031・十段目

一学期期末テスト最終日。元から成績はいい方だけど、今回はまたいい手応えだった。

去年、音楽のペーパーテストを甘く見過ぎて、散々だった事がある。それを教訓に隅々の教科まで手を抜かなかったオレって本当に偉い。
あれは辛かった。予想外の白紙を前に、途方にくれる残り時間が長く感じた。やることがないので一番大きな解答欄にうろ覚えにダルマの絵を描き、『手も足もでません』と提出したテストは、惨憺たる結果と共にご丁寧に手と足が書き加えられていた。
あの敗北感はきっと一生忘れられない。得体の知れない人生の壁を感じた瞬間だった。

努力があったとはいえ、こんなに頑張れたのはきっとご褒美がでかいからだな。褒美って言っても勝手にオレがそう思ってるだけなんだけど。
ロイさんという餌を目の前に吊り下げたオレは、競走馬のごとく前だけを見て真っ直ぐに走っていける。いつもより倍早く、脚は雲を追い越せるほどに軽い気がする。

恋ってすごいと思うんだ。体温が上がって胸の中は酸素不足みたいに苦しいのに、こんなにもアグレッシブに動ける。ドーパミンってやつのおかげだろうか?、いつもならバカにするような無駄な行為も苦に感じない。
テストが終わったからと自分に言い訳をしつつ、久しぶりに駅前のサーティワンへ。十日ぶりの店内が懐かしく感じる。
無駄な行為ってのは、受験勉強を一休みしてアイスクリームを食べる事じゃない。ここで、来るはずの無い人を待つ事が無駄なんだ。
ロイさんは仕事でこの駅によく来るんだって。大通りを少し行った所にあるデカいビルが取引先の会社で、よくわからないが担当なんだそうだ。仕事でこっちまで来てたら、見かける事ができるかもしれないじゃないか。

テスト最終日だからか、店内はうちの学校の生徒もちらほら見かける。オレはいつもの席に座り、小さな期待を胸にアイスクリームをちびちび食べて、駅に向かう人を見つめる。
今日はロッキーロードにしてみた。ロイさんをアイスクリームのフレーバーに例えるなら、濃厚なチョコレートのイメージがある。なんつうか、大人の色気とかアロマとかフェロモンとか、宣伝文句にあるようなそういう雰囲気。

鼻から抜けるチョコレートの強い匂いが鼻血が出そうになる感覚を思い出す。手元からアイスクリームもなくなって、そろそろ帰ろうかなあと思ったその時、オレのアンテナが何かに反応した。

「…!」

あの遠くからやってくる人影は、多分ロイさんだと思う。自動的に早くなる鼓動。立ち上がろうと腰を浮かせてオレは止まった。
隣には、金髪のきれいな女の人。ちょっとクールな感じで、黒のパンツスーツがよく似合ってる。ロイさんと話しながら歩いてるから、同僚とか仕事の相手なんだろうな。でも、それにしても仲が良さそう。会話の途中でロイさんが笑う。女の人も笑う。それを見て息が止まりそうなくらい苦しくなった。

二人が近付いてきた。なぜか隠れなきゃと思って、慌てて店のトイレに駆け込んだ。苦しいのは同じなのに、胸に詰め込まれた何かは温度もなく真っ黒くてどろりとしてる。
ロイさんは女の人と一緒に歩いてただけ。しかも、会社の人とか仕事関係だと一見してわかるのに、苦しくて苦しくて、鼻の奥がつんとしてきた。しまった、カバンを席に置いたままだ。それでも席に戻れない。

暫くしてからそっと店内に戻って外を覗いた。ロイさんも女の人も、当たり前だけどもうどこにもいなくて、オレはとぼとぼと夕方の薄暗い道を歩いて帰った。

梅雨明け前の夕方の空気は湿気でやたら重くて、体にまとわり付いて更に脚を遅くする。ため息をついたらチョコレートの香りがして、余計に悲しくなってきた。
俺もノーマルだしロイさんもノーマル。普通に生活してれば異性の友達も知り合いも沢山いて当然だし、当たり前のはずなのに。
金髪、珍しくないじゃん。とか、あんなに仲良さげなら、一緒にアイス食えそうじゃんとか、言いがかりみたいな文句が浮かんでくる。違う、そうじゃない。そんな事が言いたい訳じゃないのに。
こんな事でへこたれてちゃいけないんだ。そう頑張ろうと決めたんだ。でも現実を目の当たりにするとやっぱり破壊力は大きかったみたいだ。
オレはもっと余裕を持って、大人の男にならなくちゃ。ただでさえ年齢差があるんだから、わがままばっかり言ってたらきっと友人としても一緒には居てもらえない。

こういう時って、どうやったら気持ちを切り替える事ができるんだろう。受験の参考書には、記憶力に良い食べ物や血流を良くするツボまで書いてあるのに、そういう大事な書いてない。
ふと、あの音楽のテストに描いたダルマを思い出した。七転び八起きとは言うが、張り子のダルマは転がったらどうやって起き上がるんだろう。でも、オレのダルマには手と足が生えてるから走っていけるはずだ。

「…うおおおぉおおぉおおお…!!!」

幸いカバンは軽い。脇に抱えなおして俺は走り出した。全速力で走って走って走って、何が苦しいのかわからなくなるまで走ることにした。



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