デリマス 5




 一人分の洗濯物も溜め込めばそれなりの量になる。休みの日にはまず洗濯機を回し掃除機をかけるのがエドワードの習慣になっている。今日はバイトがあるのでそのまま出かけるが、時間があれば料理を作り置いて小分けにし、冷凍しておけば経済的だ。家庭的という訳ではない。必要だから続けてきた。
 幼い頃に母を亡くし、家に殆ど戻る事の無い父親(エドワードはあれを父とは認めていない)を頼る事も出来ず、周囲の力を借りて弟とほぼ二人暮しの生活を送ってきた。掃除も洗濯も、あまり得意ではないが料理も。身の回りの事は一通りこなしてきたお陰で、一人暮らしが始まってもそれほど不自由ではない。ただ、料理を作っても一人分というのは酷く不経済で、いつもの癖で三人分を作って食べ盛りの二人で食べる訳でない事に気付いては、残りを冷凍保存して忙しい日々にまわしている。しかし一人で食べる料理は本当に味気ない。最近しみじみと思う。
 開け放した窓から入ってくる風は、少し冷たくて心地よい。晴れた空は青く高く、差し込む光も秋の色になりかけている。季節に敏感になったのは、初めて一人で季節を迎えるからだろうか。それとも、頭がさっぱり働かなくて暇を持て余しているからだろうか。
 エドワードは先週の出来事をずっと考えていた。いや、あの日の事が頭から離れず、すぐに一杯に満ちて他の作業を隅へ追いやってしまう。いつでも興味のある本を目の前にすれば、何があってもそれに夢中になって寝食を忘れる程だったというのに。
 今までに出会った事の無い人種だった。具体的に何が違うと説明したらよいか悩むが、とにかく今までのエドワードの人生の中には存在していなかった。向き合ったときの存在感。大胆で奔放で、優しい笑顔と丁寧な言葉を使われても少しだけ本能が危険を感じた。そして、抗えない程の色気。
「…相手はおっさんだっつうの」
 他人事のように皮肉っぽく呟いてみるが、余計に負けた気がして悔しい。そういえばグラマン教授を知っていた。先輩だと言っていたから、あいつも人より勉強は出来るのだろう。勉強が出来て店を経営していて、上品な着こなしと整った外見。当たり前のように女性経験も豊富で、あれが所謂リア充の見本ってやつなんじゃないだろうか。リア充の先輩ならば、やはりコツとか聞いておくべきだろうか。
 エドワードはごろりと畳の上に転がった。狭い部屋にあまり綺麗だとは言えない天井。いくら学生の部屋だといっても貧乏すぎて呆れたかもしれない。見上げた角度にあの時も丁度この位置で転がっていたと思い当たり、背筋がぞくりとして目を細めた。
(……ああ、また)
 一瞬にしてリアルな感覚が蘇る。人の手に与えられる快感は、自分で行う自慰とは大きく違う。しかしそれは、ただ「他人の手」だったからなのだろうか。相手が同性だったからなのだろうか。自分を抱きしめる腕や引き寄せる力は強引でも、不思議と嫌悪は感じなかった。それどころか支配されているような感覚に、自分が求められているのではないかと勘違いしてしまいそうになる。ロイが釘を刺したように契約の中でルールのある遊びだとわかっていても。
 あの時はどうやって触られたっけ。記憶をたどって、指先で自分の体を順番になぞってみる。
 唇に触れた。意識してキスをしたのは生まれて初めてだった。重ねた唇は思ったよりも柔らかかった。同じ器官だから、相手も柔らかいと思っただろうか。そして味はしなかった。当たり前か。自分の口の中だって味はしない。ぬるりと進入してくる舌先。何度も何度もエドワードのそれと絡めて吸い上げた。口の大きさ、顎の大きさは相手の方が大きいと感じた。こういった事が実践でしか分からない事なのだろう。
 耳にも触れた。まるでキスの延長のように優しく。柔く噛まれると背筋に電流が流れるようだった。重なる体は布越しだというのに温かくて、それだけでも心地よかった。人の手の熱さ、そして自分を強引に引き寄せた強さも。
 想像はまだ核心にまで届いていないというのに、エドワードの熱はふつふつと上がって来ている。あれから思い出しては何度抜いた事だろう。転がったまま視線を窓にやると、男が置いていったハンカチが他の洗濯物と一緒に青空をバックにしてひらひらとはためいている。
 体の真ん中にぐすぐずと燻るものは欲情だけではない。しかしそれを恋情だと呼ぶには今はまだ何もかも足りない。もう一度会ったらこの疑問は解決するかどうかなんて、エドワード本人にも確証はない。
(でも、あの手の熱さが、答えのような気がする)
 詩のような言葉が自分らしくもなくて笑えてくる。この漠然とした解答が正しいのか、それを確かめるには方法はやはり一つしかない。


***


 繁華街の風俗店が心地よい環境のビルに入っている事は稀だ。店舗もそうなら併設の事務所も、広いわけが無い事は言わずもがな。そんな狭いところに薄い緊張が張ったままだと、いい加減に肩が凝ってしまう。
 最近、ロイが事務所へ頻繁に顔を出すようになった。スタッフの気は一向に休まらないが、待機の女の子達がやけにはしゃぐので何かしらプラスになっているのかもしれない。
 店の全般を任されているハボックは、オーナーとスタッフの間に挟まれながら今日も仕事をこなしている。こんな時は何も考えずに目の前の仕事に集中したほうがいい。どうしても辛ければ煙草を理由に外に出て、綺麗とも言えない空気を吸って気分転換するくらいの逃げ道は残っている。
 店への注文は相変わらず盛況だ。内容をチェックして返信のメールを返す。その中でメール処理の手が止まった。
「しゃ…オーナー、あの、ちょっといいですか」
「ん?、何だハボック」
 ハボックに呼ばれてロイが顔を向けると、他のスタッフに聞こえないよう、ひそひそと声を潜めた。
「オーナー。この間の依頼、何も無かったんですよね?」
「ああ?あれか。特に何も」
「本当ですか?」
「私が何かをしたような言い方だな」
「じゃあ、なんでこうなってんですか」 
 パソコンの画面を向けられると、そこには予約申し込みの内容画面がモニターに写っている。住所、氏名、緊急連絡先に電話番号。ここまで不備は無いが指名の女の子にチェックは入っておらず、備考欄には一言。

『オーナーのマスタングさんをお願いします』

「だって有り得ないでしょ、女の子じゃなくてオーナーを指名とか。『エドワード』ってこの間の子じゃないですか」
 画面の中の明確な意志が感じ取れる一文にロイがにやりとした。この人のこういう時はろくな事を考えていない。既視感にハボックは思い返す。このエドワードという青年(青年だったと言われたが、誰も確認する手立ては無い)から初めて依頼が来て、それを受けるとロイが決めた時と同じだ。良く言えば好奇心に満ち溢れたというか、獲物を狙う肉食獣が浮かべるような笑みといえばいいのか。
「本当に、本当に何も無いんですよね?」
「バカだなあ、私が法を犯した事があったか?ん?」
「いや、まあ…、表向きは無いっすけど」
「そうだろそうだろう?。引き続き、この子からの依頼は全て私に回せ。問い合わせも、それらしいものも全てだ!」
 上機嫌なオーナーを見て、何も無かったとはどうしても考えにくい。でもそれ以上を考えたくもないし、聞きたくも無い。田舎から出てきたであろう純朴なエドワード君は、上司の毒牙にかかってしまったのだろうか。ただひたすら顔も見たことの無い哀れな子羊を、ハボックは親のように心配した。



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