デリマス 1



 画面の中に小さく並んだボタンを一つ選んでクリックするだけだというのに、自分の人生の中でこんなにも緊張し、こんなにも追い詰められた事はあっただろうか。カーテンが引かれた蒸し暑い室内は、じっとしていても汗が滲んでくる。
 一人暮らしの部屋では邪魔が入らない事が仇となった。いくらでも悩んでいられるのはまずかった。朝方に布団を干した記憶はあるのだが、いつの間にか窓からは強い西日が照らしつけている。秋に入ったとはいえ、まだ夏の面影を残す西日は強い。そうだ昼飯はどうしたっけ。気付けば腹が減っているような気もする。早く決めてバイトに行かなければ。気ばかりが急いてまた汗が湧く。エドワードは白い眉間に皺を寄せて、マウスを握ったまま深く深く悩んでいた。
 幼い頃から頭脳明晰で、難解な本も理解して読みこなし、当たり前のように持て囃されて育ってきた。それは、彼が住む小さなコミュニティの中『だけでは』一番でしたなどと有りがちな勘違いではなく、年齢に不釣り合いな記憶力と分析力を持ち合わせていた本物の神童であったからだ。
 この国一番の難関とされる大学へ余裕で合格したのは予定通りだった。授業の内容だって、暇つぶしに読んでいた本と同じような事を取り扱っていてどれも容易い。エドワードも、大学生活なんて生ぬるいものだと高をくくっていた。
 ……初めての都会で生活を始めるまでは。

 エドワードが育った田舎は、人の数より羊の方が多いという絵に描いたような「ド」田舎で、自身もそれをよくわかっているつもりだった。しかし、独りで暮らし始めてみると、思いがけないような様々な事が彼を追い詰めた。
 まず、都会の人たちはオシャレだ。スタイルも良くて皆垢抜けている。洋服は一番最初に取り組まねばならない問題だった。視覚に訴える事は早めに対処した方が良い。人間は情報の殆どを視覚に頼る動物だからだ。好き嫌いだけでは生きていけない。少々滑稽であろうとも、周囲に合わせ分かりやすく提示することもまた社会性なのだと一応理解している。
 年相応のファッション誌を数冊買って来て全てに目を通し、流行りと定番をそれぞれ系統化して平均的なものを選び、金銭的負担にならない程度に買い物をしてみた。エドワードは年齢から見ればかなり小柄だが、ユニセックスな服も多様なサイズも都会の洋服屋には沢山並んでいて、これについてはあまり困ることは無かった。
 もう一つ、都会の同年代はなんだかリア充っぽい。リア充とはこちらに来てから知った言葉だ。ネットに溢れていただろうと言われたって、そんなページを見ていなければ知る訳がない。主に異性関係に不自由していない人達に使われているらしいが、これにはエドワードは頭を抱えた。彼には女性経験はおろか、キスも。初恋すらした事が無かったからだ。
 入学してすぐに親しく話せる友人らが出来たことはありがたかったが、周囲での会話には自然とに女の子の話が繰り返される。自分も興味が有りそうな素振りで返していたが、本に書いてあるような医学的知識は役に立たないのだと実感しては頭を痛くした。
 どうしよう、このままじゃいけない。バカにされたくない。
 昔から体も丈夫でケンカだって強かった。頭脳は明晰であったが意地ばかりは年相応で、負けん気は人一倍強い。大概の事で負けの少ない人生だったエドワードには、プライドが大きく主張してしまい、これらを「どうでも良いこと」と流せるだけの余裕が無かった。
 今から彼女を作る?どうやって?。
 ただでさえ男子率の高い大学で、同じクラスに声をかけられそうな相手は居ない。バイトに明け暮れて既に夏休みも終わりが近い。物色に行動範囲を広げるには時間が無さ過ぎる。
 世に半数居るはずの、同じ年代の女性と知り合う事が難しい。そもそも、自分が好きになれるような相手はいるんだろうか。勝手な欲望だけでアタックするのは失礼に当たらないか。常識で考えたらそんな感情を持った自分に真剣に取り合ってくれる訳が無い。
 存分に思い悩んだエドワードは、最終的に「経験を金で解決する」という効率の良い手段を使うことに決めた。情が無い方が客観的な分析が出来るはずだ。恥ずかしいのは最初だけ。相手とはどうせ二度と会わないんだから少し我慢すればいい。そして、リア充な学友達にナメられるよりずっとずっとずっといい。

 そして今、彼はパソコンの画面の前で悩んでいる。デリヘルのホームページは全部が華やかなピンク色のグラデーション。そこへ並ぶ扇情的且つ上品な女性の画像達。見比べて厳選した中ではここが一番良いと思った。
自分の容姿では歳より幼く見えるので、ソープなどでは残念だが店の前で門前払いをくらうだろう。ならばせっかくの一人暮らしだ。部屋にまで来て貰えばいい。貧乏学生には痛い出費だが、バイトのシフトを多めに入れればなんとかなるだろう。気になった事はさっき電話して直接聞いた。緊張したが気さくな口調で丁寧にシステムを説明されて、もうその気になってしまった。
 後は好みの女性を選ぶだけ。本番行為はもちろんナシだが、逆にその方が気は楽だ。女性に触れて触れられて、何となく体験出来ればそれでいい。何も知らないのとは大違いなのだから。
「…よし。これで」
 パソコンに必要事項を入力して、画面を閉じた。後はメールで確認して待つだけだ。
 こめかみを伝う汗を指で拭う。胸が早鐘を打ち、どれだけ自分が緊張していたのかと今更思い知る。身体の中は期待と不安が大きく入り混じって、エドワードはとりあえず水を飲んで自分を落ち着かせた。


***


「オーナー、これ、さっきの電話の子じゃないですかね」
 ロイはその言葉に呼ばれて、部下が管理しているパソコンの画面を眺める。そこには、明日の予約を申し込む内容の書き込みがある。
「どう聞いても、声が子供なんですけどね。依頼は蹴りますか?」
「うーん、どうしようかね。指名はミナミさんか」
「明日はお休みですよ、彼女」
 オーナーと呼ばれた男は、名をロイ・マスタングという。質の良いスーツを身に纏い、一見物静かな佇まいに見えるが、同業者から見れば「敵にまわしてはいけない人種だ」と感じ取れる何かを醸し出している。らしい。
 出張風俗の店を片手間に始めて数年。その類い希な手腕で、今では数店舗を経営するまでになっていた。
 久しぶりに事務所へ来てみれば、スタッフが不思議な電話を受けていた。それがどうしてかずっと気になっている。
 途中から録音を聞いた限りでは、高く澄んだ声は少年を彷彿とさせる。不慣れで緊張した口調は良くあるが、声が全くの子供というのは珍しい。あれは本当に女を呼ぼうという年齢なのだろうか。年齢が達していなければ断れば良いだけの話なのではあるが、これだけあからさまだと少し興味が湧いてくる。
「オーナー。備考欄が…」
「ん?どうした」
 備考欄は、待ち合わせの際の注意事項などを書いて打ち合わせする為に使うものだ。近所の目があるから派手な格好は止して欲しいとか、行きがけにコンビニで菓子を買って来て欲しいなんて事は良くあるのだが…
「……自己紹介…、だと…?」
「ぶははははは!これ、マジで依頼受けるんですか?」
 隣で爆笑する部下につられて笑いそうになる。しまった。これは面白すぎる。
「それ、私が預かろう」
「は?、オーナー?」
「いやなに、依頼は受ける旨の連絡を送ってやれ。後の連絡とか全部、彼の件だけ私に任せて欲しいんだ。メールも電話も全て私にまわしてくれ」
「えっ、でも」
「いいから。な?。社長の言うことは聞いておくもんだぞハボック」
 整った顔が口角を引いて、意地悪くにやりと笑う。こういった時のロイがろくでもない事を考えているのは、スタッフは皆良く知っている。しかし、それに水を差せるほどの勇気は無い。
 ロイは素晴らしい経営者ではあるが、人として少し欠けた所がある。それに触れて血が流れるような事件になった事は一度ではない。
 うっかり依頼した少年が、揶揄や説教だけで無事に済みますようにと、その場にいたスタッフは皆心の中で祈った。



[次へ#]

1/14ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!