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「で、どこが非常事態なワケ?」
「立派な非常事態だろ。ぜんっぜん分かんねえんだぜ!? 一問も!」

信っじらんない。
教室はたぶん前に司書の先生が言っていたクラスで、どうもここは切原の席だ。
何の用かと思ったら、雨、宿題、手伝えということらしい。

「家でやれば?」
「一人じゃ解けねぇからこうして頭下げてんだろ」
「楽しようと思ってない?あと頭は一ミリも下がってない」
「頼む! どうか! このとおり!」

手を合わせて拝む切原が、ちらとあたしを窺い見る。

「もうすぐ中間だし」
「そうだけど」

どうやらついでにそっちの面倒も見てもらおうという魂胆らしい。
非常じゃなくて、これが切原にとっての常じゃないだろうか。

「優しい先輩たちはどこ行ったの。言えば誰か一人くらい面倒見てくれるんじゃない?」
「優しくない先輩達にはあれこれ理由つけて逃げられた。頼みの柳先輩はさっき用事で帰っちまって」

あーそう。代わりって訳ね。
つまり、ついさっきまでここには柳くんが座ってたって事なんだろう。切原の机の上にはまた宿題らしいプリントと、その横には余程扱いが雑なのかすっかり使い古されたようになった教科書が逆さまに置かれている。

別に宿題くらい適当にしとけばいいのに。そうは思ったけれどどうも切原の懸念は次の中間らしい。ちょっと予想はしていたけれど、やっぱり真田絡みみたいだ。
ちょっと責任を…感じるようなそうでもないようなと思っていたら、テニスの試合がテスト明けにあるんだとかなんとかで。赤点を取る訳にはいかないらしい。

それを聞いて、ため息が口をつく。肩透かしと、ちょっと荷が下りたのと、両方。

「こんな付け焼刃でどうにかなるの」
「なる」
「前の期末は?」
「覚えてねぇ」

とにかく、今回はやばい、と。なんだか概ねいつもやばそうなヤツがよく言っているセリフを口にする辺り、赤点とはなかなか切っても切れない関係を続けているとみて間違いないんだろう。

「ジャッカル君にも断られたの?」
「丸井先輩も今必死でやってる。たぶん」

ジャッカル君…どこまでも丸井の面倒を…。
ついでで一緒にみて貰えばよかったのに。それか、いっそ皆集めてやるとか。…無理か。一時間ともたずに無法地帯と化す未来が透けて見える。主に切原と、丸井と仁王のせいで。仁王は端からボイコットって可能性もあるけど。

「…いっとくけどそんなには出来ないから」
「けど4でしょ? 充分」

諦めて椅子を引いた私を見て、やりぃ!って感じに切原が笑う。

「便利に使ってくれるにも程があるんだけど。私を何だと思ってるわけ」
「彼女(仮)」
「彼女関係無いじゃん…」
「オプションって事で」
「………」

こやつ、すっかり調子にのっている。
追加料金とってやろうか。たぶん一瞬で踏み倒されるだろうけど。

機嫌よく、切原は鼻歌まで歌いだした。それに恨めしい視線を向けながら、大体どの辺りをやってるのか確認しようと教科書を手に取った。ページを捲り、そのボロボロ具合に閉口する。
まだ手元に来て半年も経ってない筈なのにこれは酷い。驚異的な劣化スピードだった。所々意図してつけたとも思えない折れがあるし、角は紙が反ってるのと擦れてるのとで丸まって、あとちょこちょこ下手な落書きとか謎の走り書きなんかも見える。

おそらく居眠りの跡であろう歪に文字列を横切る線を眺めつつ、どこからやる?と顔を上げれば切原と目が合った。
まじまじと見慣れないものでも見るみたいな切原に、何、なんて聞くよりも早く質問が飛んでくる。

「あんたって弟か妹いる?」
「何で?」
「何となく」

そうかなって、とやる気なく頬杖をついた切原の指先でペンがくるりと回る。

「……いる。弟が一人」
「へーうちと同じだ」
「弟いるの?」
「俺が弟」
「あぁ、切原ってお姉ちゃんいそうだよね。何だかんだ可愛がられてそう」
「どーだろ。うちの姉貴横暴で凶暴だからいっつもぼこぼこにされてるけど」

何となく想像できてしまうのはなんでだろう。切原が横暴で無茶苦茶だからかもしれない。

「あんたの弟は?どんなやつ?」
「…大人しくて、何考えてるか分かんないとこあるけど。あたしよりよっぽど出来は良いよ」
「ふーん」

変なの。
何の話してるんだか。
あーだのこーだの、ぶつぶつ言いつつも切原は単語を書き連ねて行く。がりがりとペン先が強く紙をひっ掻いている音。

一先ず柳君の後を引き継いでみたものの、その面倒見の良さには閉口するしかない。めくる教科書にも要点ごとの書き込みや付箋。今回の範囲と、たぶん切原が苦手であろうものを纏めた単語帳まで作ってくれてる。

「…いい先輩だね」

言って、ふと上げた視線の先。その表情に、一瞬息が詰まった。
だろ、と。ちょっと誇らしそうに。照れ臭さと嬉しさをない交ぜにして切原が笑う。

……今…、すっごく良い顔した…。

無理矢理に引き剥がした視線で、代わりに手元の単語帳に書き込まれたお手本のように整った字を追うけれど、目が文字の上を滑って一つだって頭に入って来ない。

「…ねぇ、そう言えば、あんたのとこのジャイアン先輩なんだけど」
「丸井先輩が何?」

うわ、これで通じるとか丸井のやつ…。

「今日、告白されてた」
「あー…、かなり人気あっからなーあの人」

若干引きつつ今日の昼にあった事を話してみても、切原は驚いた風もない。多少の喰い付きを期待していただけにいくらか肩透かしをくらったあたしに返ったのは、慣れと呆れを混ぜ込んだ溜め息だった。

当たり前と言わんばかりの反応に面食らいつつも、いやいや待て待てと心の中で手を振った。
そう、そもそもそれが当然の筈。なんてったってテニス部だ。最初はあたしでもそれを疑いもしていなかったのに、いつの間にか色々変にねじ曲がっている。

「…なのに彼女いないの?」

全ての元凶はその事実に違いなかった。質問に誰一人として手を上げようとしなかったあの場面は思うより深くあたしの中に居座ってる。
尋ねたあたしをちらりと上目遣いに見て、切原はプリントへと目を戻す。

「………色々あんだよ俺らにも」
「今、何気に自分入れたね」
「……俺もそこそこモテてるし」
「はいはい」
「し、信じてねーな!?バレンタインだってそこそこ…」
「赤也くんかわいーからあげるーって?」

反論の言葉が見つからないのか、口をパクつかせるその顔は、まさに鳩が豆鉄砲、って感じだった。

「はは…図星だ」

分かりやす、とそんな台詞が口をつけば、頬杖をつくその手の平が口元を覆い隠した。

「…るせ」

そっぽを向いた切原の耳がじわじわと赤く染まっていくのに、堪え切れなかった笑いが漏れる。何がおかしいんだよなんて睨まれても、あたしだって何がおかしいのか分からない。
切原だけが色を持ってるみたいに見える。何もかもが灰色に見える教室の中で、そこにだけ色が付いてるみたいだった。

―――あたしは…

世界に色を、と。そう言った切原の言葉に期待なんかしちゃってるんだろうか。

…馬鹿みたい。かなり笑える。
そんなの、ただの……。

視線を感じて顔を上げた。また、切原とばっちり視線がかちあった。首は横へ向けたまま、真っ黒な瞳はただじっとこっちを見ている。
鋭い目尻が、ふっと力を抜いたみたいに柔らかくなった。

「なーんか、あんたってよく分かんねーな」
「……何それ」

笑いをかみ殺す切原に、つられてあたしも少し笑う。




帰る時間になってもしつこく雨は降り続いていた。アスファルトのくぼみにできた水溜りを車が跳ね上げていく。試合も流れっかも、なんて言って傾けた傘の先に広がる空を見上げる切原の気持ちは、目前のテストを通り越してその先へと向いている。

「ね、言ってた子の方はどうなったの?」
「わかんねぇ。…静かにはなったけど。むしろ何も無さ過ぎて気持ち悪い。あいつがそんな簡単に退くとも思えねーし」
「興味なくなったのかも」

言えば切原は黙りこくる。色々と複雑そうなその眼の奥で切原が何を考えてるかは、あたしには分からない。

「ねぇ。もし…」

言い澱めば、変な間で「おー」と適当っぽく返る相槌。振り向かないその眼を盗み見て、なけなしの声を絞り出す。

「もう終わりにしようって言ったら、困る?」

びっくりするほど震えた声を自覚すれば、心臓がばくばくと走り出した。
変なの。あたし、なに緊張なんかしてるんだろ。なんで、と胸の中に散らばった色んな物をかき集めて、あぁそうかと思い至る。
ふざけんなとか却下だとか、そういうこと言われるのはいつもの事だったけど。だけどもし、別にいいって言われたら…

「―――困る」
「へ…?」

ぽかんと口を開けて固まるあたしへ、その目がちらりと一瞥をくれる。

「宿題手伝ってくれるヤツがいなくなる」
「…今すぐ解消しようかな」

思わず洩らした間抜けな声を、黒板消しで拭いとってクリーナーにかけてやりたいと思った。元が何かも判別できない程粉塗れになって焼却炉で燃えてしまえばいい。

雨の滴がかかるポケット。手を突っ込めば中の紙がかさりと鳴った。

どっちのがマシだろ。あんまり変わらないかな。

家に帰って、また紙を広げて。書かれた禍々しい文字をしばらく見つめた後、あたしはそれを握り潰してゴミ箱に放り込んだ。


 


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