子以外も大好きだから『爬虫類萌え』って言われても否定しない。爬虫類は概念じゃないけど、特定の相手じゃないって事で」
ミサトさんの言葉は含蓄深い。
「君は好きな人は居ないのかい?」
「オレが好きなのは、金!。金はオレを裏切らない!お金大好き!」
「言い切ったね」
「まあまあまあ。オレ様はみんなのアイドルだからさー。あんまそういう事聞いちゃ駄目だよ、『おにーちゃん』?」
今、『お兄ちゃん』と呼ばれた気がしたが気のせいか。兄弟が居ないのでこういった呼ばれ方をするのは慣れていない。聞き違いか?なんだか背中がむず痒い。不慣れにうっかり照れてしまい顔が熱くなる。
 向こうのテーブルの客が帰るようで、エドワードも見送りに立った。遠い席からエドワードにずっと声をかけていた男だ。私と同じくらいの年だろうか、この街の住人は外見で年齢が測れない。 
「お兄ちゃん。また来てね!」
聞き違いではなかった。彼は客を『お兄ちゃん』と呼んでいる。男は鼻の下を伸ばしながら店を出て行った。
 兄ちゃん。ではなく、少し甘えた声音でお兄ちゃんと呼ぶ。これもロリータ気味な演出必須のお約束なのだろうか。不思議の電気街では謎が増える一方である。
 その後も他の女の子が来てくれて話もしたが、ミサトさん一人だけでも会話は十分楽しめた。触れた事の無い文化の一端を味わって社長も大満足で、なかなか帰りたがらない。予定時間よりも大幅に延長し、社長に合わせて私達は終電ギリギリまで飲んだ。



「いやあー、楽しかったねえ。またここに来たいけど暗くて道が分からないから、もう一回マスタング君とハボック君に付き合って欲しいなあ」
「是非また。お気をつけてお帰り下さい」
足元のふわふわしている社長を電車に乗せた。ハボックはそれを見送って、じゃあお疲れ様です!と捨て台詞気味に挨拶を残して階段を駆け上がって行った。私よりもあいつの方が終電は早かった筈だ。間に合うだろうか。
 私ももう一度、終電の時間を確認しようとポケットを探したがスマホが無い。鞄の中にも無い。店に忘れた以外の可能性が浮かばない。
(これから店に戻ったら確実に終電は逃す。どうしたものか…)
両方を天秤にかける。私の個人情報(主に会社への連絡先)と今夜の終電。三秒で答えは出た。今来た道を戻るしかなかった。

 街は夕方の賑わいの一切を取払い、灰色のシャッターで覆われている。横道へ入れば真っ暗で、街灯の明かりすら弱々しい。住宅も無く飲食店も無い。コンビニも少ない。なので人通りも殆ど無い。深夜営業の店もまばらで、時間が変わるだけでこんなにも違うのかと驚く。
 暗い階段を上がって店に戻り、扉を開ける。
「お帰りなさいませ!ごしゅじんー、あれ?」
出て来たのはミサトさんだった。
「忘れ物をしてしまったようなんだ。私のスマホが席に無かったかな」
「今さっき、エドちゃんが握って追いかけて行ったけど会えなかった?」
「いや、社長を送ったりしていたからかな。残念だが見かけなかった」
「じゃあ連絡してみようか。あの子、駅の中まで探してるかも」
この深夜にあんな格好でうろつくなんて危険ではないだろうか。男だと知ってもあれだけの容姿ならちょっかいをかけられてしまうのではないか。急に心配になる。
「すれ違いは承知だが、私も彼を迎えに行きたい。この番号にかけて、もしまだ駅に居るなら改札で。もう帰りの道なら表通りまで…」
「マスタングさん。心配しなくてもエドちゃんなら大丈夫ですよ」
ミサトさんはそう言うが、他の女の子が奥から叫ぶ。
「あー。エドワード君、携帯忘れてるよー」
「なら尚更だ。無理を言って申し訳ないが、お願いだ」
 携帯番号を書いてミサトさんに渡す。私が引かないと分かって彼女は了承してくれた。すぐに店の電話から連絡してもらう。
「…気付かないのかな、出ないみたい。繰り返しかけてみるわね」
 私の不安は一杯になって、もう待ちきれない。電話が繋がる前に外へ出た。真っ暗な道をどちらに進むか迷う。
(あの彼ならどうするだろう)
ちょっとお調子者で、でもしっかりとしている印象を受けた。店の人が『大丈夫』と言っていたのは、彼がそういった相手とやり慣れているからだろうか。私を追って駅で探し、帰るならば何処を通る?。きっと安全を優先して大通りを経由したりはしないだろう。ならば、裏路地だ。
 どこがどこと繋がっているかなんて分からないが、あみだくじの目のような地図を思い出し、方向を基準とし改札に向かってみる。冷静な判断ではないが、とにかく彼の元へ急ぎたい。
 真っ暗な道は誰とも擦れ違わず、間違えているかと不安になる。だが角を曲がった先に数人の人影が見えた。何やら話しているようだ。息を整えながら速度を落として近づく。
「いいから退け。急いでんだよ」
「まあいいじゃん。ちょっとだけ…」
静かな街に声が響く。私の読みは当たっていた。エドワードと数人の男が暗がりで揉めているようだ。目を凝らすと大柄な男が一人、細いのが一人、背は低めのがっちりとした男が一人の三人組。細い男がエドワードの肩に触れようとして、手を払われる。
「触るんじゃねえよ!」
その言葉に男が動いた。私は慌てて駆け寄り、エドワードを捕まえようとする男の後ろから腕を掴み、捻り上げた。
「いててててて」
「触るなと言われたろ。私もその子には触って欲しく無い」
エドワードが私に気付いて、あ。と暢気な声を出す。
「すまないね。私を追ってくれたんだろ?駅で擦れ違ってしまったようで」
「や、オレももっと早く気付けば良かったんだ。座席の隙間に落ちてたから」
腕を離すと男は仲間の元へ逃げ、何やらぼそりと会話した。あまり宜しく無い雰囲気だ。
「あんた、下がってた方がいいよ」
「それは…」
会話を邪魔するように、大柄の男が私に掴み掛かって来た。咄嗟に鞄を捨てて掴み返すが、大きな体の相手も粘る。胸元を掴まれる感覚は体が知っている。思考とは関係無く体にスイッチが入った。
(ああ、もう!)
私の手も自動的に相手を掴んで、体を入れながら軸足を踏み出す。抵抗する相手の動きは良く知った物だ。体を引き寄せバランスを崩させながら、足で刈る。いわゆる大外刈りだ。とりあえず一人投げて顔を上げると、エドワードがもう一人と取っ組み合っている。
「こんの…っ!」
 フリルを翻し、美しい上段回し蹴りが繰り出される。腕でガードしているがきれいに入って背の低い男の体を崩した。二人転んだ状態で残る一人は逃げ腰だ。
「行こう」
鞄を拾いエドワードの手を取り、私は早足にその場を後にした。
 あのまま任せていたらこちらも傷を負ったかもしれないが、良い対処法ではなかった。それは重々承知している。誰もがいきなり投げられて受け身を取れるとは思っていない。大怪我をさせたら大変だ。しかし、私の相手は武術か格闘技の経験者ではないかと感じた。そこに甘えて、一人でも厄介を減らさなければと思ってしまったんだ。
「ははは。あんた、意外とやるじゃん」
「君こそ。軸足にブレも無く完璧だった。少し長さが足りないがな」
「うるせえ!」
エドワードは文句を言いながら手を繋ぎ直して、しっかりと握る。角を曲がればもう繋いでいる必要は無かったが、私達はそのまま店まで駆け足で戻った。


「お帰り。良かった、会えたのね。大丈夫だった?」
「うん、まあ。な」
「は、ははは…」
息を切らして駆け込んでくれば、隠しても何かあった後だと伝わってしまう。無口なボーイが気を利かせて水を汲んで来てくれたので、空いている隅っこの席に二人で座らせてもらった。
「大丈夫か?何かされていないか?」
「あんたは?きれいな大外刈りだったけど、柔道やってた?」
「君こそ。何か格闘技を習っているのか?」
「空手をずっと。近所の道場で」
「やはりそうか。素人にあの蹴りは無理だ」
「ほんとは駄目だけどさ、あいつも何か格闘技やってる感じがしたから、ちょっとならいいかって。髪の毛掴まれそうになってつい体が動いちまった。これはハンドルでも手綱でもねえっての」
 先に息を整えれば良いのに、会話が止まらない。あれも聞きたいこれも伝えたい。少し興奮しているせいか気が急いてしまう。
「これ。あんたのだよな?」
エドワードから差し出されたスマホを受け取る。着信はしていたようだ。もしかしたら、電話をかけた時には既にあいつらに掴まっていたのか。
「ありがとう助かった。これが無いと連絡が滞る」
「これから帰れんの?」
「終電は逃してしまったから、どこかで時間を潰すよ。この店は?」
「あと一時間で閉まる。あんたが行き先考えてないなら、それまでここに居ていいよ。店長にはオレから言っとくから」
「いや、もう酒は止めておきたいから、どこか入れる場所を探すよ」
「別に酒は飲まなくても良いよ。ちなみに日が変わる辺りで近くのネカフェは埋まってるから、今から入るのは難しいし、カプセルホテルはそれより埋まるの早いよ」
「そうか。困ったな」
「店が終わってからオレは飯食いに行くけど、一緒に行くなら始発まで付き合ってやる」
「怒られないか?客と一緒で」
「アフターみたいなもんだろ。よく知らないけど」
 水を飲み干してエドワードは席を立った。客は殆ど帰ってしまったので、接客の人数も足りている。彼は裏の片付けに入るようだ。私は近場で休めそうな場所を検索する。ネットカフェ、サウナ、カプセルホテル…。どこも満室のようで、エドワードの言った通り問い合わせてみてもどこも難しい。ならばとラブホテルも視野に入れてみたが、これで満室だったら別の悲しさが込み上げて来そうだったので止めた。ここ二年ばかり彼女の居ない身には堪える(主に精神的に)。
 途中、店長だという初老の男性が挨拶に来た。エドワードから話を聞いたらしく、礼を言われてしまった。
「いえ、こちらこそ忘れ物をしてエドワード君に迷惑をかけてしまったので…」
 無いとは思うが再び鉢合わせすると厄介なので、エドワードが帰る時に始発まで一緒に居て欲しいと頼まれた。今日初めてこの店に来た客なのに、私を信用して良いのかとこちらが逆に問うと、エドワードがそうしたいと言っているらしい。ならば、何かあった場合にはきちんと警察を頼ると話し、連絡先に名刺を渡して店が終わるまで大人しく待った。

 最後の客を見送り、簡単にミーティングを済ませるとお疲れ様と挨拶で〆て解散。女の子達は着替えに戻ってもエドワードと無口なボーイは店内を片付けている。
「手伝おうか?」
「客にやらせる訳にいかねえだろ」
「暇だからいいよ」
「そうか。じゃあそこのテーブル拭いといて」
 一応は遠慮してみせたが、その遠慮も一秒で撤回されて雑巾を投げられる。だがこういう距離感は嫌いではない。私は上着を脱いでシャツの袖を捲り、テーブルを端から拭く。その横を通ってキッチンから大きなゴミの袋が外へ運ばれていく。一生懸命運ぶエドワードは髪型と服の色のせいで大きな荷物を運ぶ蟻のようだ。対象物があると小ささがより目立つ。片付けは簡単なもので、すぐに終わった。
「これでおしまい。お疲れ様でしたー」
私の持っていた雑巾を渡すと、着替えて来ると言って、エドワードも奥に引っ込んだ。時計を見上げると二時を過ぎていた。

 無口なボーイに店の電気を消すと言われて、私は一足先に外へ出た。鞄にスマホ、きちんと確かめて忘れ物は無い。
「お待たせー」
暗い中階段を下りて来たエドワードは、至って普通の格好をしていた。いや、分かっているし当たり前なのだがギャップが大きくてついじっと眺めてしまう。
「…思ったより普通だな」
「あんなもん着て生活できるかよ。嵩張って仕方ねえ」
彼には女装よりも体積が問題のようだ。
 最初に会った時にメイド服の上から羽織っていた大きめの赤いパーカー。黒いズボンにブーツ。ボディバックを斜めがけにし、長い髪は後ろで一つに括っている。この姿なら見かけても女性だとは思わないだろう。多分。
「あー、腹減ったー。飲み物は飲むけど甘いし、おつまみじゃまとめて食えないからさ。あんたは食える?腹減ってる?」
「食べなくても平気だが、食べられるよ。困るのはこの時間に食べると美味いって事だな」
だよなーと笑っているが、君の若さと三十代の私では明らかに代謝が違うんだ。切実さが倍以上違うのだよ。
「ラーメンと、ファミレスと、ラーメンの後にファミレスと、どれがいい?。座って時間が潰せるのはファミレスだけなんだ」
「ならファミレスで」
「ここから少し歩くよ」
 大通りに出て左へ。くるりと方向転換すると金色の尻尾が揺れた。私はそれに誘われるようについて歩いて行った。



2015/3/16

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あきゅろす。
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