子犬の愛で方
必要以上の会話をすることもなく、数日間少女は子犬のようにツェッドの後をただついて回った。
彼女は静かな人だった。
彼女から言葉を発することはあまりなく、声をかけても会話は二言三言ほどしか続かない。
普通の人よりも格段に薄い気配だけが常に傍に有り、落ち着かないとまではいかないが妙な気分だった。
なにせ彼女はツェッドに全く関心を持っていないのかというとそうでもなく、視線は割合熱く注がれている。もじもじと組み合わせる彼女の指に向いていることが多い目が、時折窺うようにツェッドを追って動いている事に彼は気づいていた。
ツェッドがちらりと目を向けてみると、まるで振り返るのを待ち構えていた様にその大きな目が瞬きつつ視線を合わせてくる。
こうなると彼女はちょっと困ったような顔をして、僅かに首を傾げツェッドの言葉を待つのだが、何を言ったものか。言葉を用意する前につい気になって振り返ってしまうおかげで、もう幾度もこのお互いに捕球態勢を取るだけのキャッチボールをしている。
「………」
「………」
「もし…何か要望があれば言って下さい」
流石に今回ばかりは何か話さなければ永遠にこの状態から抜け出せないようにも思えて、ツェッドはとりあえず当たり障りのない言葉を選んで投げてみる。
何一つ要求を口にしない彼女が果たして不自由をしていないのか否か、気にはなりつつ一度も確認できていなかった。いきなり知らない場所に来て心細くはないのだろうか。もしかすると、彼女があれほど熱心な視線を送ってくるのは、何か言いたい事があったからなのかもしれない。
それが自分に解決できないことだとしても上の人達に相談すると告げると、彼女は「ありがとうございます」とはにかんだ笑みを浮かべた。
続く言葉を待ったツェッドの言葉を待って、再び彼女が少し困ったように小首を傾げる。
とりあえず差し迫った問題はないのだろうと解釈するが、互いに相手の出方を窺いすぎるキャッチボールはしばらく続きそうだった。
「口数は少ないですよね、彼女」
任務からオフィスに戻る道すがら、他の面々が先日ツェッドの連れ帰った少女の事を議題に上げ、興味の尽きぬまま憶測や質問が矢継ぎ早に飛び交う最中、そう言い現わしたレオナルドは同じく質問攻めにあっていたツェッドを振り返った。
「そうですね。かなり…」
彼の言う“彼女”はもちろん、今この場においてタイムズ紙の一面を飾らんばかりの勢いで話題を独占し、特注水槽を中心に据えるあの部屋にツェッドが残して来た少女の事だ。
部屋も同じでいいかなとツェッドに答えを求めながら、その実イエス以外の返答は断固として認めないぞと言外に滲ませていたスティーブン・A・スターフェイズその人の計らいで、新たに運び込まれたソファベッドと共に、彼女は数日前よりそこへ身を置いていた。
彼女の姿を捕捉できるのは二人。その内の一人が外へ住居を構えており、彼女のことはライブラ内かつ目の届く所へ置いておきたいとなれば、当然導き出される結論は一つだった。
そうしてできたルームメイトとの間には、まだぎこちない空気が横たわったままだ。
「話とかしないの。始終一緒に居て無言じゃ息が詰まるわよ」
K・Kの言うそれはツェッド自身も考えていた事だ。
「どう接すればいいのかが難しくて。あれくらいの年齢の女性と関わった経験がないので」
「そうねぇ。せめて同性なら良かったのに、多感な歳の女の子だものねえ」
何考えてるのかしらあの冷血漢、とK・Kは眉間の皺を深くする。
「そうだ、K・Kさんのとこはお子さんいましたよね」
「うちは男ばっかりだもの、女の子のことなんて分かんないわよ」
「じゃあ、戻ったら訊いてみましょうか。色んな人に。何かいいアイデアがでてくるかも」
明るく言ったレオナルドに、ツェッドも頷いた。
Case:チェイン・皇
「さぁ?そんなの分かんないよ。話でもしてみれば。話してくれない? 酔っ払えば少しは口も弛むんじゃない。って、まだ子供なんだっけ。でもそれ以前に飲んだり食べたりできるの? 無理? じゃあお手上げだね」
Case:スティーブン・A・スターフェイズ
「幼いレディの扱いだって? どうかな。とびきり甘やかしてあげれば良いんじゃないか。砂糖漬けにするみたいに。あぁもちろんダメなことはダメだってきっちり言っておいてくれよ。後々厄介なことになるのは勘弁だ」
Case:クラウス・V・ラインヘルツ
「一緒に遊ぶのがいいのではないだろうか。このボードゲームはプロスフェアーというのだが、どうだろう、もしよければ私も共に…」
Case:パトリック&ニーカ
「そんな悩み並んで銃でもぶっ放せば一発だ。どれでも好きなの持って行きな。何ィ、持てねぇ?そりゃまいったな」
「放っといてあげたら? そのうち時間が解決してくれるよ」
「…やっぱ難しいスね」
オフィスに残っていた人間に一通り当たったのち、レオナルドが大きく肩を落とした。
当然と言えば当然の結果だった。もとより人の機微に気を配りながら生きるような細やかな者は、ここライブラには数える程もいない。
「後は、ザップさんが残ってますけど」
「あの人はいいです。わざわざ訊きに行くほどの価値がある答えが返って来るとも思えませんから」
ふと隣に立つレオに目を向け、ツェッドは「ちなみに」と口にする。
「レオ君はどう思いますか」
「え、俺は…そうだなぁ…。一緒にいてあげたらいいんじゃないかな。無理に話そうとしなくても、ツェッドさんといる時は楽しそうにしてるし」
「楽しそう…ですか」
「割と」
くすりと、レオナルドが笑う。
「喜んでくれると思う。ずっと一人だったみたいだから」
そう言って頬を掻き、後は、とレオナルドの腕がツェッドの背を押す。ぐいぐいと押しやられて向かう先には自室の扉。
「後はやっぱり、直接聞くのが一番じゃないスかね」
シンプルな答えとゆるい笑みを残して背は去って行く。ドアノブを見つめ、ツェッドは束の間その言葉を反芻した。
尋ねようにも、何を尋ねていいかが難解なのだが。
扉を開ければ、ソファに腰掛けていた彼女が弾かれたように顔を上げた。立ち上がり、足音もなくツェッドの元へ駆けてくる。
側まで来て、指示でも待つかのように背を伸ばしてツェッドを見上げる姿に、あの、と躊躇いがちに声をかけた。
「以前から思っていたんですが、わざわざ出迎えてくれなくてもいいですよ」
「す…すみません私、つい…」
「あ、いえ、別に迷惑だと言っている訳ではなくて…」
じっと見上げる目が戸惑いをもたらす。
「もし気を使わせていたら…と」
加えて落ち着かなくもある。言葉はなくとも“お帰りなさい”と、そんな声が聞こえてくるようで。
きょとんと目を瞬き、一拍置いて首を横へ振った彼女が笑う。
「お疲れ様です」
やわらかに。この騒音に満ちた町には似つかわしくない笑みで。
黙ったまま動きもせずいれば、彼女はまた僅かに首を傾けツェッドの言葉を待っていた。
ここ数日呑み込み続けた幾つかの質問が浮かび上がっては、音になることもなく喉の奥に消えていく。
窮屈ではないか。
足りないものはないか。
食事は、やっぱり食べなくても平気なのか。
どれも、聞いておきたい事に変わりはなかったけれど。
「…寂しくは、ないですか?」
静かに尋ねたツェッドに、僅かに首を傾けたまま、彼女は再びふわりと笑んだ。
「ここはとても、賑やかですから」
彼女はあまり多くを語ってはくれない。
必要最低限の会話のみに留まるのは、遠慮か、それともそれが彼女の丁度いいラインなのか。
どちらにせよ、当分ツェッドには判別のつけようもなさそうだった。
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