デリマス 10



 ああ。と大きなあくびをしたエドワードにつられて、隣りを歩いているケンも、あああ。とあくびをした。
「移った」
「視覚で移るからなあくびは。犬とチンパンジーかなんかで確認されてるんだっけ」
「確か、意志の疎通が左右するんだよな。ケンはエドと仲がいいからきっと移りやすいんだよ」
「そんなの嬉しくないなあ」
 授業のコマ数が多い一年は、最後の講義が終わると時間は夕方や夜である事も珍しくない。エドワードとケンを含む小さな集団が四号館から出ると、九月終わりの明るい空も色は変わり始めていた。
「エドはそういう話が好きだよな」
「楽しいじゃん」
「エドは研究者に向いてるよな」
「お前らこそ、この学部来といてそう言う事言うのかよ」
「勉強は楽しいけど、俺は短気だから向いてないな」
「それより腹減ったー」
 口々に勝手な事を話しながら校門まで来た。脇に高そうな車が停まっているなと思った瞬間、その車から出て来た人物に思わず脚が止まる。
「エドワード、遅いじゃないか」
 声をかけてきたのはロイだった。相変わらずスーツを綺麗に着こなし、背筋の伸びた立ち姿は何も着飾っていないのに華やかに見えた。なぜ、約束も待ち合わせも、店の指名予約もしていないはずの相手がここに居るのか。嫌な汗がどっと湧いて来る。
「おい。あれエドの知り合いか?」
「いい車乗ってるなー」
 周囲の興味がロイに向きそうになって焦る。ロイの職業を知っている人間がどこかに居ないとも限らない。エドワードの不埒な行いがバレる訳にはいかない。
「いや、あのさ。ああ!、あの人はオレらの先輩なんだ。グラマン研究室のOBでさ。なんか待たせちゃったみたいだからもう行くよ、また明日な!」
 早口で説明めいた言葉に怪しまれていないかとそればかりが気になる。友人がこちらまでついて来ない様にロイの元に駆け寄った。
「遅いじゃないか」
「あんた何しに来たんだよ。遅いとか、約束もしてねえのに!」
「腹が減った。夕飯を食べに行くぞ」
「はあ?」
 ロイはエドワードの欲しい答えを一つも返す事無く会話を続けていく。
「ほら、そっちから乗れ」
 急かす勢いにエドワードが助手席に座ると、ロイはすぐに車を発進させた。友人達の横を通り過ぎると手を振られた。気まずさに俯いていると、ロイが追い打ちをかける。
「シートベルトの付け方はわかるか?」
「分かるよ!」
 本当は良く知らない。免許の無いエドワードはタクシーも含めて助手席に座るという事が人生の中で数える程しか無いのだ。なんとかベルトをつける頃には、車は大通りに差し掛かっていた。
「なあ。依頼したのは明日だと思うんだけど」
「知ってるよ」
「今日はこれからバイトだから、予約は変えられないよ。明日がダメならキャンセルするってば」
「言っただろう?、夕飯を食べに行くと」
 契約でもないのにロイが何故こんな事をしたのか、エドワードには全く分からない。だが、もう車に乗ってしまっているしロイは方針を変えないようだ。諦めて付き合うことにした。
「君は何が食べたい。何でも好きなものを言え」
「何でもいいけど、オレは八時からバイトだから、間に合う時間に帰るからな」
「十分だ。で、何がいい」
「何でも良いけど、肉っぽいのがいいな」
「ならばいい店がある」
 ロイがどこに向かっているのか、都会の地名や店の名前を聞いても分からないだろうなと思って流れる景色を眺める。車自体に乗り馴れていないエドワードには、広い足元と深いシートが逆に居心地悪く感じてしまう。
(田舎じゃほとんど自転車だったもんなあ)
 都会は人と車に溢れている。慣れたつもりでいるが、混んだ場所に来ると再認識してしまう。
 好き嫌いは置いておいて、やはり車の免許は資格の一つとしてあった方がいい。自分は早いうちに取りたかったがなかなか余裕が無かった。弟には早めに取らせてやりたいと思う。年が開けたら受験だ。アルフォンスは頭がいいので大学には必ず受かるだろう。入学資金などを試算してみた結果、母の残してくれたお金でなんとかなりそうなので、兄としては入学祝いに免許代くらいは工面してやりたい。悪い遊びにつぎ込んでいる今はかなり苦しいが、先日増やしたバイトで穴は埋められる。少しだけ睡眠時間が削られるだけだ。
(……自業自得、だけど)
 その相手は今、エドワードの隣に居る。運転しているのを良い事にロイを盗み見る。地味だし背だってそれほど高くない。なのに、華やかな印象と目を引く存在感がある不思議な人だ。…いや、こうして見る横顔は整っているし、先週初めて見た身体は筋肉質でとても綺麗だったな、などと思い出して一人動揺する。
「肉ならなんでもいいよな?」
「あ、うん。でも高い店は困る。払えない」
「奢るよ。付き合わせているんだから」
「あんたに奢ってもらう理由がないんだけど」
「一人暮らしの貴重なカレーの礼ならいいだろ?」
 勝手で律儀で強引で悪趣味。本当に、ロイは何を考えているのだろう。まだ数回しか会っていない相手の事など、考えたって分かる訳が無い。もっと一緒に時間を過ごして情報が増えていったら、少しは分かるようになるのだろうか。エドワードの興味がロイの内側へ向いていく。


「ついたぞ」
「何の店?」
「なんでも出してくれるが、強いて言えば鉄板焼きかな」
 店の駐車場らしき場所に車は停まった。鉄板焼きならお好み焼きとかかな、あの甘いソースも久しぶりだなんて能天気な事を考えつつロイの後をついて店に入ると、既に場違いな自分が浮きまくっていて帰りたくなった。
「久しぶり」
「いらっしゃいませ、マスタング様」
 深々と頭を下げて迎えられて、エドワードはよくわからないままロイの後ろで頭を下げる。
「今日は彼と二人なんだが、あまり時間が無いんだ」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
 名前を覚えられている程、ロイはこの店に来ているという事なのか。黒を基調とした店内は豪奢ではないが品があって優美だ。正に『酒の似合う大人の店』といった落ち着いた雰囲気にエドワードは落ち着かない。まだ夕飯の時間には早いからか客は殆ど居らず、店員の視線がこちらへ向いているのも辛い。
「あの、オレ、場違いじゃ…」
 ロイの裾をつんつんと引っ張ってこそこそ告げるエドワードにロイは微笑む。
「君が好きなだけ食べたら、すぐに帰ろう。それでいいだろう?」
 やけに優しい言葉に、こくこくと細かく頷く。二人が通されたのはカウンターで、どうやら目の前で調理してくれるようだ。並んで座るが、エドワードの脚が微妙に床に着かない事に笑いを堪えるロイは、やはりいつもの失礼なロイだ。





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