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Hallo you


寒々しい路地裏、散らばるゴミ。狭い空。

記憶が始まるのはそこから。気が付いた時にはそこに立っていて、頭の中には帰る場所どころか名乗る名前も残っていなかった。
私は、足元に転がっていた空き缶と同じくらい空っぽだった。





路地を出て、広い表通りを歩いているといくつかの発見があった。
自分の名前も思い出せないくせに、この町がどういう場所かは知っていた。異界と混ざり合った地。元紐育、現HL。
知識はある。物の名前も分かるしある程度の地理も頭にあった。
人と人以外のもので溢れる通りを見て、沸き上がったのは驚きじゃなく懐かしさに似た感覚だ。

“あぁ、こうだったなぁ”
異様とも思えるその光景を見て、ぼんやりとそう思った。
私はこの街に住んでいたみたいだ。たぶん、だけれど。
毎日当てもなく、歩いて、歩いて、ただ歩いた。

私に繋がりそうなものは何も見つからなった。それでも歩いた。幾日も何十日も経ったはずだけれど、まだ帰る場所はみつからない。
それでも分かった事が二つある。

一つは、どうやら他の人には私の姿は見えていないらしいという事。
もう一つは、人に触れなくなっているという事。

人の視線も身体も、等しく私を通り抜けていく。
何が起こったのかは見当もつかないけれど、私は世界から切り離されてしまったらしかった。










「……どうしよう…」

口に出すと、余計に途方に暮れた気分になった。
もう何度口に出したか分からないこの台詞も、誰の鼓膜を震わせることもない。

そんな気はしていた。私が私を自覚してから何も口にしていない、なのにいつまでたっても空腹やのどの渇きは感じなかった。それでも歩けば漠然と疲れたような気になったし、目を閉じれば眠る事もできた。実際眠れているのかは知らないけれど、時間は経っているしその間は意識もないから、眠れていると思っていいと思う。

街をさ迷い歩いて、夜になれば眠る。その繰り返し。
ここにいるのに、ここにいない。
誰も気付かない。誰の瞳にも映らない。

路地で喧嘩をしてる人類も。身体中に目がある異界人も。ゴミを漁っている猫でさえも。

ただそこにいる。


…いる、はず。


今にもこの霧に紛れて消え失せてしまいそうで、どうにかしたいと思うけれどどうにもできない。できることといえば幽鬼のようにふらふらと歩き回ることだけだ。
まだ昼間だというのに鉛を背負ってでもいるような疲れを感じ、人込みから離れた路地の端にしゃがみ込んで膝に顔を埋めた。
不確かでい続けることは結構精神的に


「きつい……」


ため息を零しながら顔を上げた。のろのろと上げた視線が、ぶつかる。


―――え…


ぶつかった。こんなこと、今まで一度だってなかった。
目、…たぶん、目。
虹彩のようなものはなくて、昆虫の複眼を思わせるような。

どこが、とははっきり言えないけれど、異界人とも違って見えた。

顔なのか、それとも身体なのか。
こんな風になっても体は生きていた時の真似ごとを忘れてはいないらしく、驚きに思わず止めてしまっていた息を吸う。

その不思議な人は、確かに私を見た。そんな気がしたのに、もう違う方を向いて歩き去っていく。
行ってしまう、そう思ったと同時に後を追って駆けだしていた。




気のせいかもしれない。きっと気のせいだ。そう思いつつも、纏わりつくようについて来てしまった。
道中、もう一度目が合わないかと恐る恐る前に後ろにと彼の周りをぐるぐる周回し、もしや触れはしないかと何度も触れようと試みた。けれどどれも彼の視線を捉えることは出来ずに、しばらくすればただ後をついて歩くだけになった。まるでストーキング。申し訳ないような気はしつつも、彼の足跡を辿るように後を追う。
そうこうする内に変わった場所にあるエレベータに乗り込み、運ばれるままに行き着いたのは大きなオフィスだった。









「レオくん、今何て言いました?」

「その子、どうしたのかと思って」


だぶついた服を着た、少しぼんやりした雰囲気のその人は、間違いなく私の方を見てそう言った。
その瞬間、透明になってしまっていた自分が確かなものになった気がした。きちんとこの場に存在しているという実感。

その場にいた数人の視線が、彼の視線を追ってこちらを向く。
けれど、大きすぎる期待と緊張に呑んだ息は、すぐに戸惑いと共に吐き出されることになった。
どの視線もてんでばらばらな方を向いている。擦り抜けて行くそれらが私の上で止まることはない。

空気がぴりりと張り詰めた。
かっちりスーツを着込んだ顔に傷のある男の人が、口元に笑みを浮かべる。笑っているのに、なんだかとても怖い。


「驚いた、まさかここに侵入する輩がいるとは。少年、特徴は」

「お、女の子です…!歳は十代前半くらい、痩せ型で小柄…」


唯一見えているらしい男の人が言っているのは自分の事だ。足を踏み入れてはいけない場所なのだと、気づくなり背筋を冷たい痺れが駆けた。

パキ…と何かが割れる音に落とした視線が捉えたのは、氷。スーツの人の足元がみるみる凍っていく。


「すでに君の存在は我々の認知化にある。何の目的で入り込んだかは知らないが、大人しく投降しておいた方が今後君のためになる」


自分に向けられたであろうそれは、丁寧ながらもノーとは言わせない響きを持っていた。
考えるよりも先に恐怖に慄く足が床を蹴った。
振り返って一番最初に目に付いた大きなデスクの陰に逃げ込み、足を抱え込む。カタカタと全身が小刻みに震えて、この身体が音をたてられるものじゃない事を初めて願った。

今目にしたものが何かなんて分からないけれど、HLに名前を変えるそのずっと前から、この街には知らない方が良い事がたくさんあった。アレもきっとそんなものの一つ。
関わっちゃいけないものの一つ。

ぎゅっと目を閉じ言い聞かせる。大丈夫、大丈夫。だって触れもしないものを捕まえられるわけない。怖い事にはならない。見えてるのは一人だけ、あのスーツの人だって私の事は見えてな―――…。

ひゅうっと狭くなった喉に空気が通る音を聞いた気がした。
目を開いた私の前に、少年と呼ばれた男の人の顔があった。

売られるか殺されるか。でも今の私の状態だとどっちも無理かもしれない。思考の傍らに何度も大丈夫と繰り返し言い聞かせる。
真っ青な顔で身じろぎ一つ出来ずに固まる私を、まじまじと見慣れない生き物にするように眺めた後、その人はにっと柔らかく微笑んだ。


「俺はレオナルド・ウォッチ。君の名前は?」

「あ………わ、分からない…です……」


次々と迫りくる展開に戸惑いつつもどうにか声を絞り出すと、ちょっと困ったような顔をした後、その人は良かったと言ってまた笑った。


「声も聞こえるみたいだ。手、いいかな?」


彼と差し出された手とを何度も見比べる。
「大丈夫」と柔らかな声に促され、その掌におそるおそる手を伸ばす。けれど僅かに透けた自分の手は、手ごたえなく彼の手をすり抜けた。もしかしてという淡い期待はまたしても消え失せ、その事に落胆する間も無く、少年、と特別低い訳ではないのに思わず身を固くしてしまう声がその人を呼んだ。
びくりと肩を震わせる私に再び笑顔を向けて、その人は机の向こうへ返事を投げた。


「たぶん大丈夫だと思います。怯えてるだけみたいで、普通の女の子っぽいですし…」


触れることの出来なかった手を、感触を確かめるように数度握って彼は言う。


「ゴーストかなって」







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