1、最終電車



「……だぞ」

「…おい、なあ」

「そろそろ重いんだってば!」
 少し高めの子供の声が、段々とクリアに響いて私の中に広がった。ゆさゆさと体を揺らされて、自分が眠っていたのだと気付いた。
「ああ、すいません」
 声の主に謝って、傾いていた体を戻す。どうやら私は隣の人に寄りかかって眠っていたらしい。最近ずっと仕事が忙しくて、私も部下も帰宅するのは日付が変わってからという日々が続いていた。
 やっと面倒くさい案件が片付いて、今日は皆で定時で上がって部下達と軽く飲んで家路についた。
 電車に乗ったら奇跡的に目の前の席が空いて、ありがたく座らせてもらったまでは覚えている。きっとその後に眠ってしまったんだ。電車の揺れと適度な喧騒は、人の遺伝子に組み込まれているのではないかと思うくらいに眠気を誘う。もしかしたらゆりかごのそれにも近いのではないだろうか。
「おい、ドア閉まるぞ」
 隣に座っていた存在は、何時の間にか私の前に立っていた。金色の髪を一つに括った小柄な少年。Tシャツに鞄を斜め掛けにしていて、随分と幼い印象を受ける。こんな小さいのを枕にしていたのかと思うと申し訳なくなってくる。首が痛いのはこれに寄りかかる為に首を大きく傾げていたからなのかもしれない。
「ああ、さっきはすまない。重くなかったかと…」
「降りんの、降りねえの。あんた車庫まで行きてえのか」
「え?」
「車掌さんが困ってる。いいから降りろ」
 急かされるままに電車を降りると、一気に真夏の熱気に包まれる。冷房の効いた車内で冷やされた体に熱気が心地よいと感じたのも、ほんの数秒だった。
 すぐに車両の扉が閉まった。空の電車がゆっくりとホームを離れていく。
 人気の無い静かな駅から、電車の音が遠ざかる。反対側のホームの明かりは既に消えている。
「終電?」
「そう。そんでここは終点」
「乗り過ごしてしまったのか!」
「……鈍い。鈍すぎる」
 少年は私の言葉にため息をついて先に歩き出した。小さな後頭部に揺れる金色の尻尾の後について、歩きながら状況を整理する。

・いつも使っている線の終点まで来てしまった。
・しかも終電。
・時計は0時をまわっている。
・起こしてくれた子は偉そうだがちょっとかわいい。
・男の子は多分中学生か高校生くらい。小さい。

 一体、どれくらいの間座席で眠っていたのだろうか。恥ずかしい。
(帰ろうと思えばタクシーでも帰れるが…、遠いな…)
 近辺に夜を過ごせるような店があれば、そこへ入って朝を待つのもいいだろう。居酒屋でもカラオケでも、ビジネスホテルでもカプセルホテルでも、こうなれば何でも良い。
 そういえばこの子はどうするんだろう。見たところ学生だろうか。こんな時間だし親御さんはきっと心配しているに違いない。

 男の子に続いて小さな改札を出ると、小さな駅に見合った小さな駅前の光景が広がっていた。
 暗い。とても薄暗い。店は開いておらず、タクシーすら一台も止まっていない。一応ロータリーの形を成してはいるが、別に平たい広場でいいんじゃないかと思える広さ。駅前にファストフードの店があってもいいようなもんだが、向かい斜め先にコンビニが一軒だけある程度。同じ終電からは私達以外にサラリーマンらしい男性が降りていた。しかし、家族の迎えと思われる車に乗ってすぐに消えてしまった。
「なあ。君はこれからどうする?」
「どうするって…朝まで過ごせそうなとこ探すけど。カラオケもなさそうだし、ダメならそこのベンチだな」
「危ないから君は帰ったほうがいい」
「無茶言うな!」
「出そうか?、タクシー代」
「見ず知らずのあんたに出してもらう筋合いがねえよ」
「じゃあ貸すから、そのうち返してくれればいい」
「…貧乏学生は返せる当てがねえんだよ」
「君、真面目なんだね」
「あーもう、あんたと話してると疲れる…」
 はあ。と大きなため息をついて、その場にしゃがみこんだ。呆れるにしたってそんなオーバーリアクションはないだろ。と、思ったんだが様子が変だ。
「どうした?大丈夫か?」
「腹が…」
「痛いのか?」
「腹が、減って、…辛い……」
 絞り出すような声に冗談ではないと理解する。辛いくらいに腹が減るなんて、本当に大丈夫なんだろうか。
 立ち上がらせて、半ば引きずるように体を支えながらベンチまで持って来た。彼を座らせて、視界の中で一番明るい場所へ向かう。
「とりあえず、これを飲んで」
 自販機でスポーツドリンクを買って手渡すと、少年は一気にそれを飲み干した。いい飲みっぷりに感心してしまう。
「大丈夫か?。目眩がするなら少しここで休もう。朝までは困るが」
「あー、ちょっと落ち着いた。でもまだくらくらすんだ」
「きっと低血糖になっているんだよ。あっちにコンビニが見えるから、何か買いに行くか?」
「ん、食う」

 小さな体が転ばないよう気遣いながら、少し離れたコンビニへと向かう。
 この店もやや小さいが、コンビニはコンビニだ。見慣れた色合いと風景にほっと胸を撫で下ろす。何でも暗いだの小さいだの言って申し訳ないが、もうこの地の印象はその二つが強すぎて他が入って来れない。短い間にそれ程に堪能した。
「食べたい物を好きなだけ買え。それくらいは奢らせてくれ」
 カゴを渡すと、まるで親の形見を手渡されたかのような真剣な表情でこちらを見つめ、少年は無言で頷いた。


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